第2話 村娘が王子から逃げる物語




 ◇◇◇


 ルスフェン王子殿下から告白され、滞在中に返答を迫られている私は、告白した本人であるルスフェン王子殿下が畑仕事を手伝う姿に見慣れて来た…ような気がしなくもなくもない滞在4日目の早朝。


 ルスフェン王子殿下と私は畑に来ていた。


「やぁ!おはようエルテ!」

「おはようございます。ルスフェン王子殿下」


 まだ日が昇る前から他の村人と混ざって今日の作業についての話をしているルスフェン王子殿下は、シンプルな服装なのに高貴さが消えていない。


「エルテも手伝いに来たのかい?」

「はい、そうです」

「ふふ、それじゃあ一緒に頑張ろうね」

「よ、よろしくお願いします」


 今日は畑の野菜の間引きと雑草取りだ。相変わらずルスフェン王子殿下が手伝いをするには地味な作業。


「・・・あの、1つお訊きしたい事があるんですが訊いてみてもいいですか?」

「勿論。何でも訊いてくれ」

「その、失礼だとは思うのですが、えっと…どうして私にこ、こくはくをしたのかを教えてくれませんか?」


 隣で静かに雑草を採り続けている作業中のルスフェン王子殿下にずっと気になっていた事を訊いた。


「‥‥ああ。確かに言ってなかったね。そうだな。……昔、エルテに会って私の世界が変わったんだ」


 ルスフェン王子殿下は懐かしむような目をして、話し始める。


「城下町を歩いていたら迷子のエルテに出会って、話を聞いて、無垢な笑顔を向けられた。私はその瞬間に恋をしたんだよ」

「……そうなんですか…」


 話を聞いても私は思い出せなかった。だが、そう言えばお母さんが『昔、王都に行った時にエルテが迷子になって捜し回ったわ~』なんて前言っていた気がする。その時に会ったのだろうか。


 そんな事を考えながら、ルスフェン王子殿下に顔を向けるとちょうど朝日が昇り、日の光が畑とルスフェン王子殿下を暖かく照らしだした。


「だから、エルテ。私は貴女を愛しているよ。出会った日からずっと」


 幻想的な光に照らされたルスフェン王子殿下が私の方を見詰め、微笑んで言う。


 その言葉に心臓が跳ねたような気がした。


 私は恋をしたことは無い。恋の感情なんてわからない。けれど、今私の顔が熱いのは、ルスフェン王子殿下を見ていると落ち着かない気分になるのは、『恋』と呼ぶのだろうか。


 胸をぎゅっと握りしめ、朝日を見る。


 眩しい朝日が何時もよりずっと美しく見えた。



 ◇◇◇



「ふぅ、こんなものかな」

「あら、ありがとう。エルテちゃんが来ると助かるわ~」

「いえいえ、私もお手伝い出来て良かったです」

「おかーさん。エルテだけじゃなくて、私も褒めてよー」

「ハイハイ、肥料撒くのを終わらせたらね」


 私は今、テーリェの家が管理している畑の水やりをしていた。


 自分の気持ちを自覚した私だが、まだルスフェン王子殿下に伝えられてはいない。あの後、私はそそくさと離れたし、まともに話せる気がしない。


 顔を合わせるだけで恥ずかしい。


 なので、困った時の農作業!とテーリェの家の畑のお手伝いに行った。無心になれば、荒ぶる心を鎮めて話せるようになるんじゃないか、と考えたからだ。


 結果。


「・・・ぅぅ」


 朝から昼まで汲んだ水を魔法を使って畑に撒く作業をしたが、ふとした瞬間にルスフェン王子殿下の声とか、顔とかが浮かんでしまい、あまり意味はなかった。


「ねぇねぇ、エルテ」

「なに?」

「王子殿下と何かあった?」


 集中して水撒き作業していればきっといつか、無心になれるはず、と作業を再開した私に赤茶の髪を揺らしながらテーリェが近づき直球の言葉を投げてきた。


「ッ!な、ないよ」

「フフフ、その反応はあるやつでは!?教えてー!」

「だから無いって!…あっ、おやつ忘れちゃったー取りに行ってくるー」


 その言葉は、今の私には受け止められない。


 テーリェの追及から逃げようと、持ってきていた姉からのお土産の街のお菓子を探したがちょうど忘れていたらしく、取りに戻る事にしてその場から逃げた。


「ちょっとエルテ!何があったのか教えてよ~!」

「あんたは作業しなさい」

「うぇぇん!」


 追ってこようとしたテーリェだったが、母親に止められて泣く泣く土魔法を使った肥料を撒く作業に戻った。




「急にあんな事を訊くなんて…」


 無事にお菓子を取ってきた私は、テーリェの対応について考える。


 恐らく、あのタイミングで訊いてくるということは、勘づいたのだと考えていい。テーリェはこの村で一緒に生まれ育った幼馴染と言える存在だ。気付くのは早いし、誤魔化しも効かないだろう。さっきは不意討ちだったから逃げてしまったが、次は素直に話せ…るかな。どうだろう。


「エ~~となかーーーめるーー~~」


「この声って…」


 悶々と考えながら歩いていると、声が聞こえてきた。遠くて分かりにくいがルスフェン王子殿下の声のような気がする。


 日が沈み始め、もうすぐで夜になる。明かりを持っている可能性はあるが、ここは慣れない土地だ。知らせた方がいいだろう。と声のする方へ歩いていった。


「順調だ。が、やはり疲れが酷いな。慣れていないとこんなものなのか」

「朝早くから農作業を手伝っておられましたからね。殿下自身が土に汚れいましたがよろしかったので?殿下の頼みであれば我々がやりましたが」

「ああ、これくらい安いものだ。それにお前達には護衛という大切な任務があるだろう」

「ですが……」


 ソロソロと近付いていくが、盗み聞きしているみたいで後ろめたい。そもそも、こんな人気のない納屋の裏で話をしているなんて大切な話の可能性が高い。堂々と歩いてくればよかった。


 ただ、今更そう思っても遅い。もう話し声が聞こえる距離にいるし、動いて音がでたらと思うと下手に動けない。


(ごめんなさい、ここで聞いた話がなんであろうと、誰にも言いませんから!)


