第六章 写真

 放課後、事件より少し前のこと。


 差出人はよくわからない。

 しかし、そのタイトルに『写真』とあって、思わず、杉村さやかはそのメールを開いてしまった。

 「何…コレ…!?」

 添付画像を見た彼女は、思わず声を漏らしていた。誰にも見られていないかと顔をあげ、一度周りを確認するとさやかは再びディスプレイを凝視した。

 液晶に映し出された画像、それは並んだ男女二人の写真。肩を寄せ、二人とも笑顔でピースサインをしている。

 ――これ…直子…ちゃん?

 そこに写っているのは鍋島直子だった。そして、その隣にいる人物も、さやかの知る人物だった。

 ――夏樹、先生?

 直子の隣に、肩に手を掛けて写っているのは非常勤カウンセラーの夏樹隆文だった。

 ――これは…二人はいったい?

「ねぇ? さやちゃん?」

「わっ!?」

 唐突に呼びかけられてさやかは驚いた。

「どうしたの?」声を掛けてきたのは裕美だった。

「ええっと…」

 さやかは見えないように携帯をすばやくポケットに仕舞うと裕美のほうを向いた。

「別に? ちょっと…びっくりしただけ」

「ふうん、そう…あのさ、今日用事あるんで、掃除代わってもらったんだ。いつもみたいにゆっくり帰れないけど、さやちゃん何も無かったら一緒に帰る?」

「あ…ごめん、私ちょっと用事があるから…」

「そう? わかった。じゃあ、先帰るね?」

 裕美はじゃあねというと、急いで教室を出て行った。その背中を見送ってから、もう一度携帯を確認する。画像ではなく、メールの内容だ。


『話したいことがあります。直子さんと、先生のことについて…放課後。進路資料室で待っています。他の人には言わない方がいいと思います。直子さんのためにも…』


 一瞬の逡巡の後、さやかは教室を後にしていた。


 指定された場所、一階進路相談室前の廊下には誰も見当たらなかった。そこは丁度ずれた形に繋がった校舎のうち、階段を挟んで正門とは反対側にあたるので、帰る生徒はほとんどそこを通ることは無い。そのことに、多少の不安はあったが、ひとつ息を飲み込むと、さやかは問題の部屋へ繋がる通路の扉に手を掛けた。

 扉を引いた瞬間通路の奥から音がした。少し警戒しながら音の方向を見ると丁度進路相談室の扉が開くところだった。

 そこから姿を現したのは、カウンセラーの夏樹隆文だった。夏樹は扉に鍵をして、通路をさやかの方に歩いてきた。すぐにさやかに気づいた彼は、どうしたの? といった表情で眉を上げた。

「…夏樹先生」

 例の写真を見たばかりのさやかは、それ以上言葉を続けることができなかった。

「ん? もしかして、何か相談があったのかな?」

 夏樹は少し目を細め、前に手を出して振ると

「ごめんね、金曜でも、受け付けることはあるんだけど…ちょっと今日は忙しいんだ。今すぐ出なきゃならないから…ごめん」

 言って、謝るように片手を挙げると、直ぐに扉から廊下へ出て「あ、あの…」というさやかの言葉も聞かずに歩き去ってしまった。

 ――相談…じゃなかったけど…。

 写真に写っていた以上、夏樹は一連の事件と何らかの関係がありそうに思えたが、自身からその場を去ってしまったということは、さやかを呼び出したのは彼ではなさそうだった。さやかは出て行った戸口を見つめながら、暫く考えていたが一つため息をつくと頭を切り替え問題の部屋に向かうことにした。

 通路の扉を閉め、進路資料室に向き直ると、改めて息を吸い込んで、扉に手を掛け、ゆっくりと引き開けて中を覗き込んだ。中には人が居た、丁度、音に振り返ったその人物と目が合った。

 ――えっと…私は、どうしてここに来たんだっけ。

 驚いたさやかは一瞬そこにいる理由を忘れていた。

 どうしたの?

 少し開いた窓からは、傾きかけた日の光と、カーテンを揺らす少しの風。

 ――わたしは、なんでここに居るんだろう。

「どうしたの?」

「ううん、えっと…甲斐君こそ、どうして?ここに?」

「え?」甲斐は目の前の棚に並んだ本を一冊とると、それをさやかに示した。

「どうしてって…いわれてもな。進路資料、みてるの」

「あ、そう、なの…」

 部屋に入ったものの、その入り口付近に、半分開いたドアに手を添えたまま、さやかは立ち止まっていた。改めて顔を上げ、まっすぐ甲斐の顔を見つめる。やはり感情の読みとりづらい瞳だった。一瞬とても居心地の悪い気がして、外へ出ようとさやかは半開きの扉を引いた。

「…何? 誰か探してるの?」

「えっ?」

 さやかは振り返って甲斐を見た。

 ――そうだ、私は、ここに呼ばれてきたのに? 私に話があるのは? 彼、ではないの?

 甲斐の眼差しに積極的な意思は感じられない。まったくいつも通りである。

 ――これはもしかして…また?

 さやかは新聞部の件を思い出していた。

 甲斐は無言でさやかのほうを見詰めている。さやかは体ごと向き直って、少し考えるとこういった。

「えっと…私は…ちょっと、人を、待つことにしてるのここで…」

 言いながら目を逸らすように斜め上の方を見つめた。備え付けの時計は三時四十分ごろを指していた。

「えっと…」再び少年の方を向いて、言葉を継ごうとするが、口ごもる。

 甲斐は少し首を傾げると、参考書に目を落とした。

「そう…」

 短く答えた甲斐は顔を上げずにゆっくりと歩き出した。動き出した瞬間、さやかは慌てて半歩退いたが、彼はさやかに向かって歩いてきたのではなく、資料閲覧用の机とソファの方へ向かっているのだった。さやかは甲斐がソファに掛けるまで、それを見守るように暫くその場に突っ立っていたが、大きな襞を作って揺れるカーテンを見て、風の通り道となっていた入り口の扉を閉めた。

