第五話 スープってなんですかい?


 オレは基本的にお金をあんまり持っていない。理由のひとつとしてそれは、使わないからだ。

 お年玉とかあんまりいらんからそのまま渡す度によくお母には金かからない子だね、と言われるが、いや、使わないのをただ持ち歩いててもなあ。紙幣とか軽すぎてオレの筋肉は喜ばないぞ。

 まあ、金貨くらいになったらちょっとは重みがあったりするんだろうか。それを集めりゃ中々ずっしりしそうだ。そう考えると、昔の金持ちは皆ムキムキだったのかもしれない。

 筋権政治とかどこかで聞いたことあるし、やっぱり昔から筋肉が世界を動かしていたのだろうな。


「ふぃー、気持ちいいー」


 そんなこんなを熱さの中でぼやっと考えながら、オレは目の前の水面をひとすくい。それを顔にばしゃりと浴びてさらなる温を感じるのだった。

 そう、オレは湯船の中に居た。それも、一人ではない。


「うう、重ちゃん……色っぽい」


 タオルで目隠しをしたままの三咲も一緒だった。こいつ、結構な温度の湯に首元まで入って真っ赤になっているが、色々と大丈夫だろうか。

 オレは、不審者のツレとして周囲から奇異の視線を感じながら、まあどうでもいいやと意図してそれを流してこぼすのだった。


「いや、三咲がデートしない、とか言ってスーパー銭湯のタダ券出してきたのにはびっくりしたけどさ。つられて良かったなぁ。疲れが取れる取れる」


 そう。家族でもない奴と同じ湯船に浸かる。それが温泉じゃなければ銭湯だ。そして、オレはスーパーな銭湯に来ていた。タダ券につられたんだな。

 三咲は見事にオレの引っかかるところを知っている。オレはお金を正直計算面倒くさいしあんまりいらんとは思っているが、タダという文句には弱いんだ。タダより安いものなんてないもんな。計算の必要もないし、流石にそれには食いつかざるを得ない。

 デートというのがよく分かんなかったが、同じ釜の飯とか言うから、三咲も親友として同じ釜茹でみたいになりたかったのかもしれないな。こいつは前世盗賊だったりしたんだろ。


「でもオレの裸を見たら鼻血が出ちゃう体質だったとか、三咲も困ったな。そりゃ、そんな変質者スタイルでお湯につからなきゃなんなくなる。すまんなあ」

「大丈夫。匂いだけでもかなり楽しめてるから」

「そうか?」


 しかし、一緒の風呂を喜んでいたのにいざオレが目の前で服を脱ぎ捨てすっぽんぽんになったら、三咲は爆発した。

 いや、顔面爆発したと思ってしまうくらいに鼻血ブーだったのだ。三咲は倒れるわ血の海でオレのテンション下がるわ、脱衣所は大変だった。

 なんとかオレも三咲も落ち着いて、オレの裸が爆発の原因だったと判明したので踵を返そうとしたオレだったが、三咲は止めておもむろにタオルで目隠しをした上ですっぽんぽんになったのである。

 そうして、二人して並んで人が少ないので選んだ熱めの風呂に浸かったのだ。本当に、どうしてこうなった。


 それにしても、匂いで楽しむ、か。温泉でもないのに湯を香りに良さを見出すとは流石はタダ券持ってくるだけはあるな。きっと、三咲はここに通い慣れているのだろう。

 三咲はそれこそオレの周囲まで嗅いでから上気した顔をにへりとさせるのだった。


「くんくん。……はぁ。周りの重ちゃんスープが私を誘惑する……うう、ダメだよ三咲。これに口つけたら私、本当の変態さんになっちゃう」


 そして、オレの親友の筈である彼女はそんなことを言う。いやスープってすごい発想だな。オレは感心する。

 目をぱちくりさせ、長い髪をくるくるまとめたタオルを少しずらしてから、何だか真っ赤であまり正気でなさそうな三咲に言った。


「そうか、たしかにこんだけ皆が入ってたら、湯の中人の出汁凄いんだろうな……」

「え、重ちゃん?」


 スープ。なるほどそれは確かに言い得て妙だ。ちょっと水の量が多いが、こんだけ人が出たり入ってたりすると、ちょっとはこの湯に味がついているかもしれない。

 好奇心、というか飯屋の娘として味見は大事かなとちょっとふざけて。


「オレ、この味みてみようかな?」


 まあ、こんなのせいぜいしょっぱいくらいだよな、と思いながらオレがにやりと笑んでそんな冗談を口にしたところ。

 慌てて、それこそタオルとか飛んでいってしまうくらいに激しく、三咲は湯船からぶるんと立ち上がった。


「そんなえっちなことダメーっ! あ」

「あ」


 そして、制止しようとした三咲の彼女の予想外に静止していたオレの、すとんとした裸体を直視して。


「つ……ぶっ」


 噴出したのだった。その鼻血は運良く人が居ない方、湯船から外れたところに飛んでいってくれたが、盛大に散らばっていて。


「きゅう」


 そして、そのまま三咲はのぼせて倒れ込んだ。彼女は血の海に沈み込んで、まるでその様は刺されて死んだ人のよう。凄惨な現場に、周囲の誰彼がざわざわしているがひとりも寄ってまでは来ずに。


