シャドーチェイサー

@philomorph

ミッション1 初陣

 遠くでサイレンが鳴っていた。


 突然、玄関のドアが蹴破られた。地獄の幽鬼の形相をした人影が押し入ってくる。


「ヴァンパイア・・・・」

 父の呟く声が遠く漂ってきた。


「遼子、勝手口から外へ逃げなさい。警察に報せるのよ。」

 私は母の手に押しやられて外に出た。


 何かが壊れる音や両親の叫び声、化け物のうめき声を耳にしながら、私は後ろ髪引かれる思いで近所の交番に向かって必死に駆け去った。


 軍服の男が近づいてくる。胸の銀色の剣のエンブレムが記憶に残った。


「水無瀬(みなせ)遼子(りょうこ)さんですね。ご両親は保護しました・・・・ただし・・・・」

 軍人は言い淀んだ。


 病院の一室。鉄格子が窓にはまっているのが奇異だ。白衣の医者が出てくる。

「お気の毒ですが、ご両親は二人とも亡くなられました。」

 事務的な口調で医者が告げる。


「父さん、母さん!」

 私の叫びは虚しく廊下にこだました・・・・


 私はそこで目を覚ました。私は固いベッド 目が覚めると見慣れぬ白い天井が見下ろしていた。私は固いベッドの上に仰向けに寝ていた。


 上体を起こそうとすると、側頭部に鈍い疼きが走った。頭に手をやると、耳の上あたりが包帯でぐるぐる巻きにされていた。


「お目覚めですか?」

 不意に女の声がした。反射的にそちらへ寝返りを打つと、二人の女性がベッドサイドに立って私を見下ろしていた。


「気分はどう?、リョウコ。」

 さっきと別の声で話しかけたのは、金髪碧眼の小柄な美少女だった。ピンクのワンピースの上に裾のだぶついた白衣を羽織っている。


 もうひとりは連邦陸軍の軍服をまとった黒髪黒瞳の長身の女性で、スーパーモデル並の、整った容貌に加え、軍服の上からでも、均整のとれたプロポーションが見て取れた。


 (リョウコ・・・私の名前はリョウコというのか・・・)

 私は無言で少女を見返した。まるでマイセンの磁器人形のような、現実離れした美少女だった。私には彼女をよく知っている、という既視感があった。


「分隊長、気分はいかがです?」

 長身の女性士官が私に尋ねた。軍服の階級章から彼女が陸軍大尉であることは分かっていた。彼女にも見覚えがあるのだが、名前が思い出せない。


「待って、ヘレーネ大尉。少佐は少し記憶が混乱しているようだわ。」

 どう見ても十代の少女は年長の(といってもせいぜい二十代半ばの若さだったが)大尉を制して言った。


「どう、リョウコ、あたしの名前が分かる?」

 少女はその青い瞳で私の顔をのぞき込んで、優しい口調で訊ねた。


「・・・ミラルカ?」

 記憶の表層にふっと浮かび上がった名前が口を突いて出た。


 「ええ。」

 少女―ミラルカはニッコリと、人を魅する笑みを浮かべてうなずいた。


 ミラルカの名を思い出したのがきっかけになって、私の記憶は急速に戻ってきた。

「・・・ここはどこ?、今はいつ?」


 私は上体を起こして二人に問うた。左の側頭部にズキリと疼痛が走った。


「ここは連邦陸軍朝霞駐屯地内、『銀の剣』本部の医療棟、時間は12月8日午後8時34分です。」

 長身の女性士官―私の部下、アテナ・ヘレーネ大尉が几帳面に答えてくれた。


「12月8日・・・じゃあ、あれから、まだ一日しか経っていないの・・・」

「はい。分隊長が意識不明のまま医療班に引き渡されたのは、今日の午前0時28分でしたから、それから約20時間経過しています。」

 アテナがまた丁寧に答えてくれた。


「みんな、思い出したようね、リョウコ。」

 ミラルカが優しい口調で言った。私は無言でうなずいた。


「アテナ、作戦の結果はどうなったの?」

「はい。分隊長が負傷された後、私が指揮を引き継ぎ、その後まもなく、戦闘第二分隊とスカウトヘリ小隊が来援し、我が隊と呼応して、ヴァンパイアを殲滅しました。

 我が隊の損害は、隊長を含め軽傷者四名です。第二分隊は軽傷一名、ヴァンパイアは確認した56体中48体を処理、8体を拘束、犠牲者は7名を保護しました。」

 アテナは淡々とした口調で報告した。


「そう・・・・」

 私は思わずため息をついた。


 任務が完全に達成され、我が部隊に死亡者が出なかったことには安堵したが、私は素直に喜べなかった。自分自身は味方の足を引っ張っただけで何の役にも立てなかったのだ。


 挙げ句の果てに突出し過ぎて敵の狙撃を受けて負傷し戦闘不能に陥るとは、指揮官失格と言われても仕方がない。


「そう言えば、私は狙撃を受けたはずだけど・・・」

 その時、私は自分が死んだと確信したのだが・・・


「隊長を狙った銃弾はヘルメットの左前面を貫通しましたが、側頭部をかすめて後ろに抜けていました。」

 ヘレーネ大尉が答えた。


「リョウコ、弾は肉をえぐっただけで、脳と骨に損傷はなかったわ。ただ、着弾のショックで脳震盪を起こして意識がなかったのが心配だったけど・・・外傷は全治二週間というところね。」

