第40話 解凍

 ヒーローショー前日。日がゆっくりと沈んでいき、夕焼けが終わりつつある頃。下がっていく気温とは裏腹に、観光協会職員たちは慌ただしく翌日の準備に追われていた。そして、ふと致命的な問題に気が付いた。衣装が届いていないのだ。


「あれ? そういや、衣装は?」


 前日にリハーサルを行う予定だったのだから、誠司はもっと早くに気が付けたはずだ。そういえば、リハーサルを行っていたはずの誠司は昨日、1日中観光協会に姿があった。リハーサルは中止になったのだろうか。参加予定の誠司の元サークル仲間からの連絡がなかったのも違和感がある。しかし、この期に及んでそんなことは些細な問題でしかない。衣装がこの場に存在しないという事実が何よりも重要で致命的なのだ。


「えっ? まだ届いてなかったんですか? 予定日から3日遅れるけどイベント前日の早朝には届くようにする、と連絡があったんですけど」


「うーん、ちょっともう1回確認してもらっていい?」


「はい……」


 育は不服そうな様子で作業を止めると、てきぱきとノートPCを開いて確認する。


「えーと、あっ……」


 なんとも、嫌な予感がする育の声が聞こえてきた。


「そもそもの予定日が間違ってたっぽいです……」


 PCの画面から目を離さずに言う。背中を通して絶望という感情がにじみ出ている。この致命的なミス。また、トリガーが引かれて育の体調が悪化するのではないかという心配をよそに育は勢いよく立ち上がった。


「わたし、直接取りに行ってきます!」


 血走った眼には危機感と狂気の両方が包含されている。育は東京でのトラウマは完全に払拭したようで、なんなら自分に責任はないという開き直りすら感じるほど、気迫に満ちていた。


「直接って、神戸だよ? 荷物が多いから新幹線も厳しいし」


 あまりの勢いに誠司も怒ることを忘れて、ただ困惑していた。


「社用車なら積めますから」


 そう言う育は既に車の鍵を手にして、扉の方へ進みだしている。


「ちょ、ちょっと待って! 片道何時間かかるよ? 1人じゃ無理だ」


 誠司は扉の前に立ちふさがって、育の行く手を阻む。


「じ、自分のミスは自分で取り返しますから」


 誠司からの強い反発に、育は冷静を取り戻したのか、ぐっと拳を握りしめて唇をかむ。ここから神戸まで車移動となると、最低でも6時間以上はかかるはずだ。1人で往復の運転はいくら根気があっても危険だ。と、その時、受付窓口のあたりで機材の準備をしていた沢田が手を止めて、こちらに走り寄ってきた。


「私も行きます。途中で運転を交代すれば問題ないでしょ?」


 年齢を感じさせない自信ありげな表情は仕事ができる人のそれだった。


「ありがとうございます!」


 育はぱっと顔を明るくすると勢いを取り戻し、そのまま流れるような動作で誠司を睨みながら顔を寄せる。気圧された誠司は、後ずさると観念したように言った。


「まあ、実際衣装ないとどうしようもないから。ちょっと無理してもらうしかないかぁ。頼んだ」


 この場にいる全員が、育の過失であるという事実を失念している気がしたが、それは言わないでおいた。育と沢田の2人は颯爽と観光協会を去り、神戸へと旅立った。夜通し運転して、向こうに到着するのが日をまたぐ頃。そして返ってくるのが早朝ということになる。


「衣装を発注した会社ってそんな深夜に開いてないですよね?」


 真っ先に浮かんだ懸念だった。


「そうだね。懇意にしてる人たちだし、直接電話してお願いしてみるよ」


 それは育たちが出発する前にするべきではないかとも思ったが、今更言っても仕方がない。1秒でも早く衣装を手に入れることが先決だ。


 スマートフォンで取引先と通話をしている誠司から、手元に目を戻す。翌日のショーで使う音響機材の最終調整だ。前回の反省点から、そこそこ大型のスピーカーを新調した。舞台は元松風小学校の体育館であるため、これまでの音響機材では力不足なのは目に見えていたためだ。

 SEを鳴らすタイミングについては、これまでに数度行われた練習に参加していたおかげである程度は頭に入っていた。衣装を着た時にどれほどタイミングが変化するかは不明だが、それほど変わらないことは前回参加したショーで実証済みだ。


