第7話 アルバンという男(※レティシア視点)


 私は幼い頃から――五歳の時から結婚相手が決まっていた。


 お相手の名前はマウロ・ベルトーリ公爵。


 子供の頃は「どんな方なんだろう」「素敵な方なのかな」と未来の旦那様に夢躍らせていたものだ。


 かつて私にとって、結婚というのは希望に満ち溢れた言葉だったわ。



 でも――現実は残酷だった。



 マウロ公爵は、どうしようもなく愚かな男だった。


 領地を預かる身でありながら政を蔑ろにし、街の女と遊び耽ってばかり。


 私のことはバロウ家と繋がるための道具程度にしか思っておらず、女として見られたことは一度もない。


 でも、それでも、彼は大事な夫だった。


 幼い頃から「尽くすべき相手」と教えられてきた、大事な旦那様。


 私は彼のために、三歩後ろを歩く女を演じ続けたわ。


 けれど……失策で無数の領民を苦しめ、悪びれもしない態度を見ている内に、私の考えも変わっていった。


 このままじゃ駄目だって。


 私は身銭を切って露頭を彷徨う子供たちを保護し、出来る限り支援した。


 でもお金なんてすぐになくなって、マウロに相談しても聞いてもらえなかった。


 ……だからリスクを承知で、私は悪事に手を染めたのだ。


 こっそり領地の税を横領し、ベルトーリ家の資産にも手を出した。


 全ては子供たち、領民、そしてマウロのためと思って。


 それに、心のどこかで期待していたのかもしれない。


 ここまですれば、もしかしたらマウロもわかってくれるのではないか?


 ……そんな、淡い期待を。


 だけど――



『――レティシア・バロウよ! 貴様との婚約を解消する!』



 あの舞踏会の夜……私の全ては壊された。


 夢も、希望も、子供たちの未来も。

 私の努力は全て無駄となったのだ。


 私が幼い頃に夢見た光景は、完璧に踏みにじられたである。


 悔しい――。

 悔しくてたまらない――。


 でも恨み言を言ってはならない。


 リスクを理解した上で、それでも悪事を働いたのだから。


 マウロが私の行いを歪曲し、婚約破棄の理由にしたこともわかってる。


 正直、言い返したい気持ちで一杯だった。


 でも、なにを言ったって言い訳にしかならない。

 

 私はベルトーリ家を去り、バロウ家の汚点として流れに身を任せる他なかった。


 そして――アルバン・オードラン男爵へ新たに嫁ぐと聞いた時、「ああ、これは罰なんだな」とすら思った。


 貴族なら誰もが噂を聞く、あの傲慢で不遜で怠惰な、最低最悪の男爵。

 その嫁にさせられる。


 これは悪いことをした私への、神様からの罰。


 ”またマウロのような男の下へ行きなさい”


 そういうメッセージだと思って、甘んじて受け入れた。

 けれど、


『なんていうか、綺麗だなと思って』


 アルバンは、私が抱いていたイメージとはまるで異なる男だった。


『俺とデートしよう』


『俺はこれを見せたかった。キミと俺の二人で守っていく土地だからな』


『なぁレティシア、この機会に自己紹介でもしないか?』


 アルバンは――優しくて、積極的で、私を”一人の女”としてちゃんと見てくれた。



『キミは決して悪女なんかじゃないと、よくわかった』



 ……本当は、本当はどんなに嬉しかったことか。


 私のことを理解しようとしてくれる。

 私のことをちゃんと見てくれる。

 私のことを信じようとしてくれる。


 嬉しい。

 とっても。

 涙が出そうなくらい。


 でも――ううん、だからこそ駄目なのだ。


 落ちぶれてしまった私の人生に、彼を巻き込みたくない。


 アルバンは優しいんだ。

 もしも私の悪事の真相に気付いたら、どんな感情を抱いてしまうか。


 アルバンを危険に晒したくない。


 もう、もう嫌なの。

 期待して、踏みにじられるのが。


 なにかが壊れるのも、壊されるのも。

 もう全部、嫌。


 私は……どうしたらいいんだろう。




 ▲ ▲ ▲




 ――私がオードラン家に嫁いでから、十五日目の朝。


「……は?」


 私はパンの断面にバターを塗る手を、ピタリと止めた。


 テーブルの向かいにはアルバンが座り、なんとも呑気な顔でコーヒーをすすっている。


 その後ろにはセーバスの姿も。


「今……なんと仰ったかしら?」


「”噂”を流したって言ったんだ」


 彼はコーヒーカップを、白いソーサーにカチャリと置いた。


「”アルバン・オードランが、レティシア嬢の無念を晴らすべくマウロ公爵に復讐を企てている”――そんな噂をな」

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