 ミラルカ―ミラルカ・ジーベンベルク軍医少佐が診断の結果を述べた。


「まだ、生きてるんだ、私・・・」

 私はぽつりとつぶやいた。いっそ死んでしまった方が良かった・・・ふがいなさに涙がこぼれそうになり、私は寝返りを打ってふたりに背を向けた。


「ごめんなさい、しばらくひとりにしてくれないかしら。」

 そう言うのが精一杯だった。


「分かりました。われわれはこれで失礼します。」

「ええ、まだしばらくは安静にしていた方がいいわ。」


 その後、二人が部屋を出て行こうとする足音が背後から聞こえた。と、途中でひとりが足を止め、引き返してきた。

(ミラルカだ。)


 軽やかな足音に私は直感した。

「食事と薬は後で看護兵に運ばせるわ。ちゃんと食べないと、早く良くならないわよ・・・」

 ミラルカは耳元でささやくと、あろうことか私の頬に一瞬軽くキスをした。まるで母親が風邪を引いた子供をあやすようなしぐさだった。


「じゃあ、おやすみなさい、リョウコ。」

 それだけ言うとミラルカは部屋を出ていった。


 私はひとりになると、昨日の晩に起こった出来事を反芻した。


西暦2067年12月7日(日本時間)


 軍用大型輸送機C-7アトラスの機窓の外には凍てついた輝きを放つ冬の星空と太平洋の暗き深淵だけがどこまでも続いていた。


 機内にふと視線を後ろに向けると、三列後ろの窓際に金髪の少女がひとりで座って、頬杖をつきながら窓の外をじっと眺めているのが目に入った。


 視線をまた窓の外に戻すとそこには先ほどと全く変わらぬ光景が広がっていた。

私の名は水無瀬遼子(みなせ・りょうこ)。


 地球連邦陸軍軍人で、階級は五日前に少佐になったばかりだ。


 連邦陸軍士官学校を20歳で卒業し、連邦陸軍大学を24歳で卒業し、陸軍特殊戦訓練学校と海兵隊狙撃学校で2年間学び、26歳でアメリカ州アリゾナ地区フェニックスで治安部隊に勤務して1年あまりを過ごしていたが、2週間前、新しい辞令を受け取った。


 新しい赴任地は東京。そこは私の故郷であり、私にとっては7年ぶりの帰郷となる。もっともそこには私の親族も知人もほとんど残ってはいないはずだが。


 私の新しい赴任先は地球連邦陸軍対ヴァンパイア特殊戦軍「銀十字軍」(Silver Cross Army)麾下の独立部隊「銀の剣」(Silver Swords)と言う。


 この特殊部隊「銀の剣」について説明するには、「ヴァンパイア」の存在について述べておかねばならない。


 2028年、ある地域紛争が引き金となって大国同士の武力衝突が発生しやがて全面核戦争へと発展した。


 すなわち第三次世界大戦である。


 その直接的被害に加えて、その後数年の間、世界は「核の冬」による異常気象や各地で生じた紛争などによりさらに疲弊し、人類の総人口は大戦前の3分の1以下にまで減少した。2039年、混乱に終止符を打つべく、世界統一政府の樹立が提案され、慎重な討議の末、大多数の国はこれに賛成し、2041年、統一政府が樹立された。


 その正式名称は「地球連邦政府」(The Government of Federation of the Earth)と決定された。この結果、それまでの「国」(nation)は「州」(state)と呼び名を変えた。


 地球連邦の首都には日本州の東京が選ばれ、大戦前から進められていた「東京湾開発計画」を引き継いで東京湾上に建設された水上都市にその首都機能の中枢が置かれることとなった。


 その地区を正式には「シャングリラ特別区(Shangrila D.T.)」と称する。

 

それからの約十年間、小規模な地域紛争などは絶えなかったものの、人類は地球連邦政府の主導の下、概ね順調に復興を成し遂げて行った。人口も増加傾向に転じていた。


 ところがその頃、世界各地で人類がかつて想像もしなかった奇病が発生し始めた。それがヴァンパイア病である。


 ヴァンパイア病とはその症状と感染方法が中世ヨーロッパの伝説中の吸血鬼に類似していることから付けられた呼称だ。感染者は潜伏期を経て発症すると激しい発作に見舞われ、約半数は死亡する。


 しかし、生き残った者は超人的に強靱な肉体を得ると同時に性格は豹変し、仲間を増やすために人間を襲う。感染は、粘膜や傷口から唾液など体液を介して行われるから、ヴァンパイアたちは獲物に噛みついたり、犯したりするのだ。


 そして感染した人間の約半数は死に、残りの半数はヴァンパイアとなる。


 わかっていることは、ヴァンパイアウィルスとはHIVウィルス(エイズウィルス)と同じレトロウィルスの一種であるが、ワクチンや逆転写酵素活性阻害剤など有効な治療薬はいまだに開発されていない。また、その精神症状から類推されるような恐水病(狂犬病)ウィルスとも症状の発現機構に関係がない、人間以外の生物にも感染はしない、変異株はなく、1種類しか存在しないことなどだ。


 この病気が各地で報告され始めた初期には、ヴァンパイアは単独で無作為に襲撃を行うことが多かったので、その当時は警察組織だけでもある程度は対処することが出来た。


 しかしその後、ヴァンパイア達は次第に仲間同士集まり地下組織を作り、襲撃は大規模かつ計画的になり、人類社会への潜伏の手口も巧妙になっていった。


 ヴァンパイアを正常人と外見だけで区別するのは現在不可能なのだ。さらには武器密輸・密造シンジケートまでも取り込んで武装し、一般警察はもちろん特殊機動警察ですら対処しきれないほどの人類にとっての新たな脅威となってきた。


 一部ではヴァンパイアの勢力にほとんど制圧される都市すら出てきた。

 