「はい…… 申し訳ないです。よろしくお願いします。はい。失礼します」


 誠司はスマートフォンのスピーカーに向かって弱々しい声で謝罪した後、通話終了をタップした。


「そもそも、予定日から遅れるって連絡があった時点で想定するべきだったけど、作業が少し遅れてるらしいんだ。だから、現時点で完全な状態ではないらしい。突貫工事をしてくれることにはなったけど、向こうに着いたらすぐに受け取ってそのまま直帰というのは難しそうだ」


 なんとも、絶望的な状況だ。ショーの開演は午前9時頃を想定している。今回のイベントはあくまで廃校活用事業の宣伝という特性上、午後から事業説明会が予定されていた。そのせいで、妙に早い開始時刻となっているのだ。


「開演時間を遅らせますか?」


「うーん、でも後ろの説明会があるから……」


「じゃあ、とりあえず今あるイサギヨライダーの衣装で登場して、敵役は何か代わりのものを用意するというのは?」


「くわ助は設定的に代わりのスーツを用意できるかもだけど、俺のライダースーツは見本用で向こうに送っちゃってるんだ」


「そうですか……」


 イサギヨライダーの衣装が1着も存在しないとなると、打つ手がない。万策尽きかけている最中、受付の方からは会長が接客する声が聞こえてきた。


「明日は松小でイベントするから。見に来いよー」


 相手は知り合いなのか、くだけた口調だ。淀んだ空気が充満しているバックヤードとは対照的に、表のロビーやお土産コーナーは賑やかだった。


「もう閉めるから。ほら、出た出た!」


「もう、ゴンさん冷たいなー」


 観光協会と言いつつ、あまりに身内なこの雰囲気にはとっくに慣れている。特に、始業直後と終業直前は毎日このような感じだ。


 と、会長の声を聞いて思い出した。


「前に会長が使ってたイサギヨライダー1号の衣装ってまだありますか?」


「え? うん。そこにあるけど」


 誠司は受付の裏手にある物置部屋の方を指さして言った。


「それを着て出られないですか?」


「そりゃ、無理だよ。サイズがかなり違う。特別仕様だから私服みたいにはいかないんだ」


「だったら、会長にお願いして出てもらうしかないですね」


「ええ? やだよ。まだ間に合わないって決まった訳じゃないし……」


 否定する彼は子供のような口調だ。


「そんなこと言っても、もし間に合わなかったら終わりですよ。わざわざ僕たちのことを騙して」


 言いながら、意地の悪い言い方だと思った。


「そ、そう言われると」


 誠司はひきつった顔でこめかみを触る。


「会長の知り合いも何人かいるっぽいですし、チャンスですよ!」


 なんだか、育が言いそうなことだ。知らない間に彼女の影響を受けていたのかもしれない。


「ぐぅ……」


 不服そうな音を喉で鳴らしながら、とぼとぼと会長のもとへ向かう。ひどく小さな背中だ。


「なぁ…… 親父」


「ん?」


 会長は笑顔から唐突に顔を引き締める。弱々しく縮こまる誠司を鋭い眼光で睨みつけている。


「明日のショーなんだけど衣装が間に合わないかもしれなくてさ」


「らしいの」


 会長もこちらの会話を聞いていたのか、事情を知っている様子だ。


「もし間に合わなかったら、親父の1号ライダーの方で代役をして欲しい」


 そう言って、誠司は頭を下げた。後頭部をじっと睨む会長はわずかに瞼をひくつかせる。今にも怒鳴り始めそうな険のある表情のまま、何かを言おうと口をわずかに開いた瞬間、その場に居合わせた会長の知り合いと思しき男性が声を荒げた。


「えっ? ゴンさんのライダー? 見たい見たい!」


 還暦前後に見えるその男性は、まるで子供のような満面の笑みで会長の肩を揺らす。周りにいる他の数人も同じように盛り上がっている。


「いや、わしはまだ何も言っとらんだろうが」


 不機嫌そうに小言を垂れている会長を無視して、辺りの来訪者たちはがやがやと話し続ける。


「だったら、さっちゃんにも連絡せんと!」


「そうだ! 絶対喜ぶぞ」


 こうなってしまうと、断れないのが会長だ。会長は息子である誠司にこそ厳しい一面があるが、客や地元の友人にはかなり甘い。そして、賢太の予想通りなし崩し的に会長の代役出演が決定した。


「わしはまだ認めた訳じゃないからな」


「うん、ごめん」


「ふん。台本も用意せんと。今日は泊まりじゃな」


 会長は険しい顔のまま、倉庫部屋へと入っていく。賢太の横を通り過ぎた時、わずかに口角が上がって見えたのは気のせいだろうか。

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