第11回 疑惑の始まりは悪魔の詩

 アガサ・クリスティー作品に検閲・修正が加えられるのは新たに出版されるエディションから……少なくとも、わたしはそう思っていました。つまり、ニュースがあった春以降に出版される版。まずは原書から始まって、それ以降に新訳が出版されるなら、当然それに合わせた翻訳がされる。でもそれは、まだ先の話、そんな風に考えていました。

 それなのに、原書の方が2010年時点で既に検閲が施されているというのは、腑に落ちません。2010年というのは、Kindle版が出版された年ですから、そのKindle版を作成する際に底本とした紙の本は、それよりさらに前に出版されているはずです。


 改めて、Amazonの商品登録情報を確認しました:


出版社 ‏ : ‎ HarperCollins; Masterpiece Ed版 (2010/10/14)

発売日 ‏ : ‎ 2010/10/14


 2023年7月25日においても、やはり出版年は2010年です。納得がいかないので、ここは現物のCopyright欄を見てみましょう(先にこちらを確認しなかったのは迂闊としか言いようがありません):


The Mirror Crack’d From Side to Side © 1962 Agatha Christie Limited. All rights reserved.


初版は1962年であると。はい、これは知っています。で、このKindle版はというと:


Ebook Edition © October 2010 ISBN: 9780007422456 Version: 2022-05-04


はいはい。電子書籍版は2010年刊行(リリース?)なんですね。Amazonの商品登録情報と一致します。しかし最後までよく見ると、Version: 2022-05-04? は? なぜ2010年版に2022年という年月日が? SF? SFなのでしょうかこれは。

 Copyrightページをじっくり見てみました。コレを見逃していました:


Cover design by Holly Macdonald © HarperCollinsPublishers Ltd 2022 Cover illustration © Bill Bragg


ああ、表紙のデザインを2022年に新しくしたと。でそれがVersion: 2022-05-04の意味するところなんですね。カバー・デザインは2022年に新しくしたけど、中身は2010年版のままだよ、というのがこのCopyright情報が提示する意味です。


 えっ、検閲修正情報は?


 検閲修正に関する記載はRevised Editionとかいう言葉で表されていないとおかしいと思うのですが(本来、作家の死後にReviseされるのがおかしいのですが)。

 これは何を意味するのか、いくつかの可能性が挙げられます:


①検閲は2010年から2022年の間には行われていない(つまり、もっと前にされている)

②検閲は、秘密裏に行われたから記載されていない。

③そもそも検閲など行われていない(少なくとも2022年時点では)。


うーん、どれが正解でも自分にとっては絶望的なような(③については、自分の英語の理解力が全くなってなかったということで、勘違いで勝手にギャーギャー騒いでいた己の愚かさに落ち込みます)。


 とはいえ、わたしが検閲的修正を疑うのには、それなりの理由があります。アガサ・クリスティー作品にPolitical Correctnessに留意した修正が入るのは、実はこれが初めてではありません。

 彼女の代表作の一つ『そして誰もいなくなった(And Then There Were None)』(1939年)は初めTen Little Niggersという現代では完全にアウトなタイトルだったそうです。これは正直、タイトル変更で大正解ですね。こんなにかっこいいタイトル(変更後)は、英語でも日本語でも、滅多にありません。当時でも現在でも差別要素ゼロ! なにより、作者が存命の間に作者の同意があってなされた変更ですから。

 

 とはいえ、変更されたのはタイトルだけではありません。


 わたしにはうっすらとですが、作中に登場する「人形」がインディアン(インド人Indianではなく、現在ネイティブ・アメリカンと呼ばれる米先住民のこと)だったバージョンの『そして誰もいなくなった』を読んだ記憶があります。たぶん中学生時代に、古い翻訳のエディションを手にしたのでしょう。だから、その後十年以上も経ってから再読した際に人形が「インディアン」ではなく「兵隊」になっていて非常に困惑しました。現在のエディションでも、人形は兵隊のはずです。


 自分の記憶違いではなく、実際に設定変更が行われていたことを知った時に感じたのは、困惑でした。まだ若くて、ろくに勉強などしていなかったぐうたら時代のことだったので、このように過去が書き換えられる行為に対して、はっきりした意見はなく、ただ漠然と、当時の特権階級にあった白人が黒人/インディアンを差別していたというのであれば、それはそのまま修正などせずに残しておくべきではないのかと思っていました。


 だって、修正してしまったら、差別がまかり通っていた事実まで消えてしまう。


 それからさらに年月が流れ、ミラクル的にやる気を出したわたしは、英語を勉強するとともに、英国の歴史、日本の歴史なども興味を持つようになり、やや遅くなりましたが、多少の勉強はしました。だから、それが正しいかどうかは別にして、一応自分の意見を持つようになりました。


 古い文学作品を修正してしまったら、当時はそのような差別がまかり通っていた事実まで消えてしまうじゃないですか!


 少々知恵がついても、本質はあまり変わらないみたいです。少なくともこの問題に関しては。ただ昔の困惑は、怒りと強い懸念に変わっています。このような行為がどこに向かっていくか想像できるからです。

 事実が消えるなどと言うと語弊がありますが、見えにくくなってしまうことは確かでしょう。ミス・マープルが、老いのせいで心身ともに衰えた己の状態を説明するために「低能児」を持ち出しても誰も何も問題だと思わなかった時代がかつてあったということは、この先もずっと示していくべきです。

 時代が変われば、かつての常識が覆ることがある。それは仕方のないことです。わたしは、ミス・マープルやアガサ・クリスティーを差別主義者だと糾弾したいわけではありません。ただ、現代的基準をあてはめたら、当時の彼女たちの思想・言動は差別と捉えるしかない場合がある、それは否定できない事実です。

 わたしは、そういう部分も承知したうえでアガサ・クリスティー作品を愛しているのです。


 だから、最近になってアガサ・クリスティー作品に修正が加えられたとニュースで知った時は、大変なショックでした。それも、そのニュースをわたしにもたらしたのは、サルマン・ラシュディでした。

 サルマン・ラシュディとはどのサルマン・ラシュディのことか、と首を傾げる人のために少々紹介を。


 彼は英文学界の結構すごい人です。


 これ以上の説明が必要な場合は、Wikipediaでも覗いてみてください(丸投げ)。わたしがミス・マープルものに取り掛かる前に読んでいたのが彼のMemoirであることは偶然ではありません。ペーパーバック版で656ページもある原書を10ヶ月もかけてKindleで読んでいたのには理由がありました。

 まず、和訳がない。このボリュームだと翻訳書がいいなあーと調べたのですが、ありません。まあいいでしょう。こういう時のために英語を勉強したのだと思えば。電子書籍版があったのがせめてもの幸いです。京極夏彦みたいなを紙で読む気力と体力がわたしにはもうありません。

 でそのぶ厚い本を英語で読まねば、と思った理由は、彼が昨年2022年8月、アメリカで講演中に襲われ、何度もナイフで刺されるという事件が発生したからです。一時は生命が危ぶまれるほどの重症でした。


 ラシュディという名前にぴんと来なくても、『悪魔の詩(The Satanic Verses)』という彼の著作には思い当たるところがあるかもしれません。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る