 2057年、地球連邦政府はここに至ってヴァンパイアに対して連邦軍内部に対ヴァンパイア戦専門の特殊部隊を設立することを決定した。


 これが「銀十字軍(Silver Cross Army)」であり、その麾下には18個(のちに27個に増強)の大隊規模の独立部隊が置かれ、特にヴァンパイアの脅威にさらされている世界の各地域の主に大都市に重点的に配置された。


 連邦首都である東京には私が赴任する「銀の剣」と「銀の盾」(Silver Shields)の二個部隊が駐留している。


 私はそれまで機内で携帯端末を使ってフェニックスに転属命令と一緒に送られてきた「銀十字軍」と「銀の剣」に関する膨大な資料に繰り返し目を通していたのだが、その内容の退屈さのあまりに、自分でも気付かぬうちに窓の外を眺めながら思索に耽ってしまっていたのだった。


 大きく背伸びをして緊張をほぐした後、ふと振り返ると、三列後ろの窓際の席に座っている少女に目が止まった。


 ナチュラルにウェーブがかかったプラチナブロンドの髪に白磁のように白い肌、サファイアのように青い澄んだ瞳、ピンクのワンピース。


 ちょっと滅多にお目にかかれないほどの美少女だった。少女は飽きもせず窓の外にじっと目を凝らしていた。実はこの機に搭乗したときからこの少女のことは気になっていたのだ。


 この輸送機の客席に乗っているのは軍人、軍属かその家族だけのはずだが、少女がなぜ一人で乗っているのだろう?そんな疑問が脳裏をかすめた。


 この輸送機の客席に乗っている乗客の姿は疎らだった。実際、あたりを見回してもその少女が私の一番近くの席にいた。


 私は意を決して端末をしまい、席を立って清涼飲料の自動サーバーに向かった。この機は旅客機ではない。スチュワーデスなどは乗ってはいない。ほとんどセルフサービスだ。食事もロボットカーゴで配られた。


 私はサーバーからアイスコーヒーを二杯汲み、そのうちの一杯にひとくち口を付けてから少女の座っている列に歩を進めた。


「・・・あの、失礼ですが、お嬢さん。」

 私はためらいがちに少女に話しかけた。少女は私の言葉に即座に反応し、窓を向いていた体を優雅な身ごなしで私の方へ向き直した。


「はい、なんでしょうか?」

 少女はそのサファイアの瞳を真っ直ぐに私に向けて答えた。その瞬間、私の全身に戦慄が走った。


 少女はかすかにはにかんだ微笑を浮かべていた。この世のものとも思えぬほどの美しさだった。


 同性愛嗜好などは私にはないが、これほどの衝撃を同性から受けたのは初めての経験だった。この少女の容姿はさながら天使のそれを思わせた。


「・・・あの、よろしければ少しお話ししませんか?」

 私はアイスコーヒーのカップを両手に持ったまま直立不動で少女に問いかけた。


「ありがとう、あたしも退屈してたところなの。軍人さんかしら?」

 少女はニコリと笑い、私の軍服に目を留めて答えた。


「ええ、私は水無瀬遼子。連邦陸軍少佐です。」

 私は少女の愛想が予想より良いのに安心して言った。


「あたしはミラルカ。あ、それよりお座りになってください。」

 ミラルカと名乗った少女に勧められて私は彼女の隣の席に座ろうとして、ようやく両手に持っていたカップのことを思い出した。


「あ、アイスコーヒーはいかがかしら?」

 私は口を付けていない方のカップをミラルカに差し出した。


「ありがとう、いただくわ。のどが渇いてたところなの。」

 ミラルカは、ニッコリ笑ってカップを受け取り、すぐに口元に運んで一口飲んだ。


 ごくりと飲み干すとき、白いおとがいが上下するさまに私はまたドキリとした。ともあれ、私は少しほっとして少女の隣に座った。


 それから私とミラルカはおしゃべりを始めた。


「ねぇ、リョウコは日本のどこへ行くの」

「東京よ。私の生まれ故郷なの。」

 正確には「銀の剣」の所在地は埼玉県の朝霞駐屯地なのだが、練馬区に隣接しているし、西東京地区一帯を担当区域にしているので、東京と言っておいてかまうまい。


「そうなの、あたしもこれから東京に行くの。日本のこと、東京のこと、いろいろ教えてほしいわ」

「ええ、でも七年も帰っていないんですもの、もう昔のことばかりかもしれないけど」


「かまわないわ。あたし、古いものの方が好きだから。」

 それから、私は東京のことをミラルカに請われるままに語って聞かせたが、もちろん思い出したくない記憶については避けておいた。


一方ミラルカは、人の話は聞きたがったが、自分のことについてはあまり話したがらなかった。


 かろうじて聞き出すことが出来たのは、年齢が十六歳で、アメリカで生まれ育ったが、両親はルーマニア系だということだけだった。


 ただ、「ミラルカ」という名前には妙に記憶を刺激するものがあった。その時は思い出せなかったのだが。


 しかし、このミラルカとの出会いがその後私と彼女がともに辿った数奇な運命の序曲であったことをその時の私は知る由もなかった。

私も生来話し好きだが、ミラルカが私の話をなんでも熱心に聞いてくれるのでこちらも夢中になって話を続けるうちに時間は瞬く間に過ぎ去り、やがて着陸予告のアナウンスが入り、機窓には東京湾の夜景が見え始めた。中央にひときわ明るく光っているのが連邦の政治中枢が置かれているシャングリラ特別区だ。その中心にそびえる連邦最高評議会ビル、「クリスタルタワー」はここからもはっきり見て取ることが出来た。高さ六六六メートル、現在高さでは世界一の建造物である。ただし現在の政府に批判的な口さがない連中の間では、シャングリラは「ネオ・バビロン」、クリスタルタワーは「バベルズタワー」と呼んばれて揶揄されている。