「あのさ…」

 不意に背中に掛けられた声に、さやかはびっくりして振り返った。甲斐はさやかを向いていなかった。

「な、何?」

「待ってる間、座ってれば?」

 言って、甲斐はソファの開いた側を目顔で示した。見ると、少年は窓際の方へ詰めて、ソファの扉側を開けて座っている。

「あ…うん…」

 答えたものの、さやかは迷っていた。

 単純に隣に座ることに少しばかり気恥ずかしさを感じたのだ。椅子は他にも折り畳みのパイプ椅子が置いてあり、さやかはそれを使おうかと思ったのだが、せっかく進められたソファを断るのも悪い気がしたので「じゃあ…」とゆっくりと甲斐の隣に腰掛けた。

 座り心地は悪くは無かった。三人は掛けられるソファだったので、甲斐との間はそれほど近くもなかったが、さやかは横が気になって仕方が無かった。緊張していたので、ゆったりと背もたれに寄り掛かることもせず、背筋を伸ばして前を向いていた。

 そのままさやかは部屋の中を観察した。室内は本棚で多少区切られているが、陰になって見えない部分は無い。部屋には今、甲斐とさやかの二人きりしか居ない。

 ――ここで待っている。と言う言葉は、やっぱり、また悪戯?

 ちらと少年の横顔を盗み見ると、さやかのことは全く気にしていない様子で視線は真っ直ぐ手元の参考書に注がれている。

 ――やっぱり、あれは甲斐君の書いたものじゃない…みたいだし。じゃあ、私がここに呼ばれた理由は?

 もう一度時計を見る。部屋に入ってから五分程が経っていた。廊下で少し物音がしたような気がした。

 誰か来たのか、それはもしや自分をこの部屋に呼んだ人物なのではないか? そんな風に考えて、耳を澄まし、戸口の方を見詰めていたのだが、暫く待っても、部屋に誰かが入ってくることは無かった。さやかは諦めたように姿勢を戻し、膝の上に重ねた手のひらを見るように俯いた。

 再び少年の様子を伺おうとしたとき、彼は突然立ち上がって、資料戸棚へ向かった。一つ二つ参考書を手にとって眺めている。そのまま戻ってくるときも、さやかには一瞥もくれない。ただじっとその様子を眺めていたさやかだったが、何も変化の無い状況と沈黙に耐えられず、つい、自分から少年に声を掛けてしまった。

「あの…偉いね、進路資料みてるなんて…」

 相手は顔を上げてさやかを見た。

「そう?」

「う、うん…」見られてさやかは少し恥ずかしくなった。直ぐに目を逸らし、質問を繋いだ。

「どこか、目指しているところとかあるの?」

「…まあ、一応」

「どこ?」

「府立大」

「へぇ…どうして?」

「あそこだけだから…航空工学があるの」

「…へぇ…すごいね…」

「行けたらね…」

 そこで会話は途切れた。少年は再び本に目を落とす。

 さやかも再び前を向いた。

 ――どうしよう…もう、話すことが無いや…。

 考えながら、さやかは少年との共通点の少なさを自覚し、会話を続けられないことを残念に思う自分に気付いた。

 ――自分じゃ、なかったら? もっと、他の人だったら…たとえば…。

「もしかして、牧野?」

「えっ?」考えていることを読まれたような錯覚に、さやかは吃驚して甲斐を見た。

 甲斐はやはり資料に目を落としたままだった。パタン、その格好のまま本を閉じ、ゆっくりと振り向いた。

「いや、待ってる人って…牧野?」

 どうしてその名前が出てくるのだろう? とさやかは戸惑いつつ聞き返した。

「違う…けど…どうして?」

「いや…別に…」

 短く答えると、甲斐はさやかを見詰めたまま、ゆっくりと片手を首にあて、そのまま肩をほぐすように首を回した。

「特に理由はないけど…そうかな…って」

 その様子にいつになく奇妙な雰囲気をさやかは感じていた。そして、さやか自身、良く分からないまま次の疑問を少年にぶつけていた。

「…甲斐君…牧野さんと付き合ってるの?」

 ――!?

 わたし、なんでこんなこと聞いてるんだろう!?

 思わず出てしまった言葉にさやかは驚いていた。咄嗟に窓の外を見るように視線をそらした。そして、少しその素振りがわざとらしかったろうかと思い、横目で少年の様子を伺った。甲斐もさやかを見ておらず、別の方を向いていた。ただ、さやかとは違って、その様子は落ち着いたものだった。

「なんで? そう思うの?」

「あ、いや、その…仲良さそうだから…良く一緒に居るし…」

「…付き合ってるわけじゃないけど」

 横顔が、ポツリとそう言った。さやかは、その返答に良く分からない気分で俯いた。

「うん…」

 少しの間、二人は黙っていた。開いたままの窓から、カーテンに遮られつつもクラブ活動の掛け声が響いてきた。

 何とはなしにそういった雑音に耳を傾けているうちに、再び通路側の扉が開く音が聞こえた。

 ――あ? もしかして?

 少しばかり気まずい雰囲気を感じていたさやかは、誰かが――それが、さやかをここに呼んだ、悪戯の張本人だったとしても――資料室の扉を開いて入ってきてくれる事を望んだ。が、しかし、わずかに一度扉に触れたような音がしただけで、誰もさやか達の居る部屋の扉を開くことは無かった。

 ――どうしよう? 一度外にでて…。

 いつの間にか時間が経っていた。時計を見ると四時に数分前といったところだ。誰か別の人物がそこを訪ねてくる気配は無く、甲斐がさやかに何かを話しかけてくる様子も無い。それなら一度部屋を出て、秋津に会いに行こう。そう思い、さやかが立ち上がりかけたその直前に、不意に甲斐が立ち上がった。

 ――タイミング…悪い…。

 彼は真直ぐ窓に向かい、揺れるカーテンを押さえ窓を閉めた。

 背を向けた少年に、何故か気付かれないようにと気を使いながら、ゆっくり立ち上がるべく膝に力を入れる。

「なんで、そんなこと訊くの?」

「え?」

 さやかが振り返った時にはすでに甲斐は真っ直ぐさやかの方を見詰めていた。さやかはその視線に射すくめられたように動きを止め、何かに引き戻されるように再び腰を下ろした。

「さっきの質問…なんで?」

「なんでって…言われると…」

 目を逸らすようにすると、甲斐は顔を覗き込むように首を傾げる。

「えっと…」顔を背けながら、何とか言葉を返そうとするが、続かない。焦れば焦るほど自分の顔が紅潮するのが分かった。

「西崎にも…」

 さやかが答える前に甲斐はポツリと溢すように言った。

「えっ?」

「西崎にも聞かれたよそれ…」

 ――!?

