第18話 楽園

 それから互いに矛を収めた両者は、魔族用に改良された大型トラックにカモフラージュされた特殊装甲者に乗り込んだ。

 最初は魔族には悪い意味で馴染み深い奴隷市場に向かうようだと誰かが言っていたが、小刻みの振動を除けば案外と乗り心地は快適だと少なくともザガドは思った。

 三台に分かれて乗った車内には、肉、魚介、野菜、果物、と様々な食事が用意され、魔族の住む土地ではとても確保できないような上等な食事を堪能した。

 それだけではなく車内には他の勇者達とも遭遇したことで一時は混乱した者も居たようだが、それが傷の手当てをする為に待機していると聞いた時は空いた口が塞がらなかったようだ。

 今まで多くの魔族を葬ってきたその手で同族を癒すのかと疑問に思った魔族達だったが、殺意の感じない相手に一番重傷だったトルカとケオシを治療してみろと実験体のように差し出した。


 結果、不安は僅かでも信頼に変わった。


 トルカの一度取り付けた義手と義足は治すことはできなかったが、不衛生な環境で強引に取り付けた義手と義足により化膿していた箇所や痛みなどは消え、こちらの世界の科学により新しく義手と義足を用意することを約束した。しかもそれは、かなり生物の肉体に近いものらしい。

 ケオシはまともに会話することも困難だったが、勇者の力で精神面を癒し、瀕死の肉体を治療した。今はすやすやと眠ってはいるが、目覚めて時間を掛ければ少しずつ元通りに動けるだろうという話だった。


 車内はさながらお祝いムードのような空気で、魔族達は毒が入っているかどうかなんて心配もせずに、車内に置かれていた食事に舌鼓を打った。



 オーク族とリザードマン族は同じトラックに乗車していた。

 あまり彼らには馴染みのない硬質の部屋には違和感はあるものの、車内にトルカの傷を治療した少女が一人共に乗車しているぐらいでそこそこ快適に過ごしていた。

 目的地まで数時間は掛かるとのことで、寝具も用意されていた。今回初参加だったオーク族の戦士は前日までの緊張から解放されたせいか酒と腹が満たされて、折り畳み式のベッドの上で横になっていた。


 念入りに臭いを嗅いでから手にしたリンゴをかじり、ザガドは部屋の角に腰を下ろしていた。

 一口で食べれてしまいそうなリンゴだったが、勢いのまま口にしてしまえばその場の空気に飲み込まれてしまいそうで、あえて少しずつ咀嚼していた。


 「ザガド」


 名前を呼ばれて顔を上げると、数時間前に再会した時とは別人のようにすっきりとした顔をしたトルカが立っていた。相変わらず義手と義足は痛々しいが、それでも先程までの悲壮感は感じられない。


 「見違えたようだな、体の調子はどうだ」


 「驚くぐらい調子いいよ。下手をしたら、怪我をする前よりも元気かもしれない」


 「そいつは良かったな。……この状況、お前達から見てどう思う」


 ずっとザガドは考えていた。しかし、ジャックの言葉は嘘とは思えない。あれだけ苦労を重ねた男が簡単に他人をそれも勇者を信用するとは思えなかった。加えて勇者達が用意したこの待遇が、協力関係に真実味を与えていた。


 「ここにノヴァクが居れば何か意見の一つでも出してくれるんだろうが、俺はあいつじゃない。本音だけで話すなら、四肢を奪った人間達に傷を癒してもらうのはおかしな感じだ」


 「同感だ、この場に居る全員が似たようなことを感じていることだろう。殺し合いをしていた両者が手を組み、この問題の原因である王を倒そうとしているのだからな」


 「それで、これからどうするもりだ」


 どうするとは、これからの立ち振る舞いについてだということはザガドもすぐに理解できた。だが、トルカに訊ねられて返答できるほど選択肢を持ち合わせていないのも事実だった。


 「俺達を拘束する訳でもなく、例の武器で脅している訳ではもない。抵抗した場合は何らかの対策はしてあるんだろうが、あまりに自由にさせすぎている。それだけ人間達には俺達を逃さない自信があるということだろうな」


 狭いトラックの荷台は、ザガドの言うよるに恐ろしく快適だった。ジャックの指示によるものだろうが大気中には苦しくない程度の魔力の流れがあり、室温も快適そのものだ。

 ここまでの設備を作り出すのはなかなかの労力が必要なはずだった。


 「……俺達は歓迎されているということなのか」


 今まさにザガドが口にしようとしていた言葉をトルカが呟いた。

 歓迎、人間と魔族の間では決して使われない言葉だと思っていたが、世界を超えればそれもあり得るのかもしれない。


 「本来なら、既に俺達は開始時点で死んでいた。今はまだ人間達の指示に従うことにしよう。あのウェアウルフ族の連中も、素直に待っているとは思えないしな」


 トルカは神妙に頷いた。

 ふとずっと疑問に思っていたことをザガドは口にする。


 「なあ、ノヴァクの家族はどうだった……」


 カリブレイドの柄を掴みながらザガドは訊ねた。


 「ノヴァクが死んだことを伝えたら、家族みんな泣いて泣いて大変だったよ。奥さんは呆然としていたな。その時、ノヴァクのおばさんから、カリブレイドはどうなったか聞かれたよ。俺も気遣う余裕なんてなかったから包み隠さず、信頼できる魔族の仲間に託したことを言ったよ。それに、剣にノヴァクが吸収されたこともな」