「ねえ、リョウコはあの中のどこで生まれたの?」

 しばらく無言で夜景を眺めていたミラルカが不意に尋ねた。私は思わず苦笑を浮かべ、

「東京のはずれよ。ここからでは星屑のかけらほどにも見えないわ。」と答えた。

 やがて機は高度を下げ始めた。この機は軍用機なので、東京湾を埋め立てて造られた東京空港ではなく、入間基地に降りるのだ。

 大型輸送機は夜間にも関わらず驚くほどなめらかに滑走路に着陸した。もっとも最近はコンピュータ制御とレーザー誘導によって、航空機の管制塔からの誘導による自動着陸は難しいものではなくなっている。

 タラップを降りた私は指定された待ち合わせ場所の管制塔の一角に歩を進めた。途中、足音が追ってくるのに気付いて振り向くと、一緒に機を降りたミラルカが私に付いてきていた。

「あの、ミラルカ、私はこれから・・・」

 私はミラルカの意図が分からず、彼女を制しようとして言葉を探したが、

「ええ、こっちでいいんです。」

 と、ミラルカは意味の分からないことを言って私を追い抜いていった。ミラルカが走って行ったのは、私が向かっているのと同じ場所だった。そこには四人の人影が滑走路の照明を浴びて佇んでいた。人影は向かって左から長身痩躯の年齢不詳の男、その右隣は中肉中背のメタルフレームの理知的な男、その右に筋肉質のハンサムな中年男、一行の右端には長身で手足が長く、モデルのようなプロポーションと美貌を持った若い女性士官がそれぞれこちらを見つめていた。辞令と一緒に送られてきたデータファイルの記述から、紹介されるまでもなく「銀の剣」の幹部達であると見て取れた。

 私より一歩先んじていたミラルカが彼らの前で立ち止まり、やにわに敬礼をして言った言葉に私は衝撃を受けた。

「ミラルカ・ジーベンベルク連邦陸軍軍医少佐、独立戦隊『銀の剣』の軍医長として着任いたしました。」

 (ミラルカが、十六歳の少女が軍医だって!だいたい、ジーベンベルクといえばまさかあの・・・)

 私はあまりの意外さに混乱していたが、自分も着任の挨拶をしなければならない。

「水無瀬遼子少佐、『銀の剣』戦闘第一分隊隊長として着任しました。」

 私もミラルカに倣って敬礼し、挨拶した。

「ミラルカ軍医少佐、水無瀬少佐、ご苦労。私が『銀の剣』の司令官、ベルンハルト・ヴォルフガング・シュナウファー大佐だ。」

 長身痩躯の男が氷で造られたような無表情な顔と、感情のこもらぬ声で言った。

 名前の通りドイツ系で、ナチの将校のようだ、と私は密かに思った。

「『銀の剣』の主任参謀、パク・ソンドク中佐です。」

 中肉中背の東洋人がやはり無表情のまま言った。データによれば韓国系だ。

「私は戦闘中隊の中隊長、リチャード・マクシモア。階級は中佐だ。」

 ハンサムな中年男が苦み走った微笑を浮かべて愛想良く言った。イギリス系だ。このマクシモア中佐が私の直属の上司と言うことになる。

 続いて、黒髪をショートカットにしたモデルのような美人の女性士官が挨拶した。

「戦闘第一分隊副官のアテナ・ヘレーネ大尉です。水無瀬少佐の着任までは分隊長代行を務めていました。」

 彼女の言葉は抑揚が少なく、どことなく無機的な感じがした。ギリシア系で、名前の通り、ギリシア彫刻の女神像のように端整な顔立ちだ。

 シュナウファー司令が何か言いかけたとき、司令の無線機が鳴り、受話器を手に取った司令は何事か短い会話を交わした。

 受話器をポケットに戻すと、シュナウファー司令は予想外の言葉を放った。

「諸君、世田谷区内でヴァンパイア事件が発生し、首都警察から『銀十字軍極東管区司令部』に『銀の剣』の出動要請がなされた。待機中の部隊主力には本部から直ちに現場に向かうよう指示した。我々はここから直接現場に向かい、そこで部隊主力と合流する。」

 私とミラルカ以外の三人は「了解」の声とともに敬礼した。

 ミラルカの件と二重のショックで呆然としていた私に司令の声が追い打ちをかけた。

「それから、ドクター・ミラルカと水無瀬少佐には着任早々だが、持ち場についてもらう。」

「了解しました!」

 ミラルカは元気な声で答えたが、こんな事態は想像もしていなかった私にはただちに覚悟を決める度胸はなかった。

「そ、そんな、司令、私はまだ部隊の編成も十分把握していませんし、今日のところはヘレーネ大尉に指揮を・・・」

 私は懇願するように上申したが、シュナウファー司令の答えは素っ気なかった。

「電子メールで送った資料には目を通したな。あとはヘレーネ大尉が補佐してくれる。問題はない。」

 司令の言葉には有無を言わせぬものがあった。

「ま、習うよりは慣れろ、さ。」

 マクシモア中佐が口ひげを蓄えた口元をゆがめて慰めとも取れる言葉を私にかけた。

 それはともかく問題はミラルカだ。一行は駐車場に移動した。そこには「銀の剣」の部隊章を付けた四輪軽装甲車が止まっていた。一行が歩を止めたとき、私たちは最後尾にいた。私はそこでミラルカを問い詰めた。