 甲斐の言葉に、一瞬顔が強張るのを自覚したさやかはそちらを振り向くことはできなかった。俯いたまま、さやかは真横に少年の視線を感じていた。

 ――どう…しよう。

 少年の言葉に、思い出されるのは昨日の光景。そして、表現仕様の無い自身の心情はどうしても適切な言葉として表せなかった。

「…」

「訊いていい?」

「えっ!?」

 少年の突然の切り返しにさやかは驚いて、思わずソファから少し腰を浮かせていた。クッションに両手をついて前のめりになったその様子は今にも逃げ出さんばかりだった。

 ――一体、何を聞かれるんだろう?

 ゆっくりと手を膝に戻し、腰掛けなおす。ばれないように多めに息を吸い込んでゆっくり吐き出す。

「な、何?」覚悟を決めて少年の方を向いた。

「杉村さんって、最近告白された?」

「…」

 さやかは直ぐには答えられなかった。少年の瞳は相変わらず、そのなかに何の感情も映していない。

 ――どうして? それを聞くの?

「それ…誰から聞いたの?」

 甲斐は答えず、質問を重ねた。

「なんて答えたの?」

 少年の瞳は、無感情ながら、何故か逃れられない何かを秘めていた。静かに、しかし有無を言わせず相手を問い詰める。そんな効果を持っているように思えた。

「それは…まだ…」

「どうして?」

 気圧されたように、さやかはソファの手摺に片手をついた。後ろから、通路を小走りに走るような足音が聞こえた。さやか達の居る部屋に向かってくる。

 ――誰か…来た?

 さやかは質問から逃れるように戸口を振り返り、甲斐に背を向けた。扉に手の掛かったような音がした。

 ――誰が? 入ってくるんだろう?

 そう思った次の瞬間だった、右肩に、後ろから手がかけられた。

「えっ!?」

 さやかは振り返った。甲斐の顔が直ぐ目の前にあった。驚く暇も無かった。

「何を!?」

 少年の顔が近づく…後ろで扉に手の掛かったような音がする。

 ――誰かが…来る、でも…。

 さやかは何が起こったのか一瞬分からなかった。反射的に目を閉じていた。鼻の先に相手の髪が触れたように感じた。

 肩が震えていた。

 ――ダメ…だ。

 掛けられた手に、少し力を感じた。そして次の瞬間感じたのは…。

 ――イヤだ。

 気付いたときにはさやかは少年の横顔を両手で払っていた。立ち上がり、ソファから離れる。どちらとも無言。さやかはゆっくりと後ずさりする。

 扉は開かなかった。誰も入っては来ない。扉の向こうにも誰も居ないようだった。

 一瞬後、心臓が止まるのではないかと思うほど、大きく脈を打った。さやかは口に手を当て、痙攣するように息を吸った。

「ごめん…なさい」吐く息の間から、途切れ途切れにさやかは言った。甲斐は視線を落としたまま、左手で右の頬を摩っていた。それを見つめたまま、さやかはゆっくりと、また後ずさり扉に近づいた。

「おまえ…」

「ごめん…えっと…」謝りながら、扉に手をかけた。さやかはもう部屋を出るつもりだった。

「ごめんなさい…その」


 ――!


 背中にかけられた声に、さやかは一瞬動きを止めた。


『おまえも、あいつらと同じだろ?』


 ――ガン

 さやかは強く扉を開いていた。自分でもその音に驚いたくらい、勢い良く扉を開いていた。


            *


「なるほど…」

 ディスプレイに表示された画像を見て、秋津はつぶやいた。

「コレを見せるのをためらっていたわけか…」

「…はい」さやかは頷いた。

 携帯に送られてきたメールと画像を秋津に示しながら、さやかは進路資料室での出来事を思い返していた。

 ――どうして…わたしは、あの時あんなに怒っていたんだろう?

 携帯電話を返してもらうと、さやかはもう一度その写真を見てから、ディスプレイを閉じた。その中の直子は、さやかの知らない表情で微笑んでいた。それを見て、さやかは無性に寂しくなった。

「ありがとう…」

「いいえ…」

 片付いた会議室に残っているのは秋津とさやかの二人だけだった。

 事件の後、秋津はその場に居た関係者を呼び止め、情報を集めようとした。が、甲斐と前田の男子二人は忙しいと言って、二、三の質問に答えたものの直ぐに帰ってしまっていた。

 秋津達には何の拘束力も無いのでそれらは仕方の無いことだったが、協力的だった直子と本田もクラブ活動を抜けてそこに居たので、質問に答えた後はそれぞれすぐに戻っていった。

「まあ、でもこれでさっきよりずっと状況ははっきりしたし…大体の流れは分かってきたかな…」

 そういうと、秋津はホワイトボードに図を描き、得られた情報をまとめて書き出した。


「お?やってるね?」

 戸口から聞こえた少し脳天気な声は、秋津が連れて来たミス研副部長、大場彰の声だった。彼はシンク下から現れたオッドアイの白猫を片手で抱き上げ、その前足をもう片方の手で人形のように操っていた。

「どうでした?」

 秋津は肩越しに振り向いて大場に問う。

「彼女は保健室のベッドで休んでる。今気分悪いのは、アレルギー反応というよりは、精神的なものらしいよ?」

 まるで猫が言っているかのように、前足を動かし、振りをつける。

「ふぅん?」秋津はどうかしら? とばかりの相槌をうった。

 事件後、牧野翔子は気分が悪いといって直ぐに保健室に行った。理由を聞くと、猫のせいだという。彼女は猫アレルギーだということだった。おかげでまだ翔子からは話を聞いていない。

