第17話 待ち受けたるは

 ゴゴゴゴゴ……と重い音を立てて、扉が開いていく。


 そこは、古代ローマ帝国のコロシアムのような場所だった。

 しかし、当然のことながら観衆は誰一人としていない。

 ただただ寂しい空間が、そこには広がっていた。


 中央で座しているのは、身長3メートルほどの筋肉質の男。

 異常なのは、身長だけではない。緑色の大きな翼を持っている。


 俺の存在に気が付いたのか、男はゆっくりと目を開けてこちらを見つめた。

 端正で整った顔立ち、肩ほどまである緑色の綺麗な髪、その表情は嬉しそうだった。


「やぁ、よく来たね」


 男の口から発せられる声は、その優しい顔とは裏腹にとても低く、腹の奥まで響いてくるような声だった。


 :うっそなにこのイケメン

 :しかもめっちゃイケボだし

 :主もイケボだけどこいつには勝てん

 :イケメン

 :抱いて欲しい

 :俺男だけど深くにもキュンときた


 コメント欄は盛り上がっているが、いつもの如く無視だ。

 それより今は、この目の前にいる男に確認を取らないといけない。


「あなたがこの深層のボスですか?」


 男はにこりと笑うと、頷いた。

 

「ああ、そうだ。今から73年前、紅い月がもたらした超エネルギーによって、ダンジョンは生成された。私は、あるお方から指令を受けてね。それで、このダンジョンの深部の管理者──君たちで言うところのボス、かな? その役目を担っている」

「あるお方?」

「それは言えないことになっているんだ。すまない」


 男は申し訳なさそうに目を伏せる。


「それは残念ですが、もっと残念なことがある」

「なんだい?」


 俺は剣を抜き払うと、構えた。


「どうせ、ここまで入ってきたからには戦わなきゃいけない。そうでしょう?」


 ダンジョンボスの役割は、侵入者を排撃することだ。

 いくら理性と知性を兼ね備えた存在であろうと、そのルールは例外ない。


 男は寂しそうに笑うと、立ち上がった。


「その通りだ。私は今から君と戦わなくてはいけない。たとえ、私にその気がなくてもね」


 男はどこからともなく槍──それを槍と言っていいのかは分からないが──を取り出し、こちらに切っ先を突き付けた。


「戦う前に、一つ聞いておきたい。小さく勇猛な人間よ」

「なんですか?」

「君の名前を教えてほしい」


 俺は少しの逡巡のあと、答えを出した。


「東雲 千紘です」

「チヒロ、いい名前だ。君のことは生涯忘れることはないだろう」

「あなたは?」

「私の名はブネ。ソロモン72柱の序列26番に位置する悪魔さ」


 :ソロモン72柱!?

 :マジでおったんか

 :やばい。色々情報量が多すぎて頭がパンクしそう

 :これダンジョン関連のやつらが知ったら大騒ぎになるだろ

 :明らかにただものじゃないオーラ出してるけど、主大丈夫か?

 :さすがに今回ばっかりは俺も手放しで大丈夫とかいえない

 :主ならあるいは……とも思うけど、相手が悪すぎるな。リーチの短い双剣と槍だったら、槍のほうが強いって古事記にも書いてある

 :今はただ見届けるしかできないな……

 :うおおおお! 主がんばれええ!