「ミラルカ、あなた十六歳で軍医だなんてどういうことなの?それに配属先が私と同じだなんて。そんなこと飛行機の中では一言も言っていなかったじゃない!」

 ミラルカは私の詰問を涼しい顔で受け流していた。

「それは、すぐにわかることだと思ったから。あと、あたし小さい頃から飛び級を重ねて十四歳で博士号を取って、去年からロスアンゼスルスの陸軍病院で助手をしてたんです。」

 ミラルカが連邦陸軍に彼女あり、と知られるIQ270の天才少女だと知ったのはそれからしばらく後のことだ。

「それと、ジーベンベルクって名前、飛行機の中では言わなかったけれど、ひょっとしてノーベル医学生理学賞を親子で受賞したジーベンベルク親子と関係があるんじゃないの?」

「ええ、それはあたしの祖父と父ですけど。」

「やっぱりね。もういい、わかったわ。これからも仲良くやっていきましょう。」

 私は両手を拡げて大げさにシュラッグし、両手で彼女の磁器人形みたいな白い手のひらを握りしめた。

「ええ・・・はい。」

 ミラルカはあの人を魅する笑みを浮かべて答えた。

 私は彼女の手を握りしめたまま彼女の姿にしばらく見入っていた。ところがふいにミラルカは顔を上げて言った。

「あ、空から・・・」

「え、空がなに?」

 私も空を振り仰いだが、すぐには何のことかわからなかった。だが、やがて、上空からかすかに空気を震わせる音が近づいてくるのに気付いた。そして、夜空をじっと見つめると、赤と青の大きな星が現れ、それが次第に幅を広げ、その間は星影を遮る黒い影となってくるのがわかった。やがてその影は我々の頭上を圧するばかりに迫ってきた。


 黒い影は怪鳥が舞い降りるように私たちの目前の滑走路上に降り立った。VH-4S「アウル」。ティルトローターのVTOL(垂直離着陸)輸送機で、連邦軍の正式機だが、「銀十字軍団」の装備するS型は夜間低空航法能力などが付加されているらしい。

 私たちは駐車場に停まっていた二台の四輪軽装甲車に分乗した。二台とも外見は同じ型のもので、連邦軍の汎用軽装甲車LATV-3(Light Armored Tracked Vehicle-3「ウェアウルフ」の指揮通信・情報処理機能を強化したLATCV-3(Light Armored Tracked Command Vehicle-3)戦術指揮車だ。

 ところで、地球連邦の成立に伴い、世界の軍備は大幅に縮小された。それに伴い、軍需産業の多くも改廃統合されて政府管轄の単一の公営企業となり、生産量も戦前に比べて著しく減少した。そして兵器の需要のほとんど全ては地球連邦軍の調達によるもので、残りごく僅かの小火器などが警察組織などのためのものとなり、生産量に見合っただけしか開発コストをかけられなくなったため、基本設計や部品の共通化が徹底してはかられている。開発コストの問題で、競争試作などはコンピュータによる基礎設計の段階を除いては行われず、上述のアウルやウェアウルフのように改修型も可能な限り基本モデルの最小限の改修で済まされている。いわゆるマスプロ方式だが、国境のない全世界の連邦軍で同じ兵器が使われているのだから、生産効率は良いかも知れないが、世界のミリタリーマニア達は大戦前までの世界各国の軍隊の多種多様であった兵器を懐かしんでいるという。

 彼らのノスタルジーはさておいて、もっと重大な問題がある。地球連邦成立とともに世界中の軍需産業は連邦兵器局に統合され、その需要は大戦前に比して著しく減少したため、大戦後の混乱期まで世界に兵器を供給していたいわゆる「死の商人」は表向き姿を消したが、世界でなお絶えることのない民族紛争、反連邦闘争の影には、今もなお彼らが命脈を保っているという。ヴァンパイアゲリラ達もまた、彼ら「兵器密造・密輸シンジケート」から兵器の供給を受けていると言われているが、「銀十字軍」諜報部にもその全貌は掴めていないという。

 装甲車二台のマーキングをチラと見たところ、2台とも「銀十字」、「銀の剣」の部隊章とともにパーソナルネームが入っているところから、シュナウファー司令とマクシモア中隊長の専用車であると知れた。私はミラルカとアテナ大尉の三人でマクシモア隊長の専用車に乗り込んだ。

 この装甲車のベースは八人乗りだが、指揮型のこの車両は指揮・通信設備(いわゆるC4I(クワッドアイ)システム)にスペースを割いているため七人乗りだ。我々三人が後部座席に乗り込むと、車内にはすでに三人のクルーが乗り込んでいた。操縦席のドライバーと二列目に座っている二人のオペレーターだ。我々が席に着くと三人はこちらへ振り向いて一斉に敬礼した。

「戦闘中隊チーフオペレーター、ミリアム・マーガレット中尉です。」

 二列目左のブロンド美人の女性士官が最初に名乗った。彼女はオーストラリア系だった。

「同じくサブオペレーターのチン・ルーファ少尉です。」その右の席の女性士官は中国系だった。

「ドライバー・サブオペレーターのトーマス・ウィリアムス少尉です。」

三人目に操縦席の若い黒人の男が名乗った。アメリカ系である。

この戦闘指揮車のドライバーはオペレーターを兼務しているのだ。三人とも若く、二十代と思われたが、おそらく「銀の剣」の構成員に相応しいだけの能力を持っているのだろう。


 最後にマクシモア中佐が前席右側のコマンダーズシートに乗り込み、右手を軽く振った。同時にウィリアムス中尉がライトをパッシングする。すると前に停車していたシュナウファー司令の車が動き出し、エンジンをアイドリングしたまま後部ハッチを開いて待機していたVTOL輸送機「アウル」の腹の中に飲み込まれていった。間を置かず我々の乗った中隊長の車も後に続いた。