「実際に猫アレルギーらしいけどね、それに対する恐怖心ってやつかな?大丈夫、勝手に帰らないように先生に言ってるから…まあ、その携帯も返さなきゃいけないしね」

 言って、大場は机の上に置いてある翔子の携帯電話を指差した。さっきまでさやかが預かっていた派手なストライプ模様の携帯電話だ。

 秋津はそれをまだ翔子に返していなかったが、中を覗くような事はしなかった。

 ――それは彼女に承諾を取ってから…あの子の状態が少し落ち着くまで今ある情報を纏めてみて、質問を考えておきましょう――そう秋津は言った。

 大場は頷くように猫の頭を下げた。それを見上げるさやかに気付いたのか、彼は微笑んでまた猫を躍らせた。さやかは秋津に視線を移す、秋津はひとつ頷くと、ホワイトボードに書き出した情報をペンでコツコツとたたいて示した。

「さて…とりあえずまとめて見たけど…まあ、こんな感じかな? どう?」

 さやかは箇条書きにされたそれらのデータを確認した。それらは事件関係者の行動を時系列順に書き下したものだった。


 ・ 三時半頃~三時四十分頃

 ① 甲斐、進路資料室にて資料閲覧。クラブ活動中の鍋島、牧野から携帯(メッセージ)で、会議室の開錠を指示される。鍵を取りに職員室へ。

 ② ほぼ同時刻、杉村、差出人不明のメールにより、進路資料室に。このとき通路にて進路相談室の鍵を閉める夏樹を目撃(入り口の扉が施錠されていたのは後に秋津が確認)。進路資料室にて、甲斐と会話を交わす。

 ・ 三時四十分頃~四時頃

 ① 秋津、差出人不明の置手紙により保健室前に。通路に入る鍋島を目撃。鍋島、会議室の扉を開錠。開錠後、掛け金に錠を掛けたまま、鍵を職員室に返却に行く。秋津、鍋島が出て来た後、続けて通路から牧野が出てくるのを目撃。

 ② 甲斐と杉村は進路相談室で通路の物音を聞いているが、二人はずっと部屋の中におり、部屋に出入りした人物は他には誰もいなかった。


「事件の最初…気になるところというのは、まず、あなたが呼び出されたメール」

 そう言って、秋津はさやかを見た。

「さっき見せてくれたメール。その文面から、杉村さんは一人進路指導室へ向かった。そこで見た夏樹先生は、私も後で見たわ、多分そのまま帰ったんだと思うけど。それはそれとして、その後。あなたは進路資料室に入り、そこで甲斐君を見つけ、話を…していたのよね」

 さやかは頷いてそれに応えた。

「二人は、仲いいの?」不意に違ったトーンで秋津が問う。

「いいえ、別に、ただのクラスメイトです」さやかは自分でも少しそっけなく思うくらいにあっさりと応えた。そんなさやかを秋津は暫くの間見つめていたが、

「そう、じゃあ、先を続けましょうか」と言うとホワイトボードに向き直った。

「で、もうひとり呼び出されたのが、鍋島さんね。彼女があそこに居たのは、牧野さんからの連絡があったからだったわね?」

 直子は翔子からメッセージを受けていたことを、その携帯電話を示して説明していた。直子の示したディスプレイには簡単に

『臨時に会議があるので、会議室を開けておいて。連絡は私がまわすから』

 とだけあった。直子はこれに返信すると、すぐさま職員室で鍵を取り、会議室に向かったとのことだった。

「で、その発信元が牧野さんだってのは分かっているけど…あなたの受けたメールの場合、まだ、それが分らないのよね?」

 そう言って、秋津は先程さやかの携帯の履歴からメモを取っていたアドレスをホワイトボードに書き出した。

「まあ、頭のドメインはともかく…最後のところを見ると、どうもワンミニッツメールみたいな、短時間のみ有効なメールアドレスみたいね」

「それって…どういうことですか?」

「うん…つまり、もうこのアドレスは使われていないってこと…もちろん匿名性なんてもので言うと、いくらでもあるフリーメールサービスを使うことと本質的には変わらないけどね…なりすましってのもあるし…」

「なかなか…手が込んでるね?」副部長は相変わらず笑顔で猫とじゃれていた。

「それ以上分らないところは今のところ保留にして、続きを整理しましょうか。そう、あなたが進路資料室に入ったその後、鍵を持った鍋島さんが通路に入り、会議室の扉を開けた。このときの通路の音とか、聞こえていた?」

「えっと、部屋に入ってから、何度か音は聞こえました。多分…三度くらい。一番最初の音がそれだったのかな?すいません曖昧な感じで…」

「いいえ、別に、たいしたことじゃないから…そうね。鍋島さんが鍵を開けてから、直ぐに通路を引き返して廊下に出てきたのを私は見てたんだけど、あの子が言うには開いた錠を掛け金に掛けたまま、直ぐに鍵を職員室に返しに行ったって事だった」

 と、そこまで言うと、秋津はさやか、そして大場の顔を順に見、また念を押すように

「で、どう思う」と言った。

「牧野…さんですね?」

 さやかが答えると秋津は頷いた。

「ええ、鍋島さんが出てきた後に、同じ扉から牧野さんが出てきたのも見たんだけど…鍋島さんが言うには、会議室の鍵を開けようと通路に入ったとき、そこには誰もいなかったって言うじゃない?」

 さやかは頷いた。

「はい、進路資料室には私と甲斐君しか居ませんでしたし、それ以外の人の出入りも無かったのは確かです」

「となると…」とぼけたような調子で大場が続ける。「彼女は鍵の開いた会議室。もしくは進路相談室から出て来た…って事じゃない?」

 秋津は大場を見つめ、ひとつ溜息を吐くと視線を落とし

「おそらく」

「それに鍋島さんが開いた会議室の南京錠を、もう一度かけたのも彼女…?」

「そう…ですね」秋津は頷いた。「何でそんなことをしたのかは分からないけど…」

「あの…」そこで、何か思いついたように少し首を傾げたさやかが問う「それって彼女が最初からどちらかの部屋に居たってことになるんでしょうか?」

「まあ、それが彼女に対する最初の問いになると思うけど…」視線を上げてさやかを見つめると秋津は言った。

「多分、最初から居たのなら進路指導室の方に居たんでしょうね」

「…どうしてですか?」

 さやかは驚いて顔を上げた。

「分からない?」秋津は悪戯っぽい表情で首を傾げて見せた。

「南京錠が掛かった会議室の扉からは、出られないよね?」

「はい、でも…そのときは直子ちゃんが鍵を開けた後だから…可能性としては…」

「いいえ…だって、開錠したとしても、その錠を掛け金に掛けたままだったら、内側からしてみるとその扉は施錠したものと変わらないでしょ?」

「あ、そうか…そうですね」

「もっと言うと、会議室の内側からしてみれば、南京錠が無くても、掛け金を掛け合わせただけで、施錠されたものと同じでしょ」

「はい…と、いうことは…あれ?」納得しかけたところで、再びさやかは考え込んだ。

「じゃあ、私が最初に見たとき。夏樹先生が相談室に鍵を掛けていたあの時。牧野さんは部屋の中に居た…って言うことになるんでしょうか?もし、そうなら…夏樹先生も…事件に関わっているって…そんなこと…」

