第50話


 シーは動かない。怒りを爆発させる素振りも見せない。


 ビニール傘越しに見えるその細い背中に、姿勢が悪くなっていく内に骨の位置がずれていたような、気味の悪い違和感を覚えた。


 勿論覚えている。うぐいす旅館に入った時、ごく短い間だが、シーの態度が異様になった事を。俺だって昨日の今日で、本気で全て終わったなんて思える程楽観的じゃない。額に浮かぶ汗も、蒸し暑さの所為だけじゃない事も分かっている。


 態度がおかしくなった奴なら昨日何人も見ているが、全員時間が経てば元通りになっていた。今もそうだと思いたい。井ノ元達みたいに、奇行に走るのを止めさえすればきっと大丈夫だ。


 無視よりましかと、針に糸を通すような緊張感で言葉を返す


「……どうしてそう思うんだ?」


「きっと証明出来る術を持ってるから。昨日の出来事の大凡おおよそを」


「それを話したくて連れ出したのか?」


「そう。矛盾があったら指摘して欲しい。これがこの一件に関する、私の最後の抵抗。以降はこの件について口にしない。二度と思い出さないように、忘れ去る」


「分かった。話してくれ」


「まずモトがキイに送った首無し写真。今朝家を出る前に改めてあの検出サイトにかけてみたけれど、何度やっても無加工だって示して来た」


 シーはスカートのポケットから取り出したスマホを操作すると、画面をこちらに向けた。あの検出サイトの、検出結果が出たと示す小難しい表が現れている。何度もやって慣れたのか、シーは器用に表を消すと、着色表示で加工の有無を確認する画面を開いた。途端真っ黒に染まった画面上に、緊張と困惑で身を固くしている俺が映る。


 どうしてそれを見せるのか考えが読めず、返答を発するまで数秒かかった。


「……つまりその写真は、本物だって事だな」


「そう。幽霊の仕業」


「ならこの話は、終わりになっちまう事にならねえか? 幽霊の仕業だって受け入れるんなら、昨日の出来事は全部片付く。今後はこういう訳の分かんねえ事にはなるべく近付かないようにして、いつも通りに過ごして、さっさと忘れちまえばいい」


「別にそれは構わない」


「なら、俺とここで話す必要も無いんじゃねえか? 結論はもう出てる事になるぜ?」


「証明したいのは幽霊の存在やその定義についてじゃない。いてもいなくてもどっちでもいい」


「……どういう事だよ。なら何を話したいんだ」


「どうして私とユウは、特に酷い目に遭わないまま今日を迎えているのかについて」


「俺はお前といる時、うぐいす旅館で死ぬかと思ったぜ?」


「この件について考えてる間思ってた。自分が当たり前だと思ってる事や、思考の支えにしてるものとは、余り役に立たないだろうって。たとえば、幽霊はいないっていう認識とか。でも甘かった。そんなそもそも曖昧な存在より、もっと近くにある事から捉え方を改めなきゃいけなかった。何で井ノ元達の飛び降りや村山の事故について、両方の現場にいた私とユウに先生も警察も話を聞きに来ないんだろうって。村山はまだ本人の不注意で片付けられるかもしれないけれど、井ノ元が飛び降りる直前に言葉を交わしたのは私だって、あの時廊下にいた後輩達から伝わっててもおかしくないのに。私お世話になった事無いから分からないけれど、警察の捜査ってそんなものなの? 事故に遭う直前の村山に接触のあった生徒が、同日中に飛び降りを起こした井ノ元達とも関わってたなんて、何か原因を知ってるんじゃないかって疑うものなんじゃないの? 全校集会はしてるのに私への聞き込みは全くやってない先生達も何で? じゃあ誰から村山の事故と井ノ元達の飛び降りついて聞いたの? 守谷とキイ? あの二人、昨日の事あんまり覚えてないみたいだけれど。病院に行って本人達から直接聞いた? 当時の状況について説明させたら全員の口から、直前に関わっていた人物の中に必ず私の名前が挙がるのに、何で何の確認も取らないまま全校集会なんて開いて、未だ生徒を待機させて職員会議なんかやってるの? 話し合える程何を知ってる訳でも無い筈なのに。いやそもそも、私に一度も電話をかけてこなかった昨日の時点でおかしい。そう。おかしいんだ。怪奇は終わってなくて続いてるんだ。そして恐らくこの今こそが最高潮で、このままこの件を有耶無耶うやむやにして終わらせたいと望んでる誰かがいるんだ。その誰かとは、先生も警察も間抜けに出来る尋常じゃない力を持っていて、今日で全てを有耶無耶うやむやにするべくずっと私達を見張っていて、今も私達の遣り取りの行く末を見据えてる。もし不都合が起きたら、お得意の理解不能で塗り潰す為に」


 シーはスマホをしまう。


「ねえユウ。何で私達って渾名あだなで呼び合うようになったんだっけ」



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