 ”アウル”の内部は意外に広かった。私はこれに乗るのは初めてだったのだ。

 歩兵戦闘車や装輪兵員輸送車を丸ごと空輸できるこの”アウル”はVTOL(垂直離着陸)で約二十トンのペイロード(積荷重量)がある(短距離離着陸ではさらに増える)。今日のような軽装甲車二台くらいでは十トンにも満たず、さしたる負担にはならない。

 私が物珍しげに周囲を見渡している間に機内整備員が駆け寄ってきてタイヤ止めなどの固定具を取り付けていった。

 まもなく機内にブザーが響くと、上りのエレベーターに乗ったようなGが体にかかり、機が離陸したことが分かった。前後左右の揺れなどはほとんど感じなかった。パイロットの腕がいいのか、フライバイワイヤとかいう飛行制御技術の発達によるのものかは、その方面の専門家ではない私には判じかねた。少なくとも何度か乗せられたヘリよりはずっと乗り心地が良いと言えた。

 機が水平飛行に移ると、後列中央に座っていたアテナが、

「時間がありませんので、到着までにこれを身に着けてください。」

 と言って、膝の上に抱えていたかなりの量の装備品を順番に私に渡してよこした。

 それにしても、着任早々の実戦で、専用装備まで揃えてあるとはなんとも準備のいいことだ。

 まず、黒いつなぎのアサルトスーツと手袋とシューズ。アテナをはじめ「銀の剣」幹部達が最初に会ったときから身に付けていた服装だ。防弾ジャケット、.45ACP実包のAP-3自動拳銃の入ったホルスターやコンバットナイフ、拳銃とカービンの予備弾倉、その他各種小物の付いたストラップファーネス、ランドセルを少し薄くしたようなバックパックには戦術コンピュータと通信機、衛星ナビゲーションシステムなどが収められている。そしてフルフェイスのヘルメットには暗視装置、ガスマスク、ヘッドホン、マイクなどが内蔵されている上に、各種情報をバイザーに投影するHUD(ヘッドアップディスプレイ)を内蔵していて、バックパックに内蔵されたコンピュータと通信機により、いわゆるGPS(Global Positionning System)と呼ばれる衛星航法システムによる自分と部隊各員の位置の表示、その他各種の情報表示など一昔前の戦闘機の火器管制システム並の機能を有する。一般兵士用のものは二年ほど前まで特殊戦訓練学校での訓練で使用したが、すでにバージョンアップされている上、「銀十字軍団」専用にカスタマイズされており、しかも私が受け取ったのは指揮官専用で分隊の他の兵士とは仕様が多少異なり、指揮・通信機能が強化されているという。

 最後にAR-4Cカービンを受け取った。これも原型は連邦軍標準装備のAR-4アサルトライフルの銃身を短くしたもので、原型がもともと全長の短いブルパップ型(弾倉と機関部が引き金より後ろにある)のため、狭い場所での接近戦での使用がいっそう容易となっている。銃身の下にはオプションの40ミリグレネードランチャーも装着している。

 ヘルメットを被りバックパックのコンピュータの電源を入れるとシステムが立ち上がり、バイザーのHUDにメッセージが表示された。カスタマイズされていると言っても基本ソフトは前に使っていたものと同じだから操作に戸惑うことは特にない。

 システムが起動してまもなく、

「今晩のミッションのデータは転送済みだ。今のうちに見ておきたまえ。」

 ヘルメットに内蔵されたヘッドホンからマクシモア中佐の声が入ってきた。

 私はあわてて、

「了解。」

 と、マイクを通して答えた。それからコンピュータに入っている情報を大急ぎで見ているうちに、機体に減速がかかり、ついで下降のマイナスGがかかってこの輸送機が着陸態勢に入ったことがわかった。

輸送機アウルは環状八号線に着陸した。無論交通規制が敷かれている。接地も滑らかなものだった。我々の乗る中隊長の指揮車と司令のそれは順番に道路上に降り立った。GPSの指示によると事件発生地点からは少し北よりのところだ。GPSマップですぐ近くに戦闘中隊の主力、そして医療班の車両がいることも確認できた。

 中佐の指揮車は第一分隊の装輪装甲車の前まで行き、私とアテナを下ろして走り去った。医療班にミラルカを送るためだろう。

 私が下車するとき、ミラルカは「気を付けて。」と真顔で言い、私は「ありがとう。」と笑って答えた。

 指揮車を降りると目の前に水陸両用装甲車ACV-5S(Amphibious Combat Vehicle-5 Type-S)「トータス」が停まっており、その前に第一分隊の戦闘員十名とトータスの操縦手一名が整列していた。私とアテナを加えた計十三名が第一分隊の全員だ。

 集結地点には意外にも我々第一分隊しかいなかった。戦闘中隊は四個分隊編成のはずだ。

 私は驚いて、中隊長に尋ねた。

「中隊長、他の分隊はどうしたのですか?」

「第二、三分隊はパトロール中、第四分隊は準待機、よって待機中だった第一分隊のみで作戦を開始する。多摩にいる第二分隊が現在こちらに向かっている。データは機内で送ったはずだ。」

