第48話


 二人の様子を見ている間に幾分体力が回復した俺は、痛みが酷くならないようゆっくりと起き上がった。


「無事かお前ら……?」


 俺に気付いていなかったキイは、ぎょっとして振り返ると飛び上がる。


「ぎゃあ!? ユウくんまで!? 何でボロボロ!?」


「先頭でゴミだのガラクタだの蹴散らしながら走ったからかな……」


 今気付いたが、懐中電灯を落とした。目を凝らして自分の腕を見てみるが、シーと同じく擦り傷だらけになっている。軽くズボンの裾を捲ってみると、脚も痣だらけになっていて溜め息が出た。


 俺とシーの様子に尋常でない状況を感じ取ったのか、キイは心配そうに俺達を見る。


「……大丈夫? 何があったの?」


 守谷の時と言い藤宮の時と言い、意味の無い問いだろうと分かっているが尋ねた。


「覚えてないか?」


 キイは不安な顔になる。


「何も……。二人と別れて、バイト行ったぐらいまでしか……」


 肩を竦めて苦笑した。


「いや。いいんだ。気にすんな。元気そうでよかったよ」


 いつものキイだ。さっきまでの異様な雰囲気は跡形も無く消えている。シーも静かだがバテているだけで、妙な様子は無い。


 音を発しなくなったうぐいす旅館を見た。正面からは侵入前と変わらない様子でそこにある。のろのろと立ち上がって裏へ回ってみると、高い脚で支えられていた建物の後ろ半分が、削がれたように消えていた。身を乗り出し、脚の真下に伸びる川を見下ろすと、大量の瓦礫が流れを阻んでいる。消えた建物の後ろ半分は、ゴミとガラクタで出来たあの洞窟も、揺れ続けている電線を巻き込んで倒壊し、あの通りバラバラになったらしい。


 ……終わったと思って、いいんだろうか。何が始まりなのかも分からないし、再発しないとも言い切れないが。


 正面へ引き返すと、ふらふらと立ち上がった所のシーが俺へ言った。


「来てよかったでしょ」


 その表情は疲れ切っているが、得意げに笑っている。


 呆れて笑った。


「一人だったら百パー死んでたぞ」


「無い。キイと二人で帰ってる」


「それはただの願望だアホ」


 スマホを取り出しライトを点けた。


「川伝って駅行くぞ。さっきから蚊に噛まれて痒くてしょうがねえ」


 着信音が鳴る。シーのだ。電波が届いたのか? 自分のスマホで確認すると、電波のアイコンはしっかり三本立っている。


 シーも驚いた様子で画面を見ると、更に目を丸くした。


「モトだ」


 キイが声を上げる。


「えっ!?」


 シーは素早くハンズフリーにすると音量を上げ、俺とシーに近付くよう目配せしてから電話に出た。


「もしもし?」


「おー! シー!? わりわり! 元気かぁ?」


 ちょっと間が抜けているが人懐っこそうな男が笑う。聞き慣れたモトの声だ。


 シーは安堵の余り目が潤むが、溢れさせまいと気丈な顔付きを作る。


「……元気。何で今日休んだの?」


「おーそれそれぇ。それが盲腸でさあ。今朝急に腹痛くなって救急車呼んで! マジで死ぬかと思ったんだけれど、明日には退院出来るぜ。今病院。つかあの、こっからガチの相談なんだけれど、別日に受ける事になった今日の数学のテスト、勉強教えてくんね……? 内容バラすのは流石にアウトだと思うんだけれど、頭いい子に習うだけならセーフ説って言うか……」


 いつも通りのモトに、シーは小さく笑った。


「いいよ。いつもの事だし」


 キイが身を乗り出す。


「モトくん! 大丈夫!? すっごい心配したんだから!」


「おぉキイもいんのか!? 何だよテストの打ち上げか~!? つかお前ら二人とも全然電話繋がらなかったけどカラオケでもいんの?」


「俺もいるぞハライタ野郎」


「おー! ユウ! 何だよ全員集合じゃねえか! 明日皆で俺ん家来いよ病室暇でヤバいんだってマジ!」


「退院直後で遊べる訳えだろ寝てろ」


 四人揃って、声を上げて笑う。


 いつもの光景だった。山の中、然も、半分崩れた廃旅館の前にいるのを忘れるぐらい。今日散々襲われた、訳の分からない出来事も丸ごと無かった事になったみたいに。モトもキイも無事だった。無茶を繰り返したシーも何とも無い。きっともう明日には、日常に戻れるんだ。


 これ以上虫に噛まれるのは勘弁だと、モトとの電話を一旦切り、川沿いに歩くとすぐに駅へ戻れた。電車に乗り込んでシートに座るとどっと疲れが押し寄せて来て、シーはすぐ寝てしまうしキイへの状況説明に追われるわで俺も限界に達する。キイは一旦バイト先に戻るという事で、それぞれの最寄り駅で解散した。眠そうに目をこするシーを家まで送ったが、コンビニの駐車場でのあの返事は、聞けなかった。


 その数時間後、日付が変わる直前に、シーから電話がかかって来る。もう寝るつもりなんだろう。布団を被るような衣擦れの音が大きく鳴る中、挨拶も抜きに眠そうに言う。


「あの返事は明日するから」


 俺の返事も待たずに電話を切った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る