第24話


 響き方からして三階からだ。足音の主は片側の足も階段にかける。そのまま数段ゆったりと上がって来るとリレーのように駆け出し、凄まじい靴音を響かせ四階に上がるなりそのまま俺達へ突進して来た。余りの唐突さに身動きが取れない俺達の前でピタリと止まる。胡乱うろんな目をした井ノ元だった。


 破られたばかりの静寂が、また辺りに転がる。


 見開いた目で井ノ元を凝視するシーが、動揺と警戒心を露わに尋ねた。


「……何しに来たの」


 よく声をかけたと思う。ある程度の距離まで近付いて来た所で井ノ元だと視認は出来ていたが、依然奴の目はどこを見ているかさっぱり分からないのに。まるで寝起きみたいにぼんやりしていて、手足もだらんとしている。なのに異様な俊敏さで直進して来て、俺達の前で急停止した。


 そんな様を直視しておきながら悲鳴も上げずに尋ねたのだ。強靭なんて言葉で片付く精神力なのか。何がこいつをここまでしっかりと支えてる。


 あれ程の勢いで駆け寄って来たのに、井ノ元の呼吸は乱れていない。虚ろな目でどこかを見たまま、電柱みたいに突っ立っている。ふと廊下の窓へ、軍人みたいに直角に向き直った。その鋭い動きで切った風も置き去りに窓へ向かうと両手を伸ばし、鍵を開ける。今日は風が吹いていない。停滞した蒸し暑い空気が廊下の空気と混ざり合い、汗が滲んで不快感が増す。


 スマホが廊下に転がり落ちた。井ノ元が開け放った窓の枠に右足をかけたから。


 井ノ元の様子を窺っていたシーが声を荒げた。


「ちょっと何やってるの!」


「ほんとうにすみませんでした」


 引きり下ろそうと駆け出したシーに零したのだろうか。井ノ元は呟くと、左足も窓枠にかけ飛び降りた。途端バキバキという乾いた音が上がり、続いて、ドラムやベースの音とはまた違う低音が腹を刺すように響くと、静かになる。


 井ノ元が飛び降りた瞬間硬直したシーは、井ノ元がどうなったか確かめようと窓に近付いた。覗き込もうと上体を倒す前に、その細い肩を掴んで止める。


「見なくていい! 救急車呼べ!」


 飛び降りて最初に上がったバキバキという音は、木に接触したんだ。こちらの棟と向かいの棟の間には中庭がある。井ノ元は地面に直撃したんじゃなくて、まず木にぶつかってから地面に接触した。きっと生きてる筈だ。飛び降り自殺を図るが植え込みに落ちて、骨折で済んだニュースを見た事ある。


「わ、分かった」


 シーは足元に転がる井ノ元のスマホを蹴り飛ばしそうになりながら窓から離れ、自分のスマホを取り出した。


 また枝が折れるバキバキという音と、腹を刺すような低音が上がる。連なって二度も。


 俺は窓から身を乗り出した。


 駄目だ見えない。木に落ちてから地面に接触しているという事は、落ちた人間はその木の根元にいる事になる。上からじゃ枝が折れて、葉の群れが不格好に凹んでいる木の頭しか見えない。


 異様な物音に気付いた他の複数の生徒が、向かいの棟から窓を開けて中庭を覗いている。その生徒の一部が何かに気付き、悲鳴を上げた。


「ねえ! あそこ! 誰か倒れてる! 向かいの棟の足元!」


 窓から顔を出している生徒の視線が、一斉にこちらの棟の足元に植えられている木々へ注ぐ。途端劈くような悲鳴の群れが鳴り渡った。


 それを聞きながら走り出していた俺は、渡り廊下に飛び出す。そのまま駆け抜けて向かいの棟へ回り込むと窓を開け、シー達がいる棟の足元を睨むように中庭を覗き込んだ。どの木にぶつかったのかは、さっき向こうの棟で窓から覗いた時に覚えてる。肝心なのは誰かなのかだ。井ノ元が落ちた後に二つも続いてる。


 二人の人間が、それぞれの木の下で倒れていた。誰しも人形のようにぴくりともしない。ここからでは距離がある上に木陰で伏しているので捉え辛いその姿に、生々しいぐらいに見覚えがあった。久我くがと原部だ。


 そう認識した途端、もあの二人以外の誰にも見えなくなる。つまりは、井ノ元と久我と原部。この三人が飛び降りた。そして村山は異様な状態に陥った後車に轢かれ、足立は自宅の階段から自ら転がり落ちて搬送……。モトも急に休んでまだ連絡は付かない。つまり肝試しに参加した全員が、何らかの異変に遭い平穏を失った事になる。


 いや、モトはただの体調不良なのか? いや今はどうでもいいそんな事。井ノ元、久我、原部が、突然校舎から飛び降りた。然もほぼ一斉に、同じ棟から。


 騒ぎに中庭へ駆け付けた先生達が、まだ動かない井ノ元らへ声をかけながら走り寄る。シーの電話によるものだろうか。遥か遠くから、微かに救急車のサイレンが聞こえて来た。


 そうだシー。直に警察だって飛んで来る。妙な疑いをかけられる前にここから離れた方がいい。どうせ何をかれたって誰も説明出来ないんだ。無駄話に付き合ってられるか。


 また蝉が鳴き出した。


 俺は駆け出すと渡り廊下を引き返し、シーの腕を掴んで学校を飛び出す。



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