第25話 それぞれが向かう先



 ある貴族の邸の廊下を音もなく歩く3人の人物。


 1人はこの邸の主人に仕える執事。残りの2人は、主人に雇われた闇ギルドの暗殺者。


 案内役の執事の後ろを歩く2人の内の1人の女はサイドテールを揺らして隣を歩く紺色のローブの男に、さっきから話し掛け続けている。


「いや~大変だったね♪」

「・・・」

「そんなに機嫌悪くならないでよ~」


 返事が無いのも気にせずに話し掛けているのはヴォギュエ伯爵邸から転移で逃げた夢色蝶むしょくちょう。そして話し掛けられ続けても返事をしてないのは氷鼠ひょうちゅう。足音はおろか気配すら感じないのとは裏腹に楽し気な声で夢色蝶はまた一方的に氷鼠に声を掛ける。


「わたしぃ、あーいう大規模な魔法をどうにかするのは苦手なんだよねぇ♪氷鼠くんはどう?」

「・・・対処は可能だった」

「あれぇ?そうなの?…ああ、氷魔法が得意だったね~、ふふっ」


 相変わらず喋らない氷鼠だが、何時もより魔力が漏れ出て、返事の声も不機嫌そうだ。そんな氷鼠とは逆に夢色蝶は常に笑顔で機嫌が良さそうに見える。


「…もう少しでお嬢様のいらっしゃる部屋に着きます。静かにしていただきたく」


 そんな2人の前を歩いていた執事は振り返ると一言だけ注意を口にして、また歩く。


 その体幹がぶれない歩き方と気配から貴族家に仕える影の1人であるとは気付きつつも態々口には出さず、暗殺者2人は返事を返した。


「りょ~かい、執事さん…!」

「・・・」


 返事そのものは、仮にも雇い主の執事にとる態度ではなかった事に執事は小さくため息を吐いた。


「氷鼠くんも返事しないと、ね?」

「注意されたのはお前だろう・・・」

「え~?心外だなぁ。んふふ」


 注意された事も忘れたのか、気にしていないのか、また夢色蝶が氷鼠に話し掛け続け、目的の部屋に着いた。


「…お嬢様。伯爵に付けていた2名が帰還いたしました」


 執事がノックをして、中にいる主人に要件を伝える。


「お入りください」


 少しして侍女が扉を開き、中に入った執事は美しい調度品の中にいても見劣りしない美貌を放つ令嬢の前に跪いた。


「帰還したよ~雇い主様、ふふっ」

「・・・・・」


 夢色蝶は立ったままウィンクつきで、氷鼠は軽く頭を下げて、彼等の雇い主にそれぞれの方法で敬意を払う。


 1拍置いて、麗しい声が部屋に響いた。


「そう。ジュスト、案内ご苦労様。…2人も任務ご苦労様。早速報告をしてくれるかしら」


 若く、それでいて威厳と落ち着きを兼ね備えた令嬢、ロサノワール・フィオレンツァ・ラフィシルト公爵令嬢は執事のジュストへの労りと、雇いの暗殺者からの報告を訊く。


 その言葉に待ってましたといわんばかりに夢色蝶が話し出す。


「もちろん!仕事だからねぇ。頑張ったんだよ?ふふっ、まずは…あ。伯爵は処理したよ!煩かったしぃ、だったからねぇ」

「そう。無事に終わったようで何よりだわ」

「でもねぇ。エルテちゃんは無事に奴隷に落とせなかったよ」


 伯爵の最期には興味の欠片もない。処理の報告さえ聞ければ満足だが、次に夢色蝶が言った言葉はわたくしが、今1番気になっていた事だった。予定通りいったようではなさそうな言葉に鋭い視線を向ける。


「…それはどういう事かしら?」

「邪魔が入っちゃったんだよ。雇い主様の愛する人の、ねぇ」


 魔力を夢色蝶に掛けて訊いたが、返ってきた言葉に僅かに目を附せて深く息を吐いた。


「……やはり伯爵に任せたのは間違いだったようね」

「いやいや~。伯爵は頑張ったよ!わたしと氷鼠くんが既に雇われていて、監視の為に送り込まれていた事にすら気が付かなかったし、自尊心が強くて見た目も悪いけど、ふふっ」