「…まあ、さっき見せてもらった写真のこともあるし。先生も無関係とはいかないと思うけど…」

「ん? 写真って?」

 ここで疑問を持った大場は尋ねるように秋津を見た。秋津は瞬時にさやかの不安そうな表情を読み取っていたので、大場に目配せをし、後でとばかり片手を揚げた。大場は納得したのか「まあ、いいけど…先生が関係あるんだね?」と招き猫の手でそれに応えた。

 秋津は声をひそめてさやかに答えた。

「でも…犯人なんてことは無いと思うわ。だって、その写真。先生にとっては弱み以外の何物でもないでしょう? それをわざわざ送りつけてくるなんてこと、いくら愉快犯でもできないと思うけど…」

「確かに…でも、そうじゃないとしたら…一体どうなるんですか?」

「う~ん」秋津は少し難しい表情で唸った。

「どちらかと言うと、先生は利用されてるんだと思う…先生が鍵を閉めてたときには中には牧野さんは居なかった。多分それは間違いないと思うんだけど…」

「どうしてそう思うの?」そう問いかけた大場に秋津は少し不敵な表情で応えた。

「…どうしてか…ですか」ゆっくりと視線をさやかに移す。

「じゃあ、先ず。さっき言ったことと逆に考えてみましょうか?」

「逆ですか?」

「そう…あなたが考えたみたいに、夏樹先生と牧野さんが共同で何かやろうとしていたとして、そして最初二人で進路相談室に居たとするの。もし、先生がそのつもりだったのなら、部屋を出た後、自分の鍵で扉を施錠するというのは面倒じゃない?だって中に牧野さんが居るんだから、鍵を閉める必要があるなら彼女が中から閉めればいいだけでしょ?さっき話を聞いた時、夏樹先生は最初杉村さんに気付いていなかったって言ってたわよね?それはつまり、先生は一人で、ただ普通に扉を施錠して帰るところだった。そういうことなんじゃないかな?」

「なるほど…」わざとらしく大場が相槌を打った。

「しかし、それじゃあ、彼女は開いていた窓から、その部屋に入ってきた…そう考えるってこと?」

「…まあ、そうなるかもしれませんね。でも、想像できることはこれくらいですね。後は彼女に聞いて確認するしかないでしょう。さて…まあ、前半はこれくらいかな…」

 そういうと、秋津は腰に手を当て。再びボードに向き直り、

「じゃあ、続きだけど…」と最初に書いた文字を消して、新たに時間ごとに分けた事件の流れを書き始めた。

 

 ・ 四時~四時十分頃

 ① 進路資料室より杉村が出てくる。開いたままの通路の扉をでて廊下へ、職員室から帰ってきた鍋島、秋津と合流する。

 ② 同時刻、牧野の指示により、前田、会議室裏の窓を見張る。(この指示は携帯等ではなく、直に会って指示を受けている。ただし彼にその理由は知らされていない)

 ③ 資料室よりでてきた甲斐に鍋島が会議の説明をするものの、話が通じない。仕方なく、会議室で待つよう促すも、開錠したはずの会議室の鍵が再び施錠されていることに気付く。鍋島、再び鍵を取りに職員室へ。残りの三人は通路に残る。

 ④ 鍋島を待つ間に、牧野が通路にあらわれる。何かを知っているような口ぶりで話すものの、会議のことは通じない。

 ・ 四時十分頃~

 ① 鍋島、鍵を持って帰ってくる。鍵を受け取った牧野が会議室の扉を開錠。開こうとするが扉は開かなかった(甲斐、牧野が扉に手を触れていた。扉が閉まっていたのは後に秋津も手を触れて確認した)牧野、部屋の中に誰かが居ることを主張。教師に相談という意見には反発。(またこのとき進路相談室の扉が施錠されていたことは秋津が確認している)

 ② 秋津、隣の部屋から会議室に侵入することを提案。入り口を見張る割り当てを決める前に、牧野『窓を見に行く』と通路を出て行く。

 ③ これらの間中、前田は会議室の窓をずっと見ているが、何も変化は無かったらしい。


「これらは、大体は私たち自身が体験したことだから、特におさらいする事も無いと思うけど…前田君…彼の話は少し妙だったわね?」

 振り返った秋津は腕を組んでさやかを見た。さやかは頷いてそれに答える。

 秋津が妙だと言った前田の話は次のようなものだった。


         *


 三時半過ぎ、まだ掃除で教室に残っていると、不意に現れた牧野翔子が声をかけてきた。

 彼女は『この後少し付き合って欲しい』と掃除が終わった後、少しの間自分に教室に残っているように言った。そして彼女自身は、『もし四時を過ぎて戻ってこなかったら、一階会議室の窓の所へ来て欲しい』と言って教室を出て行った。

 

                  *


「まあ、コレも、詳しくは彼女に聞くしか無いかな…」そう言って、秋津は机上の派手な携帯電話を見つめた。

「今回の事件で直接に彼女から頼まれて現場に来たのは彼だけか…」

「そう…みたいですね」応えながら、さやかもそちらを見つめた。翔子の携帯はラメの入ったシールが沢山張ってあった。が、派手なカバーの上にそれは意外にも調和しており、ゴテゴテとしたネイルアートのような乱雑さは感じられなかった。よく見ると小さなシールで花の形などがデザインされていて、それぞれがなかなか丁寧に作られているのにさやかは感心した。そういえば彼女はデッサンが得意だったなと思い出した。