 パク主任参謀の声が答えた。

「戦闘中隊は速やかに任務を遂行せよ。」

 と、シュナウファー司令からの通信が入った。続いてマクシモア隊長からは、

「聞いての通りだ。」

 と、だけ言ってきた。

 ヴァンパイア事件は時間が経てば経つほど被害が広がる。増援を待っている余裕がないという、司令の考えはもっともだった。

 私とアテナは第一分隊の兵士達の前に行ってまず敬礼し、

「今日着任した分隊長の水無瀬遼子です。諸君のパーソナルデータはもう閲覧済みですから、挨拶は結構。早速作戦行動を開始します。」

 そう言うと私は彼らをさっと見渡し少し不安になった。若い。想像以上に若過ぎる。いや、年齢などはデータを見ていたから知ってはいたが、実際に見た印装はそれ以上に若く、ベテラン揃いの精鋭には到底見えなかった。平均年齢は23.6歳。二十七歳の私より年上は二人しかいない。女性が多いのも特徴的だ。私とアテナを含めて13人中5人。この割合は連邦軍全体の女性兵士の割合が三割程度で、大部分は後方勤務で実戦部隊では一割に満たないことを考えると突出した数字と言えるだろう。また、「銀十字軍」麾下の戦隊の戦闘中隊の隊員は大部分が士官であるということも特徴である。かくいう私も特殊戦訓練学校卒業時から「銀十字軍」に志願はしていたが、陸軍大学卒とはいえ、卒業後約一年の間に大した功績もないのによもやいきなり少佐で銀十字の分隊長とは思いも寄らぬことだった。ともかく私はこれから若い彼らを率いて戦っていかなければならない。本当は私が一番不安に思っていたのは、私自身の若さ、未熟さだった。今日が私にとって事実上、指揮官としての初陣だったのだ。


「最後のヴァンパイア目撃情報は30分前、位置はマップに示したとおりだ。第一分隊は東北から、目撃地点に向かって警戒前進し、発見し次第速やかに殲滅してくれ。」

 マクシモア中佐の命令が入った。

「聞いての通りです。分隊、トータスに座乗して移動開始。アンダーソン中尉、前方の警戒にセンサードローンを発進!」

「了解、新隊長!」

 隣の席のアンダーソンが即座に答えた。彼はトータスのドライバー・オペレーターである。センサードローンとは上空からの警戒のために、各種センサーを搭載、中隊指揮車、分隊長の私、トータスのオペレーターのいずれかの命令で操作できるが、不時の際に備えて自立飛行も可能になっている。オプションで小火器を搭載することもできる。

 私はトータスのコマンダーズシート(車長席)に乗り、残りの隊員十一人が乗り終わるのを確認してアンダーソン中尉に発進を命じた。

 我が分隊の足であるトータスは軽合金を装甲に使用し水陸両用で、操縦手と、完全武装の兵士12名を搭載でき、標準武装として40ミリ自動擲弾発射機(オートグレネーダー)とMG2・12.7ミリ重機関銃(Cal.50)を装備している。いずれも対ヴァンパイア戦における汎用支援火器として重要性が高い。VTOL輸送機アウルには2台まで搭載できる。

 我々は目撃地点に向けてほぼ最短経路で進んだ。最後の目撃情報は30分前、ヴァンパイア側も発見されたことを察知しているとすれば同じ場所にとどまっているとは考えにくい。目撃者は首都警察の警察官。目撃されたヴァンパイアの人数は30人あまり。文字通りに受け取ればかなり大規模な集団と言えるが・・・・明らかになっている被害者の数は3名。報告されているヴァンパイアの人数に比べると、比較的少ないと言えるが、発見が襲撃の初期であったのかも知れない。

 最初の発見場所はかなり老朽化した建物も多い住宅地。東京の人口は大戦とその後の混乱期に五分の一以下にまで減少している。かつての住宅地はほとんど無人化しているところも多い。当然ホームセキュリティシステムを備えた住居も少なかったが、警邏中の警察官が遭遇し、ヴァンパイアの襲撃が大規模で警察の手に余ると判断して、首都警察本部が横須賀の「銀十字軍極東管区司令部」に「銀の剣」の出動を要請し、同時に区内の住民に外出禁止命令を発している。不用意に外出した民間人は誤射されても文句は言えないのだ。

 23時50分。作戦開始後、15分。上空を先行していたセンサードローンの赤外線センサーが約800メートル北方に目標を探知した。前述の理由で民間人の可能性は低いから、襲撃を重ねながら北上してきたヴァンパイアの可能性が高い。

「ごらんの通り目標を確認しましたが、どうなさいますか?」

 隣のアンダーソン中尉が尋ねてきた。

 私はうなずくと、分隊全員に命令を発した。

「目標は襲撃を終えて離脱する途中と思われます。分隊は敵の前方300メートルで下車して待機、敵と遭遇し次第、その先頭を叩きます。」 

 センサードローンの報告では、目標の数は約11体、速歩の速度でほぼ北北東に進んでいる。目撃情報に比べて数が少ないが、敵の数を過大に見積もるのは戦場ではよくあることだ。報告者が経験不足で敵に恐怖心を持っているときにはなおさらである。

「待て、水無瀬少佐。第二分隊との合流を優先した方が良くないか?」

 マクシモア中佐から通信が入った。

「このままの進路で行けばあと約5分以内に敵と接触します。敵は初期情報より少数です。第二分隊との合流を待っていては敵を取り逃がすおそれがあります。」

 私は早口で答えた。

「十分慎重に行動したまえ。」

 中佐はそれだけ言って通信を切った。

 まもなく我々は会敵予想地点の少し手前で下車し、敵が侵入してくると想定される十字路の周辺で配置に付いた。

 「銀の剣」戦闘一個分隊は三個班より構成される。前衛班は主に近接白兵戦闘を主体とし、第一分隊中の班員は現在三名。遊撃班は主に中間距離での火力戦闘を主とするが、状況によっては白兵戦闘を行うことも少なくない。班員は現在四名。後衛班は火力支援、狙撃など後方支援を主とするが、対ヴァンパイア戦闘では状況に応じて柔軟な対応が求められるため、全員が近距離の射撃戦や白兵戦の技量にも長けているという。現在の班員は三名。