 伯爵を一欠片もフォローするつもりの無い夢色蝶を見つめ報告の続きを促す。その視線に気が付いたのかニコリと笑い、


「ああ!王子様の対応は氷鼠くんがしたよ。ねぇ♪」


 報告の続きをするのかと思いきや、氷鼠に話を振った。


「・・・・」


 突然、話を振られた氷鼠はいつもと変わらず沈黙していたが、心なしか部屋の温度が下がった気がする。と全員が思った。


 いえ、部屋の気温ごときよりも聞かなくてはならない事があるわ。


「殿下にお怪我はさせていないでしょうね」


 これは雇う際に交わした契約の文言の1つに入っている事だ。


『第3王子ルスフェン・ロネ・ヴォヌレに取り返しのつかない怪我を負わせない』


 この契約を破る事は許されない。


「契約は守った・・・」

「ならば良いわ。続けなさい」


 返答次第では罰を与える事も考えていたが、どうやら平気そうだ。それなら問題はあの村娘だけ。


「えっと、それで伯爵が雇った名無しの子達とエルテちゃんを殺そうとしたんだけど…んふふ!騎士と影に邪魔されちゃった♪」

「…それで、どうなったのかしら」

「んー。部屋の外で戦っていたらねぇ。邸を飲み込もうとする水の塊が現れて~慌てて逃げて来たよ!」

「では、村娘は殿下の元に?」


 自分で口にしても腸が煮えくり返るようだ。やはりあの村娘は凄惨に処分しなければ。殿下に悪影響を与えるばかりだわ。


「…その可能性は低いかなぁ。ふふっ、逃げる前に部屋を見たけど死体だけで誰もいなかったしぃ、影や騎士が手に入れた様子も無し。王子様の様子はどうだった?」

「抜かりはない。・・・契約なのでな」

「そっか。なら逃げたんだろうね~」


 怒りと嫉妬で魔力が溢れかけたが聞こえてきた会話に、まだ殿下の手の中にいったわけではない、と落ち着く。


「今もまだ、伯爵領内にいる。と?」

「うん!そうだと思うよ?」


 夢色蝶の返事に少し俯き、思考を巡らせる。


「…………ジュスト。彼等に連絡を」


 考えをまとめ終えたわたくしは顔を上げてまず、案内をした後部屋で控えていたジュストに指示を出す。


「かしこまりました」


 一言で察し、礼をして部屋を出ていったジュストが見えなくなる前に、次は傍で控えていた侍女に顔を向けた。


「マヤ。今からいう事を闇ギルドに伝えて」

「はい。お嬢様」


 長年仕えるマヤも礼をしてわたくしが言った言葉を伝えに言った。最後に部屋に残った2名の暗殺者にも声を掛ける。


「2人とも、契約は続行よ。追加の金も弾むわ。協力、してくれるわよね?」

「い~よ♪」

「・・・」


 相変わらず軽い態度で了承した夢色蝶と小さく頷いて意思を示した氷鼠を客間に案内させて、わたくしはガランとした部屋でジュストとマヤが戻って来る前に考えを書き記す。


「フフ、わたくしは何年もずっとずっと殿下をお慕いしていたのよ。たった数回しか話した事の無い村娘ごときには渡さないわ」


 振り返り、部屋の窓から見える月明かりの優しく包み込むような光を見つめる。


 殿下の筆頭婚約者候補になるためにした血の滲むような努力も、素っ気ない返事ばかりでも何度も開催して交流したお茶会の時間も、奪わせはしない。


わたくしが、1番殿下の隣に立つのに相応しい」


 だから、消えて頂戴。



 ◇◇◇



 ヴォギュエ伯爵邸で証拠品などの捜索中の第6騎士団。


 その団長であるルスフェンは捜索が終わった部屋で休んでいた。部下である影の報告を聞きながら。


「…殿下。申し訳ありません。街中を捜索いたしましたが、花の居場所は未だ不明です」


 影からの報告は願っていたものとは違った。深いため息を吐いて、指示をする。


「まだこの領地内部にいるのは確実だ。クエスに伝えろ早馬を出せ、とそして周辺の街と特に領地の境にある街にエルテの事を報せろ」

「はっ。かしこまりました」


 指示を聞いた影がいなくなり、1人になると深くソファーに体を預けて天井を見上げる。


「…あぁ。エルテ。どうして私の側からまた離れる?」


 頭の中を占めるのは1人の愛しい少女の事だけ。


 触れるどころか声すら聞けなかった。愛しいのに、何よりも愛しているのに、何処までも遠い少女。


「まさか…」


 エルテと話せなかったからか、ある悪い考えが頭を過る。


 エルテは私から逃げたんじゃないか?