 :でもブネさん? も悪魔なのに物腰柔らかくて良い人そうだから心苦しいw

 :それはわかるw


「最初にひとつだけ。私は戦闘が始まると、手が付けられないほど凶暴になるんだ。だからその……すまない」

「かまいませんよ。戦いの場に情けは無用。こちらも全力で行かせてもらいますから」

「……ありがとう」


 睨み合う俺とブネ。

 最初に動き出したのは、ブネだった。


「ッ疾!?」


 姿が消えたと思った次の瞬間には、俺の懐に潜り込んでいて、その姿勢のまま槍を突き上げようとしてくる。回避は間に合わない。


 慌てて双剣で槍を弾き、お返しにもう一方の剣をブネに向かって突き出す。

 が、ブネは上体を逸らして回避。その顔には、先程まであった優しさはもうない。


「オラオラどうしたァ! お前の実力はそんなもんかァ!?」


 代わりに、刺々しい声音でこちらを挑発してくる。


「クッソ!」


 再びブネと組み合い、双剣と槍の応酬を続ける。

 相手の方が体格は上。一撃一撃の重さが半端じゃない。


「ホラホラホラァ! いつまでも防戦一方じゃ、俺様にはちっとも傷をつけられないぜ!?」

「そんなこと……言われなくても分かってるよッ!」


 双剣のラッシュからの突き刺し、足払い、鳩尾を狙った肘鉄。

 そのどれもが、容易く躱されてしまう。

 その反面、俺は浅いが傷だらけだ。先程から何度もブネの槍が肌を掠めて、肉を削り取っていく。


 だが、俺の攻撃も無駄じゃない。

 ブネの鋼のような肉体にも、ところどころだが切り傷がついている。

 つまり、これは無理ゲーなんかじゃないってことだ。


「うおおおおおおおおおおっ!!」


 迫りくる槍の嵐を潜り抜けて、何とかブネの懐に入り込むことに成功する。

 取った! 俺はブネの腹目掛けてナイフを突き刺そうとして──


「ごはっ!?」


 腹部に重い痛みを受けて吹き飛んだ。

 向こうを見れば、片足を上げたブネの姿。


 恐らく、腹に膝蹴りを受けたのだろう。


 せり上がってくるものを感じて、地面に血を吐いた。


 :嘘だろ……東雲が押されてる

 :これやばいんじゃないの?

 :東雲逃げろ!

 :いや無理だろ、ボス部屋は一度入ったらクリアするまで出れないからな

 :じゃあどうすればいいんだ

 :今はとにかく、主を応援することしかできない

 :主ー! がんばれー!

 :お前ならできる! とにかく冷静に相手を見るんだ!


 コメント欄にあふれる心配の声。

 そうだよなぁ、これだけ期待されてるのに無碍にしちゃ駄目だ。


 俺は何とか立ち上がると、ブネに向かって再び双剣を構えた。


「ハッ、根性あるじゃねえか。まだまだ俺様を愉しませてくれるよなァ!?」


 ブネは槍の柄を小脇に挟むようにすると、突進。

 恐らく勢いで俺をダンジョンの壁ごと刺しに来ているのだろう。

 動きが分かっていれば、あとは単純。避けるだけでいい。

 だが、それさえもブネの策略通りだったらどうだろうか?

 空中にいる無防備な俺の体を、槍で突き刺しにくる可能性も捨てられない。


 なら、この可能性に賭けるしかないか。


「はっ!」


 地面を蹴って高く飛び上がり、ブネの背後に回ろうとする。

 しかし、ブネがニヤリと笑ったのを俺は見逃さなかった。


 間違いない、来るッ!