 隊形は前衛三名が先頭に立ち、遊撃四名が二人ずつ両翼を固め、中央に私とアテナが位置し、その後方に後衛三名が備える。さらに後方にはトータスが控えている。

 それから2分ほど、我々第一分隊は敵との会敵予想ポイントに向かって速歩で進んだ。

 センサードローンの情報から解析した敵の数は13体に修正された。何人か被害者を連れているようだ。警察や軍に保護された被害者は施設に収監されるからヴァンパイアの戦力の増加にはならないのだ。

 その後まもなく、路地の曲がり角で待ち受けた我々は暗視装置を通して敵の姿を捉えた。距離はすでに200メートルを切っている。ただちに画像解析プログラムが敵のデータを分析する。自分の足で立っているのは10人。4人は被害者と思われる人間を担いでいる。残りの6人のうち4人は銃か何かを持っているようだ。

 我々の姿を認めたヴァンパイア達は足を止めた。服装はまちまちだが、外見上は人間と変わらない。

「全員、10秒以内に、地面に俯せて両手を頭の後ろに組みなさい。さもなければ射殺します!」

 私はカービンを手に言い放ち、ヴァンパイア達の行動を待った。対ヴァンパイア戦においては戦術的奇襲であっても誤射を防ぐための規定なのだ。

「1、2、3、あっ!」

 私がそこまで数えたところで、ヴァンパイア達は突然被害者を放り出し、踵を返してもと来た方に脱兎のごとく逃げ出した。

 一瞬あっけにとらえた私に、

「隊長、命令を。」

 と、アテナが促した。私は彼らが闇雲に攻撃に出てくると思い、待ち受けていたのだ。

「全員追撃!」

 私の号令一下、分隊は追撃を開始した。

「グレネードランチャー、麻痺弾発射!」

 ヴァンパイアの生命力はおそろしくしぶとく、外傷で殺すには脳か心臓を完全に破壊するかしかないとさえ言われている。毒物に対する耐性も人間とは比べものにならないが、それでも一時的に運動を麻痺させる程度の効果のある薬物は開発されている。

 遊撃班、後衛班そしてトータスの発射する麻痺弾は逃走するヴァンパイア達の後尾に集中し、3人が足をもつれさせて倒れた。

「小銃弾撃て!」

 遊撃班のカービンと後衛班の軽機関銃からセミジャケットホローポイント弾が倒れたヴァンパイアに撃ち込まれる。先端の被帽を切り欠いて鉛の弾心を露出したこの弾は貫徹力の高い徹甲弾より組織破壊力が大きくヴァンパイアには有効なのだ。なお、この「銀十字軍団」専用の対ヴァンパイア専用弾は、弾心に銀色のアルミニウム合金のキャップを被せており、通称「シルヴァー・ブレット」と呼ばれている。ヴァンパイアが銀の武器でなければ倒せないという伝説にちなんでの命名だ。

 我々は倒れたヴァンパイアへのとどめをトータスに任せて、先行する一団を追った。ヴァンパイアの運動能力は人間を遙かに凌ぎ、十分に鍛えられた「銀の剣」の兵士と言えども重装備を身に付けていては軽装で全力疾走する彼らに追従するのは困難である。だから、麻痺弾を使ったのだが・・・・センサードローンの情報でヴァンパイアとの相対距離は徐々に縮まっていることがわかった。一時300メートルまで離されていたのが、遭遇時と同じ200メートルまで詰めてきていた。しかし、相手は狭い小路を縫うように逃げており、なかなか、攻撃のチャンスがない。

 トータスのアンダーソン中尉を呼び出してみた。

「敵の後方に回り込めそうにない?」

「はい、ただいま本隊の200メートル後方にいますが、狭い路地が多くて、追従が困難です。」

 と、アンダーソンが答えた。トータスの車体は極力コンパクトに設計されてはいるのだが、大型乗用車よりははるかに大きい。やむを得ない。ここは本隊だけで戦うしかない。

「高千穂中尉、アンダーソン中尉、オートグレネーダーで麻痺弾の間接射撃は出来る?」

 私は足を止めずに分隊後尾にいる後衛班の班長、高千穂とトータスのアンダーソンに訊いた。

「お互いに移動しながらの正確な照準は困難ですが、散布弾なら多少は効果があるでしょう」

 高千穂はやや自信なげに答えた。

「こっちはコンピュータ任せですから」

 アンダーソンは気楽な口調で言った。

「構わないわ。ふたりともやってちょうだい。」

 私はふたりに命じた。

走り続ける私の後ろから連続した発射音が響き、わずかの間をおいて前方で弾着音が響いた。それが何度か繰り返されるうち、次第にヴァンパイアの集団の移動速度が遅くなってきた。麻痺弾の散布射撃が効いているらしい。

 直線距離で150メートル。しかし、このとき私は気が付いた。ヴァンパイアの集団が逃走してきた末にたどり着いたのは、最初に目撃された場所のすぐ近くであることに・・・・なぜ?心に芽生えた疑問の回答を得ることなく、私は分隊に前進を命じた。敵は袋小路にいるはずだ。もう逃げることは出来ない。

 小径を抜けるとまさに敵は袋小路の行き止まりにいた。勝った。そう確信した私が攻撃開始を告げるべく手を上げかけたとき、ヴァンパイアの一人が声を発した。その直後、左右の古い住宅からわらわらと人影があふれ出て、私たちを包囲した。何割かは武器を手にしている。

「ブービートラップ・・・」

 私は口に苦い味を感じながらつぶやいた。逃げられなくなったのは我々の方だった。ヴァンパイアは最初から我々をここに誘い込むために逃げるふりをしていたのだ。 

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