 否定は出来ない。前回も今回も、騎士はおろか私にすら何も伝えずに何処かへ去ってしまったから。普通なら、離れるとしても何処に行くのかヒントくらいは残すものじゃないのか。


「いや。どちらでも同じか」


 それでも、と思い直す。


 エルテがナニから逃げていたとしても関係ない。私がエルテを手に入れられればそれでいい。それ以外は望まない。


「一刻も早くエルテを保護する。そうすれば2度と私とエルテは離れる事はないだろう」


 手足を無くして私がいないと生きていけないようにするのも良いが…。


 エルテに奴隷紋を施すのもいいかもしれない。他の男と喋ったり、屋敷の敷地から出れなくさせられる。一生安全な場所に置いておける。


 何よりこの方法ならエルテを傷つけない。


「早く、早くエルテに触れたい…」


 エルテがいないのが、日に日に辛く感じる。こんな感情は、想いは他の誰でも感じられなかった。


「……やはり、エルテだけなんだ。エルテだけが、エルテこそが、相応しい」


 今回、エルテは外の危険を充分に味わった筈だ。その危険から、辛い事から私が離してあげよう。


 待っていてね。



 ◇◇◇



 ヴォギュエ伯爵領内、ヴォギュエ伯爵邸がある街ドコート近くを流れる川。


 その川を下った下流にある森にて。


「ックシュ!」


 ある少女のくしゃみが夜の森に、響く程ではないが、くしゃみをした。


「ぅぅ、寒い。温まりたい…」


 水魔法で余分な水分を取っただけで、僅かに残った水分でヒンヤリとしている服を擦りながら夜の森を歩く。


 水路を歩いて逃げた私は水路の終わりに着き、そこから繋がっていた川を泳いだ。


 それはもう大変だった。


 魔力がないからずぶ濡れで重くなった服でも我慢して頑張って泳いで、


『グギャア!』


 川の中にいる魔物から逃げたり、倒したり、倒した魔物が流れないように水草に絡ませて、他の魔物がそれに夢中になっている間に逃げたり、兎に角頑張った。


「火、着けたいなぁ。はぁ…」


 そして川から上がった今も頑張って移動している。


 ケイシー、いや夢色蝶を含めた者達や、第3王子とその騎士達が街中を捜索している(そうであってほしい)間になるべく遠くに行きたい。


 徒歩ではたかが知れてるが、それでも歩く。


「今日みたいな日がもう1回来ることはきっとない」


 第3王子だけでもヤバいのに、他の闇ギルドの暗殺者とかからも逃げられたなんて幸運は早々ない。


 でも、逃げられたからこそ次はきっと今日よりも逃がしてくれなくなる。


 どうにかして遠くに行かないと。冒険者ギルドの護衛依頼はまだ受けられないし、他の方法で…。


「…あ。これはいらないし、捨てちゃおう」


 冒険者ギルドで思い出した私は、首に下げていた冒険者カードを川に投げる。


 投げた冒険者カードはキラリと月明かりを反射して宙を舞い、水が少し跳ねて川に流されていった。


 何処にいったのかわからなくなった冒険者カードに、あの短く楽しかった旅に別れを告げる。


「…エル、はあの旅でおしまい。バイバイ、ケイシー。元気でいてね、ココ」


 何となく川を見ていた私は、暫くしてまた歩き出した。


 どんなに素晴らしい身分もお金も容姿も知識も武術も、何もかも揃った完璧な王子様がいたとしても、その完璧な王子様に心から愛されているのだとしても、性格1つで恐怖して拒絶した私は王子様の、第3王子の運命の相手ではないのだろう。


 きっと運命の相手なら、あの性格でも愛せた筈だ。


 きっと何処かに本当に王子様に相応しい相手がいる筈なのだ。


 確実な事は1つ。


「私は運命の相手じゃない」


 1度恐怖を覚えた相手を愛せる程、私の心は純真じゃない。






 ────────────────────


 お読みくださりありがとうございます。


 これにて『一章 王子様に相応しい者』は終わりになります。

 番外編を数話ほど投稿する予定です。

 二章は執筆した後、投稿となります。

 王子様から逃げる少女のお話の第二章を待ってくださると幸いです。




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