「単調だから簡単に避けられる、なんて思ったんじゃねえのか?」

「っ!?」


 驚いたフリ・・をしてやると、ブネはさぞ愉快そうに嗤った。

 そして人間なら不可能な速度で急停止し、槍の穂先を上空の俺めがけて構える。

 そして始まる怒涛の連続突き。


 その槍の雨は容赦なく俺の体に次々と穴を開け、最後はボロ人形のように崩れ落る。


 ブネはそれを見届けると、退屈そうにあくびをしながら背を向けた。


「あーあ、こんなもんか。ま、結局人間なんざせいぜい弱っちいやつしかいないわな」

「どこを見てるんだ?」

「あん?」


 次の瞬間、俺はビネの背中にナイフを突き立て、抉った。


「ガッ……お、お前、なんで生きて……」

「よく見ろよ。あれはただの人形だ」


 俺が指差す先には、穴だらけになった等身大の人形。

 通称偽りの奇跡サクリファイスドール。擬態の能力を持ち、使用者が念じるとその者の姿かたち、性格から声までそっくりに真似してくれるシロモノだ。


 ただし、その持続時間は120秒間だけ。


 それでも、その破格の性能から欲しがる探索者は多数おり、値段もけっこういい額を払わないと手に入れられない。予備で持ってきて正解だったな。


「クッ……ソがぁぁっ!」


 ブネは怒りの怒号を上げると、上体を捻って石突で俺を殴ろうとしてくるが、頭を軽く捻って回避。そのまま、突き刺していたナイフに力を入れてグリグリとねじ込む。


「ぎゃああああああっあああ!?」


 痛々しい悲鳴が辺りに木霊する。


 ブネは、悲痛な声をひたすらに叫び続ける。

 俺だって、いい気分にはならない。肉を抉り取り、骨を断つ感触が手元からダイレクトに伝わってきて吐きそうだ。


 それでも、やるしかない。


 最後に思いっきり刺したあと、ナイフを一気に引き抜く。


 ゴポリという音とともに、血が洪水のように溢れてきた。

 その血は青紫色。なんとも毒々しい色だが、これが悪魔というやつなのだろう。


 ブネはピクピクと痙攣しているが、もう間もなく死ぬだろう。


 間違いなく心臓を突き刺した。

 その感触は残っているし、手には血の匂いがついている気もする。

 魔物ならまだしも、意思疎通のできる奴を相手にしたのだ。


 耐え切れなくなって、俺はその場で吐いた。


 :主、大丈夫か?

 :よくやったよ

 :これで神谷町ダンジョン攻略だな! おめでとう!

 :これ明日の朝イチのニュースで語られるレベルの偉業じゃね?

 :それな

 :たしかに


 労いとお祝いの言葉をかけてくれるリスナーたちに感謝する。

 そうして立ち上がったときだった。


 むくり、とブネが立ち上がる。

 だがその目の焦点は合っておらず、ひどく緩慢な動きでこちらへやってきた。


 :まだ生きてるんかワレェ!

 :絶対死んだと思ってた

 :でも弱ってるみたいだぞ、今がチャンス!?

 :やっちゃえ東雲!

 ;これ以上苦しませるのかわいそうだしやってあげて


「ガフッ……まだだ、まだ、終わりじゃ……ないッ!」


 ブネはのろのろと槍を振り上げ、こちらへ攻撃しようとしてくる。

 だが、そんな動きではもはや相手にならない。


「もう充分がんばったよ。おつかれさま」


 そんな労いの言葉を掛けて、俺はもう一度ブネの心臓にナイフを突き立てる。


 ドクン、と音が鳴った気がした。


 ブネは遂に力尽きたらしく、体を俺に預けるように倒れ伏す。


「ああ、チヒロ……すまない、迷惑をかけた」


 その声音は先程までの人が変わったようなブネではなく、最初に出会ったブネの声そのものだった。


「いえいえ、全然気にしてないですよ」

「そうか‥…フフッ、君は優しいのだな」

「ブネさんこそ、悪魔らしくないですよ」


 よく言われる、とブネは笑った。

 その拍子に、ゴホゴホと咳き込み口から血の塊を吐き出す。


「チヒロ、一つだけ頼みごとをしてもいいだろうか?」

「なんです? 面倒臭いことだったら嫌ですよ?」

「すまないが、その面倒臭いことだ」


 一瞬嫌だな、と思ったが、心優しそうな彼の頼みだ。

 聞いてやらないわけにもいかないだろう。


「わかりました。どんな願いでもどんとこいですよ」

「ありがとう……」


 ブネはそう言って微笑むと、口を開いた。


「もう間もなく、私の真の姿が解放される。そうなってしまったが最後、私は目に付くもの全てを破壊する本物の悪魔になるだろう。魔物の軍勢を引き連れてな」

「…………それってまさか、俺のせいで?」

「気に病む必要は無い。探索者とボスは戦いあう運命。それが世界の理なのだから」


 なんということだ。

 俺は思わず、天を仰ぐ。


『禁忌の門開かれしとき、悪鬼羅刹の行進が始まるだろう。汝、死の覚悟をせよ』


 あの文言は本当だったというわけだ。

 このまま放置して帰れば最後、ブネのいう『本物の悪魔』とやらと共に、ダンジョンが活性化し、魔物の群れが世界を覆いつくすことになる、と。


「だからお願いだ、チヒロ。どうか、私を鎮めて欲しい……グッ!?」

「ブネさん!?」

「もう時間がない。頼んだぞ、チヒロ……最後に君と出会えて、本当に……良かっ──」


 それきり、ブネは動くことはなかった。

 だが、その体はボコボコと変形し始めている。


 もう間もなく、真の姿とやらになるのだろう。

 

 止める手段はない。だったらもう、やるしかない。


「分かりました、ブネさん。俺……約束守りますから!」


 次の瞬間、ブネの体が縦に裂け、中から途轍もなく巨大な龍が現れた。

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