「それにしても、牧野さん…彼女の行動は無茶苦茶怪しいね」

 やや楽しそうに副部長が言う。

「まあ、たしかに…彼が牧野さんに頼まれてその場所に居たって言う事は、後のことを考えると、ちょっと重要になってくるのよね…」

 言いながら、秋津はさらに箇条書きに情報を加えた。


 ④ 甲斐が入口前に留まり、後の三人で隣部屋へ向かう。直子が鍵を取り、開錠後三人で隣部屋を片付け、会議室に繋がる扉前にたどり着く(この間およそ五分程)このとき隣部屋入り口に本田が現れる(他の人々同様、会議のことは全く聞いていない)。また、同時刻牧野は会議室裏に到着し、前田と合流している。前田は見張っていた間、何の変化も無かったことを牧野に説明。牧野は怪訝な様子で窓を開こうと手を掛けていたが、窓はカーテンが掛けられており、内側からロックされているようだった(これは前田も手を掛けて確認している)。


 そこまで書いて、秋津は手を止めた。

「彼…前田君は四時からずっと会議室の窓を見張ってたってことだったけど、私たちが会議室に入る前までは結局何も変化を見ていないのよね。つまり四時以降は誰かが窓から出たり入ったりしたのを見てはいないわけだ」

「まあ、彼の話を信用するならね…」大場は少し目を細めた。それに秋津は軽く頭を振って、さあ? とでも言うような表情を返した。

「そうですね。状況的には一番怪しいわけですから彼らが…」

 秋津は考え込むように目を閉じていた。

「彼らって、前田君と牧野さん? ですか?」

 さやかの問いかけに答えるでもなく「でもなぁ、あの甲斐って子の言動も変だったし…あとに続く窓の外二人の発言も、犯人の言い訳としては妙だし…」

 ぼやくようにそう言うと秋津は続く情報を書き足した。


 ⑤ 甲斐、通路を離れる。このとき会議室の扉には外から南京錠を掛けたという。

 ⑥ 隣部屋の四人のうち、直子が廊下を見張り(副部長大場が通路に入るのを見たほかは誰も出入りしなかった)後の三人で隣部屋扉を開く。扉は最初少しの間隔まで開くが、何かに支えたように開かなくなる。

 ⑦ ほぼ同時刻、窓の外の二人が、カーテンの隙間から伸びて内側からロックをはずす『人間の手』らしきものを確認。牧野が急いで窓に近寄り、窓を開けようとする。が、丁度、窓下を張り出し沿いに歩いてきた猫を見て、驚いた牧野は悲鳴を上げて窓から離れる(この時、前田は開きかけた窓から、その猫が部屋の中に飛び込んだのを確認している)。


「猫ね…」秋津は大場の抱える猫を見つめた。

「偶然…かしらね?」秋津は首をかしげた「でも、それよりも奇妙といえば…」

「手らしきものか…」大場が猫の手を回す。

「つまり…彼ら牧野さんと前田君は会議室の中に誰かが居たと主張するわけだ…」

「丁度私たち三人が押していたドアが、何かに支えてそれ以上開かなくなった時の事みたいですね」続けてさやかが不安そうに問う。

「やっぱり、あの時、中に誰か居たってことでしょうか?」

「どうだろう? そういえば、事件の後だけど…パーテーションが移動してたんでしょ?最初あれが引っかかってたみたいじゃない?」


☆(近況ノート:図2参照)

https://kakuyomu.jp/users/ichihasetagawa/news/16817330660078789119


「確かに…いつもは、流しを隠すように扉の前にあるみたいですけど…」

 秋津の書いた図を見て、思い出しながらさやかは答えた。

「でも、パーテーションを抵抗にしたかったのなら完璧に開かないようにする事もできたのに…なんで開いたんだろう? 扉は最後には開いたじゃない?」

「窓…」

 ポツリと大場が言った。

「窓に手が見えたんでしょ? 中に居た誰かが窓を開けたかったからじゃない?」

「はい?」

「いや…このパーテーション背が高いじゃない?」大場は丁度背にしていたパーテーションを親指で示すようにした「入り口の扉と同じくらいだからさ…ロッカーが動かないようにコレを移動させた場合、キッチン側から窓側に壁ができる事になるでしょ?」

 猫を抱えなおして大場は続ける。

「犯人は何故か知らないけど、前田君の言うには窓のロックを外したんでしょ?そうするには少し壁をずらして隙間を作らないと通れないじゃない?」

「なるほど…」

 秋津は再び腕を組むように抱えた。「あの」と右手の人差し指を口元に当てる。

「犯人が窓を開けた理由ってなんだと思います?」

 ここで大場は少し真面目な表情でこう言った。

「鍵…閉まったからじゃない? その少し前に甲斐君が急いで持ち場を離れたけど…その時外側から彼が入り口の扉に鍵をかけたんでしょ? 南京錠」

「入り口からは逃げられなくなったから…窓から逃げようとした? か…でも窓からも逃げられない事くらい分かってたんじゃないのかな…」

 言いながら秋津は腑に落ちないといった表情を浮かべていた。

「しかし、なんで彼は持ち場を離れたのかな?」

 尋ねたとき、甲斐はその質問にはっきりと答えてはいなかった。

「ただ、牧野さんが心配だったからとか言ってたけど、彼」

「猫の事、かな? アレルギー」抱いていた猫を持ち上げ、その顔を自分の方に向けて大場は言った。白猫は副部長と向き合うと小さく一声鳴いた。

「でも…」

 さやかはその光景を思い返していた。

「牧野さんが猫に驚いたのはそれよりも後の事ですよ?」

「そうよね…」秋津は溜息を吐くようにそう言った。

「まあ、入れ違いに僕が通路に入って、そのまま進路指導室に入ったけど…誰も通路を出ていった人はいなかったと思うよ?そうそう、進路指導室の窓も全部閉まってたしね…」

 そう言って首を傾げる大場を秋津は怪訝な表情で見つめる。

「…とりあえず彼、甲斐君の言う事を信用するとしたら…鍵は閉めてそこを離れたわけです。そうなると、もし、会議室の中に誰か居たとしても、外側から鍵の掛かった扉を開く事は、内側の人間には到底不可能でしょうから、誰も通路から廊下へ出たり先輩の入った進路指導室に来たりしなかったというのは、それはそれで何の矛盾もありませんけど…」

