第19話


 その珍しさに、溜め息の出所へ目を向けた。隣でぐったりと猫背になって俯いているシーがいる。肩辺りまであるウルフカットでよく見えないが、胃痛でも起こしたようなそれは苦い顔をしていた。どんな猛暑日でも殆ど汗をかかない程代謝の悪い体質が嘘のように、額にじっとりと汗まで浮かべて。その苦々しい顔のまま、ぼそりと呟く。


「……人を安心させるって本当に困難。何度格好付けようと終わりが無い」


「ああ。キイが不安そうな顔してたから」


「マージで胸が悪い。普段明るい子が落ち込むのを見るのは。特にキイ。あの子の言葉遣い聞いてた? 怖いのにもうやめるとか、嫌だとか、ほっとこうとか、一回も言ってないんだよ。小難しい事考えるのも得意じゃないから、私が話すたびに自分は役に立てないだろうって負い目まで感じてるし。そんな事気にしなくていいのに……」


 消えそうな声で言うと、右手で額を覆いまた嘆息した。


 ガードが固い性格なので余り多くの前では見せないが、高い共感性からかなり正確に人の感情を読み取れてしまうし、その上自罰的という厄介な性格をしているのである。こいつとは。


 そして多くの前で見せているクールな態度とは、こうした繊細な自分に気を遣われると、その罪悪感でまた落ち込むという地獄のループから抜け出せなくなるのを防ぐ為の擬態である。寡黙で、何を考えているのか分からない振りをしていれば、自分に向けられる心配を削ぎ落せるから。人とはお前が心配してる程にまでは脆くないし、お前もそこまで自分を追い込まなきゃいけない理由も無いんだが。


 とか言っても、頑固だから聞かない。頑固だからさっきキイの前で、思いっ切り格好付けてた。俺は内心呆れていた。言ったら百パー殴られるので言わない。


 別にこうして本音を見せる相手も俺だけじゃないし、キイやモトにも零している事はしょっちゅうある。が、今回モトは連絡が付かないし、キイも不安がっていてそんな事言える訳無いと、ぶつける相手が俺のみになっている訳なのだ。つまり参ってるのはこいつも同じって事である。その自己防衛をどこかに放り出して来たお人好しっぷりと頑固っぷりで、つい先程まで完璧に隠していたが。


 自分を磨り潰してまで誰かの為に在ろうとするなんて、正気じゃないって俺は思うけれど。


「もしスーパーパワーとセットで正義の味方になれる権利をやるって言われても、誰もやりたがらねえだろうな」


 俺を見上げたシーは苦い顔のまま、意味を尋ねるような目を投げた。


 俺は意地悪くニヤリと返す。


「いっつも誰かに気を遣わなきゃ気が済まないお前みたいな奴にしかなれねえし、そんな事無報酬でやりたくねえから」


「生き方に報酬なんて要らない」


 今し方まで全身を襲っていた苦悩を焼き尽くしながら爆発寸前まで噴き出した怒りを堪えてキーは言った。


「どうして自分の価値を誰かに任せなきゃならないの。これは私が選んで私が決めた生き方だし、ヒーローになりたいからやってる訳じゃない。生まれてこの方この生き方以外を、私の良心が決して許そうとしないから。こんなの正義でも何でも無いし、チヤホヤされるなんて侮辱されてるようにしか感じない。私は自分の良心を守る為の見栄を張って、キイの信頼を買い占めた。こんな不潔な嘘をついた上に嘘のまま終わらせたら、何の為の見栄なのか分からなくなる。たとえ不純な動機であったとしても約束とは、果たす為に結ぶものなんだから」


 この通り自分の意思を絶対に曲げたくない奴ってのはプライドも高いから、慰めるとキレるし煽ってやる気にさせるのが一番なのである。


 なのでにやけ面は崩さない。


「だから図書館行って、おきつね様とやらを調べに行くんだろ?」


「そう。その後は夕方頃に学校に引き返して、軽音部の幽霊の噂を検証する。ネタならもう上がってるんだから」


 背筋をしゃんと伸ばしたシーは取り出したスマホを振ってみせる。そこにはキイと別れる直前に共有し合っていた情報源であるメッセージアプリがそのままになっていて、三人で知っている限りの人間へ送りまくった軽音部の幽霊についての情報を求めるメッセへの返事が、大量に表示されていた。


 口にしなかったが俺とシーの予想通り、どれも聞いた事がある似たり寄ったりなものばかり。要約すると軽音部の幽霊とは、部活終わりの日没頃に部室内や付近の廊下で現れるらしい。俺もシーも一遍も見た事無いが。出没のタイミングに合わせシーも検証は夕方頃としているが、本音としては閉館ギリギリまで図書館での調べ物に時間を費やしたいといった所だろう。


 早速改札へ歩き出すシーに続こうとすると、シーのスマホに電話がかかる。


「ん」


 シーは、出鼻を挫くような格好で現れたそいつにムッとした視線を送ると足を止め、スマホを耳に当てた。


「もしもし」


 謦咳けいがいの一つも無しに普段のクールな態度に戻る精神力が流石。


 近付いて耳を澄ましてみると、電話の相手は後輩の女子部員だった。


「副部長、今日練習来ないんですか? 守谷先輩も全然来ないんですけれど……」


 と思っていたらシーの顔が引きる。


 いや、俺もすっかり忘れていた。そうだこいつ、今日練習日だ。だから楽器ケースを背負ってるし、守谷もスティックケースを提げていた。軽音部とはドラムセットや機材を交代で使って練習する関係上、一日の練習時間を複数のバンドで分け合っており、当然交代時間が来れば待っている他のバンドへ譲らなければならない。


 シーはいつもの無表情を再度一瞬で取り戻すと答える。


「ごめんなさい。用事で忘れてた。今日は私と守谷行けないから、ドラムとアンプ使っていいよ」


「いや、それがー、あの……」


「どうしたの?」


「部室の鍵が見当たらないんですけれど、副部長が持ってたりしませんか? 探してるんですけれど、今日の練習の順番って副部長のバンドが一番目でしたから、もしかしたらーと思って……」


 シーは空いている手をスカートのポケットに手を入れた。自宅のものでも自転車のものでも無い鍵があっさり現れ、軽音部と書かれた小さな木札までぶら下げられている。


 それを見たシーはムンクの叫びのような顔になって叫んだ。


「ごめん忘れてた今駅前だからダッシュで持って行く!」


 それは珍しいシーの絶叫に俺も電話越しの後輩も驚くがそれに感想を付けている暇など勿論無く、宣言通り全力疾走で学校へ引き返すシーに続いて俺も走り出す。



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