「え、これ全部オレが片付けんの?」


 そういうことになったのだった。





「はぁ。疲れた」


 そして、しばらく後にオレは今度は一人、湯に浸かっていた。泡風呂の心地よさに、先に説明に片付けに一人立ち回った疲れがどっと溶けていく。

 ちなみに、三咲は血を大分出してしまってふらふらになっていたので、マッサージチェアに安堵させている。

 背中を揉まれてしきりにおっぱいぶるぶるさせてたけど、まあ大丈夫だって微かに返事していたし大丈夫だろ。

 すったもんだがあったが、まあ取り敢えずタダ風呂を楽しまないとな、とオレはゆっくりしはじめる。


「それにしても、男湯に入れさせてもらえはしなかった……中途半端に発育してるオレがにくいな」


 自分としてはどっちでも構わなかったし、最近色々思い出したせいで男の子寄りの気持ちなのだが、流石に身体が女子なオレは男子風呂は止められた。

 ふと目を動かせば裸ばかり。しかし、周りにあまり筋肉はない。むしろどちらかといえば、おっぱいばかりだ。オレとしては少々残念である。


「ん?」


 しかし、その中でどうにも目を惹く白があった。オレはなんとなく、彼女の方へとじゃぶじゃぶと寄る。

 ジャグジーの隣の電気風呂。先に、二人の女子が戯れに入って何これ全身攣る、とか言って逃げ出したくらいに強めの設定であるらしいそれにゆっくり浸かる海の向こうから来ただろう少女。

 話しかけづらい雰囲気の彼女に、オレは声をかけた。


「なあ、あんた」

「あら……なあに、ナンパ? 言っとくけど、ワタクシはアンテイークの非売品よ?」

「そんなんじゃない。ただ、湯加減を聞いてみたかったんだ」

「ふうん……まあ、このエレキテルのお湯はまずまず刺激的ではあるわね。そっちはどう?」

「ぶくぶくしてる」

「ぷっ……それは見た目通りねっ」


 女性はなんとも上品に、笑む。日なんて浴びたことがないのではないかと疑えるくらい透き通った肌に、薄いブロンドが滴っている。

 まあ、モテそうだなと何となく思いながらオレは言葉を返す。


「でも、本当にそうなんだからしかたないだろ? あったかくて、ぶくぶく。それだけで気持ちよさそうに聞こえないか?」

「まあ、そうかもしれないけれど……ふふ。本当に、面白いわね。聞きしに勝るとはこの通り」

「ん? あんた、オレのこと、聞いたことあるのか?」

「ええ。ちなみにワタクシはあんたじゃなくて、イクス・クルス」

「そっか。オレは……」

「フタバカサネでしょ? 知ってるわ」

「ん」


 言われて、オレもそれはそうだろうと思う。何故かは知らないが、このイクスという女は話しかける前からオレのことをどこかで聞いていたのだ。なら、名前くらい知っていても不思議ではない。

 とはいえ、この目の前の美人でしかない均整取れすぎた不自然に注目されるほど、オレは目立っていただろうか。

 いや確かに天才なんだが、可愛いに決まっているが、そんなに尖って見えていたかな。照れてしまう。

 イクスはうふふ、と笑んでから言った。


「最近ずっと、あなたのことを聞いていた。でも、面白かったから見てみたら、予想外」

「ふふん! ばかさねちゃんはクールビューティーだっただろう?」

「ええ、真逆だけれど、そこが素敵ね」


 真逆。それはどういうことだろう。クールでビューティーの逆……ホットキュートだろうか、ああそれも悪くないな。今熱々だし丁度いいかも。

 そう納得していると、イクスはオレ見つめる紅い目を細めるのだった。


「ああ――――白い皿の上にインクを垂らしたら、きっと映えるのでしょうね」


 肩を抱き、ぞくりとした様子でその半端に肉がついた身を震わす。風呂入ってるのに寒いのだろうか。いや、ちょっと違う感じだな。

 これは、なんか最近どこかで見た、恍惚に近いもののような気がする。


「黒とかか?」

「ふふ……私は朱がいいと思うわ」


 そして黒といえば、朱色と返る。なんだかオレと趣味が違うそして含みがあるこの感じ。


「ふーん」


 オレはなんとなくコイツ、光彦っぽいな、と思った。




「……ふぅ」


 チャリをころころ転がしながら。オレは帰りの道を行く。

 スパ銭にて三咲ともイクスとも別れ、短い帰路にてオレは長湯の余韻を感じてゆるゆる進んだ。

 夜は見難いが、足元の花を避けながら、砂利を踏んで。隣町もそうだが、ちょいちょい田舎なこの市がオレは好きだ。星だって良く見えるし。

 星座とかよく分かんないけど、きらきらしている魅力的な空をちらちら見ながら、オレは進んだ。


「……っと」

「おや。すまないね」

「いや、こっちこそごめん」


 すると、前から来た人にぶつかりかけるというオレらしくない過ちをしてしまった。

 すぐ謝ったオレに、おじいさんはカンカン帽のつばに手を当てて表情を見せる。

 月夜に照らされたその表情は朗らかな笑顔だった。


「いや、ぼくとしては助かったけれどね。ここは因縁でもつけるところじゃないかな? 慰謝料出せってさ」

「え、そんなのオレいらないぞ?」

「……どうしてだい?」


 首をかしげるまた遠くからやって来ただろう彼。

 よく分からない。でも、目の前の人には嘘を言ってはいけない気がした。眼前で青が歪んでいて、何かがおかしい。

 まあ、もったいぶることなんてない。本当のことを言おう。

 オレは、金をあんまり持っていない。その理由のもうひとつ。それは。


「だって――もう死んでるやつに金は要らないだろ?」


 そんな当たり前。けれど、目の前の老翁――後で聞いたところジョンと言うらしい――は一笑した。


「はは。それはそうだ」


 うんうん頷く彼の気持ちなんて、オレには分からない。けれど、とても楽しそうには見えた。

 そしてひとしきり笑んでから、ジョンは。


「イクス嬢に伝えておいてくれ。次はキミだ、とね」


 そう言って、彼は月光の元、片足と長い影を引きずりながら去っていったのだった。


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