 そういって秋津は肩を竦めた。

「なかなか、整理しているようでまとまりませんね?」

「情報が少なすぎるかな…」

「まだ、牧野さんから話を聞いてませんからね…」

 秋津は続けてホワイトボードの図の方にその状況を書き入れ、続けて最後までの情報の箇条書きを付けた。

「とりあえず今分かってる状況を図に描くと、こんな感じかな?」


☆(近況ノート:図3参照)

https://kakuyomu.jp/users/ichihasetagawa/news/16817330660078812120


 ⑧ 隣部屋の三人、扉の隙間から窓の開く音と牧野の叫び声を聞き、再び扉を押す。暫くして抵抗が無くなり、椅子の引っかかる大きな雑音を立てながらゆっくりと扉が開く。

 ⑨ 部屋に入った秋津、何事かと外から覗き込む前田と顔をあわせる。後に続き、簡易キッチンに移動していた本田が、猫の鳴き声を聞き、シンク下収納扉に掛かった南京錠を発見。秋津が発見した鍵により扉を開錠すると。オッドアイの白猫と、牧野翔子の携帯電話が現れる。

 ⑩ 秋津、入り口の扉を確認。内側には何も細工はされておらず。外側に回ってみたものの、甲斐の言うとおり南京錠で外側から施錠されていた。

 補足

 ① 甲斐が入り口を離れた後、通路に入ったのは副部長一人で、彼は扉を開いたまま進路資料室に入っていったが、他に通路を出入りした者は居なかった

 ② 前田によると窓から会議室に侵入した猫は、おそらくシンク下から現れた猫――首輪をした、オッドアイの白猫――で、管理作業員の飼っているシロに間違いないとのことだった。


 秋津は最後まで書き終えるとペンを置き、近くの椅子に着いて足を組み、頬杖をついてボードを眺めた。

 さやかは得られた情報から何かわかる事はないかと考えてみたが、何から考えたものかと思い悩んでいた。それぞれの証言が不可解で、関係者全員が怪しく思えた。そして、それらと自身が体験したことを総合して考えると、ぼんやりとはしているが、奇妙な状況が形作られている事に気付いた。が、しかし一方で、自分はこの事件に一体どういう形で関わっているのかが今ひとつ分からないでいた。連日のブログの件にはもちろん関係のあること、それは間違いないのだが、どうも今度の出来事は事件に巻き込まれたというほどの感覚もなく、それでいて最後まで事件を考察している自身の立ち位置は非常に曖昧なものに思えた。

 

「頭から通して考えると…」

 話し始めた声に、さやかは秋津を振り返った。

「まず、始まりは牧野さん。彼女が示した謎が部屋の中にいる誰か。そして、それを外から観察した私たち。実際扉は閉まっていて、内側から施錠されていた窓には彼、前田君が張り付いていた。もう一つの出入り口は見たとおり、私たちが開くまでは誰も使っていない事は明らかだった。中に誰か居たとすれば完全に包囲したわけよね?」秋津は確認するようにさやか達の方を見た。

「で、とりあえずみんなの証言どおりに行くと…入り口の扉は外から鍵を閉めていた。これは最後まで閉まっていた。そして、私たちが隣部屋から侵入した。このとき、中の犯人が作った障害によって少しの間扉は半開きのまま止まってしまった。で、その間に、窓の外の二人は内側から窓の鍵を開く手が見えたので、すぐさま近寄って外から窓を開けた。このとき、猫が中に飛び込んで、牧野さんが怯みはしたけれど、一緒に居た前田君は窓からは誰も出てこなかったって言ってる…そして彼がもう一度開きかけた窓を覗き込んだとき、丁度私たちが押していた扉も開いて…」

 そこで一息間を入れて、矯めるようにしてから秋津は言った。

「私たちは誰もいない部屋で顔を見合わせる結果となった…」

 さやかはゆっくりと唾を飲み込んだ。急に静かになったような気がして、その音がまわりに聞こえそうな気がした。ふと大場を見ると、真剣な表情で秋津を見ていた。彼は一瞬何か言おうと口を開きかけてやめた。それを待つように見ていた秋津は暫くして続けた。

「で、例えば、みんなが言ってる事に多少嘘が混じってて、最初から、この部屋には誰もいなかった。っていうのが一番単純に考えられると思うけど…」

 秋津は少し表情を明るくしてさやかの方を見た。

「どう思う?」

「それは…」

 さやかは大場の抱いている猫を見つめた。相手は見つめ返して、また小さく鳴いた。今度は机の携帯電話を一瞥してから、秋津を振り返る。それをみて秋津はニッコリと微笑む。

「厄介よね…この二つは…」言って、さやか同様に猫と携帯を見比べる。

 それらは誰も居ない部屋の中で、南京錠によって施錠されたシンク下の戸棚から発見されたのだ。

 ――携帯にしても牧野さんのだし、猫に驚いた、それを見たのも彼女で…でも…。

 おそらく、その二つが、その戸棚に閉じ込められていたというそのことが、会議室に何物かが最後まで居たということを示す証拠なのだ。ただし…

 ――彼女達が…嘘をついていなければ…。

「私は…牧野さんは犯人ではないと思う」

「え?」

 考え事の途中、不意に秋津が言葉を発したので、さやかは吃驚して顔を上げた。

「そりゃ、当たり前に考えると、彼女の行動は不可解だし、最初窓が閉まっていたと主張するのは彼女(と前田)だし、最後に、開いた窓の前にいたのもあの二人だけど…」

 そこまで言うと、秋津はやや首をかしげ

「普通犯人ならもっと上手くやるでしょう?あの二人が怪しすぎるもの」そういって悪戯っぽく微笑んだ。

「私、思うんだけど…彼女たちは、単なる観察者…なんじゃないかなぁ…」

 秋津は細めていた目を上に向け、天井の方を見据える。

「観察…者?」秋津の言ったことが理解できず、さやかは鸚鵡返しに問う。

「とりあえず牧野さんと甲斐君と前田君の言、そして状況から考えるに、この部屋に誰かが立て篭もっていた…そして、最後には消えてしまった。これが皆に話を聞いて浮かび上がった問題だけどさ…つまり密室における人間消失。でしょ?」

 秋津はまだ瞳を上に向けたまま続ける。

「もちろん密室って言うのは、色々と定義みたいな物があると思うけど、この場合鍵がどうということよりも、そこを出入りした人を誰も見ていない。ってことになるでしょ?そういった密室状況にはさ…その密室の出入り口に、常にそれを密室足らしめる観察者が居なければならない…ってわかるかな?」

 ――密室足らしめる…観察者?

