朝議

 統木すばるきの花嫁が船内の暗い廊下を進み、蝋燭の火を揺らす。

 花嫁が目指す部屋の前に彼女の花夫はなづまが立っていた。

「待たせしや?」

「まだ来てない者もいるから問題ないよ」

 他の誰かではなく花夫がどうなのかを聞いた花嫁は彼の返事を面白くないと思いながらも差し出された手に自分の手を乗せる。

 花君はなきみの招きに従って部屋に入る。

 そこには海勇魚船神わたないさなふねのかみまつりごとを執り行う人々が集まっている。数にすれば二十を越える人員であり、まだ来ていないものが数人いる。

 その全ての顔が見える部屋の右奥に航君わたぎみと花嫁は寄り添って座る。

「皆、おはよう」

 航君が声を掛けると部屋にいた者が花嫁を除いて全て伏して礼を取る。

 その光景に航君は頬を引き攣らせた。

「毎度言うが、ちょっと怖いくらいだぞ。普通に声で返せんのか」

「これでも略式です」

「だいぶ砕けてますが」

「農民にはこれが限界なのは確かですけどね」

「こら。せめて朝議の伏せ拝くらいは残さないと陛下がさらにおおきみとしての自覚を失くすだろう。余計なことは言わないでくれ」

「官吏が農民にお願いするのです、君の望みは十分に叶っていますのでこれ以上の無理難題は重ねないでください、ほんと、胃痛をもう増やさないで」

 航君がぽつりとぼやくと、その数倍の言葉の量と声の大きさで口々に逆襲を受ける。

 これで黙ってしまうのだから、航君が目指した通りに身分の上下なく皆が絆を結んでいると花嫁は微笑ましく思えた。

 それから送れた者が部屋に入るなり航君に伏せてから自分の席に着く。

 さっきまでの気安い空気を払うために、海皇は咳払いをする。

「さて、皆集まったな。これより朝議を始める」

 海勇魚船では祖国に習って朝議を開いている。最も重要視しているのは勇魚船の進路に関するものであり、その他に生活の中で起きた問題を話し合いで決めている。

 船民せんみん、即ち船を動かす船員を取り纏めるおきの弥彦やひこが海図を真ん中に開く。それは左端に祖国の島が描かれていて、しかし大部分は空白だ。

 弥彦が勇魚船を示す駒を海図に置く。

波島はしまの鳥にいづくより来るか聞きつ。行く先は元のままでよかるべし」

 統木にとって波島はまだ領地の中だ。海から渡ってきた鳥であってもその統治下に入れば言葉を交わす事が出来る。

 勇魚船は何処とも知れない新しい土地を目指すに当たり、海の向こうから来る渡り鳥がやって来る方角に進むと決めている。

 鳥から直接情報を仕入れてくれる花嫁の言葉は、進路を決める者達にとって大変に心強かった。

「では進路はこのまま南東に取ります。よろしいですね」

「うむ。それで頼む」

 航君が決定を下したので文官がそれを記録する。

 その横で弥彦が襖を開けて外に控えていた船民に進路が決まった事を伝えて走らせる。

「次に、改めて波島で船を降りた者達を教えてくれ」

 続けて航君は海勇魚船の民の変化を議題に上げる。

 文官が帳簿を捲り、海皇の元を離れた者の名を読み上げて、最後にどの仕事を担っている者がどれだけ減ったのかを告げる。

 結局、波島で海勇魚船神と離別したのは千の内の二十四人であった。その殆どが農民である。海の上、船の限られた面積で農耕を行うという現実的な苦労が重く圧し掛かったのは想像に難くない。

 それでも農民の内で離脱したのが一割だけだったのだから、称賛に値する。

 農民の代表として朝議に参している新田にった吉次郎きちじろうは沈痛な面持ちを俯けている。

「吉次郎、心苦しかろうが、田畑の人手は足りるか?」

 航君は吉次郎の心情を慮るも現状の確認を取る。これから先、海勇魚船は港に寄って物資を運び込む当てがない。

 千人近い人々が生きていくには、農民である彼等が作る作物が不可欠になる。

 吉次郎は目頭を揉んでから、しかと海皇に顔を向けた。

「人手はむしろ余ってますよ。むしろ土地が足りません。それに潮風で育つ作物も少なく……降りた連中も役目を果たせない後ろめたさに堪え切れなかった者達です」

 吉次郎の返答は芳しくない。

 海勇魚船は大きいと言っても限られた床面積しかない。稲や野菜を育てるには日光が不可欠だが、甲板も田畑に出来る場所は限られている。それに持ち込めた土の量も足りない。

 元から海に近い土地で農耕をしていた者に種持参で船に乗ってもらったが、大地を離れて草木を育てるというのは至難の業だ。

 今は統木の実りや花の蜜、水の受け取りをするのが農民の主な仕事になっている。

「土地がりようにありしかば、増やさむ」

 けれども花嫁が気軽に土地を増やすなんて言うものだから、航君は胡乱な視線を横に向けてしまった。

「なんぞ」

「増やせるのか?」

「根を伸ばすのみ。百町なれば二月ふたつき三月みつきで足らむ。花と実は減らすべけれども」

 花や実を作る分の栄養を回せば今の人口を養うのに十分な田の面積を広げられると平然とのたまう神に、その場にいた人々は驚愕する。しかも出来て当然と言う涼しい顔をしているので恐怖で顔を青くする者までいる。

「今日はそちらの者どもを見に行かむ」

 花嫁は今日の予定をこの場で立てて花夫の顔を伺った。

 花夫は静かに頷いて了承を得たので、次に吉次郎に視線を向けた。

 海勇魚船に乗る者の中で最も貴い存在の眼差しを受けて、祖国では一介の百姓に過ぎなかった吉次郎は額を床に擦り付ける。

 命は草も熊も人も等しいと花夫に教えてきた花嫁は、そんな態度を取られてひっそりと不満を募らせる。

 でも花夫に袖を引かれて窘められたら、花嫁は文句を口に出す気分にもならなかった。

 その後も次から次に議題が出て来る。航君が支持を出して済むものあれば、この場にいる全員に決を取るものもあり、解決の糸口も見付からずに明日に回されるものある。

 やっと祖国を離れて本格的な海の流浪を始めたばかりでもう、問題は山積みであった。

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