 心の中で謝る。誰にも聞こえてないだろうけど、心臓の音がバックバクだ。唾を飲み込む音がやけに大きく感じる。


「…いいかクエス、この村では私は余所者だ。よくわからない者、理解出来ない存在。貴族の評価なんて、そんなものだ」

「そうなんですか」

「だから私は理解出来る、同じ人間だとわかるように、思ってくれるように動いた。同じように農作業をして土に汚れたり、魔法を過剰に使わなかったり。それに何度も話し掛けて、相当警戒心は減った。これで『もうすぐ私は帰る。だから、最後の思い出に話さないか?』とでも言って誘いだし、気持ちを訊けばいい」

「上手くいくでしょうか?」

「いかせるさ、必ずな」


 何の話かは聞いてもよくわからなかった。ただ、胸が何かざわざわする。


「ですが、あの娘は好意は抱いている様子ですが、それ以上の感情はまだ…もし断られたらどうなさるおつもりで?」

「そうだな。だがそれでもいい。そうなったら、彼女が、エルテが断ったら、そんな足はいらないだろう」


「ヒュッ」


 息が、止まった。


「いらない、ですか」

「ああ、私と共に来ないのならば、私からまた離れて行くのならば、そんな足はいらない。例え、偶然事故にあって足が無くなったとしても、村の財政では面倒を見る余裕がなくても、私なら、私だけが、エルテと共にいてやれる。ずっと看病して、ずっと屋敷から出さずにずっとずっとずっと死ぬまで一緒にいてやれる」

「左様ですか。偶然の事故に遭われると思った時は私にお申し付け下さい。殿下」

「ああ、頼む」


 足が震える。

 手の感覚が無くなる。

 息が吸えなくなって、ヒュー、ヒュー、と過呼吸になる。

 聞きたくないのに、耳は正確に音を拾ってしまう。

 その言葉を理解する度、無くなっていく、ルスフェン王子殿下への気持ちが、想いが、まだ咲く前だった淡い恋心が、踏みつけられて、散っていく。


「私に近付いて来るエルテも可愛いが、私に頼るしかなくなるエルテも美しいだろうなぁ」

「フフ、殿下が感情らしい感情を見せるのは本当にただお一人だけですね。笑顔も、他の者と話している時に見せる嫉妬も、始めて見ました」


 嫉妬?グラグラする意識の中、そんな言葉が聞こえてきた。他の者と話していると嫉妬していた?それは、テーリェと、村の人と、お父さんとお母さんと、話しているとそれだけで、嫉妬していた?


「ああ、私はエルテに出会って人間に成れたんだ。生まれてから、ずっと埋められない欠陥があった私がエルテがいれば、人として振る舞える。普通に成れる。だから、エルテの為ならなんでもする。エルテを手に入れる為ならどんな手段でも取る」

「それは、殺す事も含めてですか?」

「さあな、全てはエルテ次第だからな。だが……」


 頭が、真っ白になった。

 恐怖した。誰でもいい、夢だと言ってほしい。ルスフェン王子殿下に『嘘だよ』と言ってほしい。


 悪夢よりも酷い。1つ間違えれば、この場にいるとバレたら、私は死ぬかもしれない。殺されるかもしれない。可能性なんて無いと思いたい、けれど言い切れない。ルスフェン王子殿下が、何を考えているのかわからない。


 せめて、顔を見れば何か分かるかもしれない。もしかしたら、不安とかでオカシイ事を言ってしまっただけかもしれない。

 そう言い聞かせながら、そーっと物陰から顔を出した。


「私はエルテを愛してる。フフ、フフフ、そうだ、愛しているんだよエルテを。だから私の愛の全てを受け止めてくれる、私だけにその笑顔を向けてくれる、他の人間ごときに見せないでくれ、触らせないでくれ、汚されないでくれ、エルテエルテエルテ……」


 狂ったような、それでいて悦んでいるような、歪んだ笑顔と濁った瞳の王子様がいた。


 本当に、同一人物なのだろうか。あれは、本当に"愛"なのだろうか。


「ハァ………それが私の愛だ。閉じ込めたいほど愛してるその想いをエルテもきっと、わかってくれる」


 ただ、視線を逸らせず見ていた。逸らしてはいけない気がした。


 真っ赤な夕陽に照らされた表情は酔っているようでいて、狂喜に満ちた顔をしていた。


 何時もなら、美しいと思っていただろう、綺麗だった。はず、なのに今だけは美しいのに冷たく何もないようで怖いと感じる。


 …ああ、ムリだ。私は、ルスフェン王子殿下が怖い。恐ろしい。逃げたい。帰りたい。離れたい。


「ええ、我ら騎士も協力致します」

「決してエルテに余計な感情は抱くなよ」

「護衛騎士一同心得ております」


 早く、速く立ち去りたくて、それでも音が鳴ったらと思うと怖くて、それでも震える足を動かしてその場を離れた。


「嗚呼...。愛しいエルテ…私を拒まないでくれよ?これからずぅぅぅぅっと一緒にいるんだから」


 私は王子様から逃げだした。







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