 問いかけるように、大場を見ると、彼は面白そうに秋津の台詞に頷いていた。再び秋津の方を見ると、彼女は説明を続けた。

「たとえば保健室横に呼び出された私もそう。私が見ていなければ、最初の疑問『牧野さんは何処から出てきたのか』って言う問いは起こらなかったはずよ。事件が起こるにはその結果が誰かによって目撃される必要がある。特に密室みたいなものなら、その部屋が密室であることを保障するものが必要となるってわけ…だから、今回はあの三人が居なければ、密室は成り立たなかったかもしれない」

 そこで一拍開けると秋津はこう続けた。

「逆に言えば、彼らにとっての密室だったのかもしれないのよね」

 ――彼らにとっての密室?

 密室であることの保障、密室の中に居る人物…その理由。

 さやかは少し考えてから答えた。

「私たちにとっては…あの部屋が本当に密室だったかどうか分りませんよね」

 顔を上げ、秋津を見つめ返す。秋津は満足そうな表情をしている。

「それって、つまりどういうことだと思う?」

 慎重に、さやかは考える。

 ――私たちは…会議室が密室だったという事実の保証をもたない。

 それは、彼らの証言から得られた情報のみに依存した現象。直接に関わったわけでもない事件を判断する立場。

 ――?

 そこで、はっとしてさやかは言った。

「私たちに…問題は委ねられているって…ことなんでしょうか?」

「いまのところ能動的に調べた私たちにだけ、示されている問題…ってことなのかもね」

 ――問題。

 その言葉に、もやもやとしていた事件に対する、自分の立ち位置がはっきりしたように思えた。

 さやかも秋津もこの場所に呼び出された。そして、事件の一部だけを知った。関連性のある事柄から、今回の事件を調査することは必然といえる二人に、事件はその不可解を見せ付けるように起こった。

 ――なるほど、この事件も結局の所、自分を向いていたのだ。

 そう思うと、さやかは何故か急に気がスッキリした。

 それまでの事件とは悪戯の程度が少し違う。予言よりもなお挑戦状めいたその事件に、逆に腹をくくって対峙してやろうという気分になっていた。今度の場合、具体的な容疑者に疑問を投げかけることになる。となると一週間続いた予言も、事件としてはこれが最後になるのではないか? そうさやかは思った。


「まあ、考えの一つといえばそれまでなんだけどさ…」左右に首を振ってショートボブの髪を揺らすと、少し砕けた調子で秋津は言った。

「事件のために集められた観察者は…ある意味被害者よね。だから、加害者じゃない…つまり」

 秋津の視線を受けて、さやかは答えた。

「犯人じゃない…ですか…」

「でも、前田君を呼び出したのは牧野さんだけど…」大場が状況を楽しんでいるような顔で言う「彼女は犯人最有力候補ってこと?」

「ま、さっき言ったように、考えのひとつって事ですよ…」秋津は両手のひらを軽く上向けていた「そりゃ犯人なら、どんなフリだってするかもしれません…」

 けれど、と秋津は続けた。

「もし、彼女が犯人だとしたら、なぜ呼び出した私に自分自身の怪しい行動を『観察』させたのか? ってことになるでしょう?」

「確かに…」

 大場の代わりにおとなしい猫が二度ほど頷いて見せた。

 ――いろんな人が呼びだされていて、もしかするとそのフリをしている人が居て…ん?

 さやかは浮かび上がった一つの疑問を秋津にぶつけてみようと考えた。

「あの…」

「秋津先輩は、部屋の中には誰かがいたのだと思いますか? つまり、今話を聞いた人以外に、容疑者がいると思いますか? たとえば…あの、新聞部の件ですけど…」

「そうね…」秋津は答える代わりに、大場に言った。

「先輩、そろそろどうでしょう? ちょっと様子を見てきてもらえます? 彼女の…」

「ああ…そうだね、了解」

 大場は猫を置くと通路へ出て、保健室に向かった。

「そういえば元々今日は新聞部の件が優先だったわね…」

 椅子から立ち上がると、秋津は戸口の方へ歩き出した。

「実の所、そんなに期待はしていないんだけどね。まあ、今、話を聞いた人以外っていうと、実はそうかもしれないとも思うけど…」

 さやかも倣って立ち上がり、戸口で振り返った秋津の方へ向かう。

「そうなんですか?」

「でも、話を聞いていないっていうとまだ、牧野さんにだって聞いていないしね」

 そういって秋津は通路の先、保健室の方を見た。

「それなりに質問の材料はそろったし、彼女に聞いたら色々分かるかもよ?」

 そういって、秋津が顎をしゃくったその時。

 ――ヘックション!

 大きなクシャミが連続して聞こえ、急いで保健室の扉が開閉する音、続けて素早くこちらに向かう足音が聞こえた。大きなその足音と共に、慌てて通路に飛び込んできたのはさっきここを出たばかりの大場だった。

 さやか達は顔を見合わせた。

「一体、どうしたんですか?」

 大場は照れ隠しに後ろ頭をかく定番のポーズをとると、

「あ、いやその…毛がね…」

 彼は苦笑いし、両腕で胸の辺りを払うようにして言った。

「あの、もう少し安静にした方がいい…らしいよ…ハハハ」

 少し乾いた笑いを響かせていた大場は、続けて面目ない。と言った。

「いえ…先輩にお願いしたのはわたしですから…」

 同じく苦笑いを浮かべさやかを振り返り 

「しかし、彼女のアレルギーは本物っぽいね…」

 と答えた秋津の顔を見て、さやかは何故か無性におかしくなって笑ってしまった。

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