 「……すまない」


 「気に病むな、お前が剣を手にしたから俺とケオシは生きている。ただ一つ気になることは、おばさんは言っていたことだ。……次の魔族の手に渡ったなら、良かった。途切れさせないことが大事なんだ、とな」


 良かった、と言ったノヴァクのおばさんの発言にトルカは違和感を感じているようだが、ザガドは何となくその意味が分かっていた。


 「これは憎悪と殺意の剣だ。きっとノヴァクが死んで吸収されて、次に受け継ぐ者が現れれば、その負の感情を受け継いでくれるということなのだろう」


 「その剣のこと、分かるのか」


 「誰かに教えてもらった訳じゃないが、感覚的に何となく分かるんだ」


 驚いたような顔でトルカがザガドを見つめていたが、その場から立ち上がった。


 「まだ体が本調子じゃないらしい、少し休む。それと一言だけ言わせてくれ……お前は急いで死ぬなよ」


 「努力はする」


 取って付けたような笑みをトルカは残して、人間達の用意してくれたベッドに向かった。

 どれだけ時間が掛かるかは分からないが、ザガドは少し休むことにする。

 目を閉じると、集落での穏やかな日々が頭に浮かんだ。

 望むことはそれほど多くはない、それなのに生きるだけで迫害を受ける魔族に生まれたことをただただ静かに憎んだ。もし自分が魔族でなければ、こんなにも苦しい思いをせずに済んだのに、と。



 ――数時間後、冬の澄んだ空気の中で長い夜が明けようとしていた。


 巨大な施設に入庫したトラックは、敷地内に入るとあっさりと魔族達を解放した。

 多少身構えていた魔族達も面食らいながら外に出ると、さらに驚く光景が目に飛び込んでくる。

 施設のあちこちに様々な魔族が自由に生活をしていた。

 好きなタイミングで食事をし、娯楽も豊富なこちらの世界では趣味に興じ、戦闘訓練と称して戦い好きの魔族が力比べをしていた。


 楽園だ。


 魔族の誰かが告げた。

 明るい空間で、自由な敷地で、人間達が口にするような清潔で美味しい水と食事。

 求めていた光景に、泣いているのはケンタウロス族とオーク族だった。ケンタウロス族は本来は穏やかな性格で分かるが、オーク族も長い休戦の間に性根の部分も温厚なものに変化していた。

 戦闘狂的な面があるウェアウルフ族達は、かなり動揺していたが、それはザガドも同じ反応だった。

 他のリザードマン族は空気を読もうとしているのか、表情を変えないように努力をしているが内心は飛び跳ねたい気持ちだろう。


 「ここで、俺達はどうしたらいいんだ」


 満足そうに人生を謳歌する魔族を眺めていたジャックにザガドは話しかけた。


 「最終決戦に備えて人間達は準備をしている。それまで、ここで好きに過ごすといい」


 「馬鹿な、何か搾取されるに決まっている」


 ジャックは警戒するザガドの反応を愉快そうに眺めた。


 「ここに居る連中の顔を見てみろ。奴らが、嫌々ここに居ると思っているのか」


 周囲を見回すと、ザガドは絶句した。

 まるで人間のようにコップで茶を飲んでいるのは、サキュバス族とインキュバス族だ。そこに人間の女まで混じって世間話をしている。

 別の場所ではミノタウロス族がよく跳ねる球体を蹴り、人間達と共にボール遊びをしていた。

 すぐ足元ではスライム族と魔王の側近とまで言われた巨大な翼に鷹のような狂暴な風貌のガーゴイル族までもが戯れていた。


 「……どうして、ここはこんなに平和なんだ」


 「さあな、食事のせいか空気のせいか人間達の生活に仕方なく馴染んでいく内に俺達もどんどん人間みたいになっちまったらしい。……魔族に似合わないかもしれないが、ここでの穏やかな生活を知っちまったら、もうあんな場所には戻れないよ」


 「集落のみんなを連れて来ることも可能なのか」


 そこまで問いかけて、ザガドは空いた口を閉ざす。

 そんなの質問する前から分かっている。

 ジャックは例の宝石を懐から取り出すと、ザガドにこれ見よがしに差し出した。


 「その答えが、コレだ。これを量産すれば、希望した者達はあの世界からこちら側に仲間達を転送することが可能になる。この話は、既に人間達との間で約定済みだ」


 生まれてから今までザガドが感じたことがない感情が胸の奥から全身に広がっていくような感覚。この感覚は何なのだと考えて、まるで閃くようにその言葉に辿り着いた。


 この感情は――希望だ。


 「おい、ザガド」


 ジャックの低い声で、ザガドははっと我に返った。

 らしくもない、希望に浮かれて完全に集中力が途切れていたことをザガドは恥じた。


 「す、すまない、あまりの展開に……どう言えばいいのか……」


 「そう思うのも無理はないが、気を引き締めてもらわないと困る。本番はこれからなんだからな」


 ザガドの本音としてはあの王と対峙することを想像するだけで、体がすくみあがる思いだ。それでも、その先に希望があるというなら、歩みを進める強さも同時に兼ね備えていた。


 「分かった。この博打、付き合わせてくれよ」


 真っすぐなザガドの言葉に、ジャックは満足そうに頷いた。


 「この組織の名称は、クルセイダー。二つの世界の平和を取り戻す者達の名前だ」


 どこか誇らしそうにジャックは告げた。

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