第16話 粉になっても

 寝室の戸が閉まると、真広は少し落ち着いた様子だったが、嗚咽が聞こえてくるので泣き止んではいないらしい。しかも、私に対してずっと謝罪してくる。その内容は親子間の諍いを見せてしまった事について。まぁ揉めているのを知らなければ――私はちょっと悩みつつも、真広に必要とされてるなんて思い直していただろうから正解だ。私は真広を慰めたかったが、ずっと掴まれたままで姿すら見てやれない。「私はやっぱり役立たずだなぁ」と感じたけれど、後追いという言葉はクソかという程この世に魂を定着させる。


 真広の謝罪は夜が明け、出勤しなくてはいけない時間まで続いたようだ。真広は携帯のアラームと共に立ち上がり、どこかへ移動。その途端にパッと視界が開けた。調理器具を持っている母親が居たので、ここはきっと台所だ。真広は母親に挨拶もせず、私をくるくるとラップで巻いた。丁寧な事に爪楊枝で空気穴も作っている。おかげで音が聞けそうだ。それから真広は着替えを済ませ、胸ポケットからちょこっと私を覗かせて自分のクリニックへ。ただし玄関からではなく裏口から入る。挨拶しながらすれ違う勤務中のスタッフは、有能そうな人が多い。

 真広は白衣を身に纏うと、その胸ポケットに私を入れ直した。白衣のポケットは深めなのか、スポンと底まで落っこちる。何も見えなくなったけれど、かろうじて音だけは聴けた。

「ちょっと窮屈かなぁ……許してくださいね、もう手離せないので」

 そこからギシッと椅子に座ったり、カタカタとキーボードを叩く音が聞こえてくる。あとは真広の「愛華さんに聞かれてると思えば緊張しますけど、頑張りますね」という声。

 そのあとすぐに、真広の診療が始まった。

 一番手はお爺さん。何を言ってるのか判別不明だが、真広は聞き取っている。真広が話し掛ける内容は「最近どうですか」「寝られてますか」「食欲はありますか」など普通な感じ。他に雑談もするが、お爺さんが去った後「病識まだまだかなぁ」とか言いつつキーボードを鳴らしているので、全くの無駄話とは違うようだ。

 二番手は若い女性。なんだか真広に対し、ねっとりした喋り方をする。しかも個人的な手紙を渡そうとした。真広は「患者さんからは何も受け取れないんですよ~」と笑っていたが、なかなか診察室から出ようとしない患者の発言には被せるように「では四週後」と三度ほど繰り返す。そして私に対し「浮気じゃないですよ。陽性転移の患者さんなので、次回から他の先生に診てもらいますね」と説明。私には『ヨウセイテンイ』が解らないのだけれど、私も『街の便利屋さん』で自分がモテていると勘違いしている男性客に絡まれたり、暑苦しい恋文を貰った事があるから似たようなものだろうか。

 三番手は初診の中年男性。いきなりバチバチと音がしたので、真広は話を聞く前に除霊している。患者は急に気分が良くなり戸惑っている様子だ。真広が「思い切って精神科へ来た事でスッキリしてしまったのでは。念のため軽い安定剤を少し出しておきますね」などと言い終了。

 その後も真広はどんどん患者を診ていくが、合間合間にペラペラと何枚もの紙を捲って移動、止まったと思ったら「診察中にどうも、院長の花川です~」と言いながら除霊していたので、内科か整形外科に出張したようだ。

 こんな事を昼休みまで。食事を摂った後は『MRさん』とかいう業者らしき男性と、これから発売する新薬の話。内容は専門的で難しい。MRさんが帰ると、真広は私を胸ポケットから出した。私が視界の届く限りで見回すと、ここはちょっとした応接室だと判明する。「まぁ業者と話す場所は、こんなモンか」と思っていた私に、真広がちゅっとキスした。

「ええっと、普段はここから十五時半――午後の診療が始まるまで勉強してます。でも今日はお休みです。謝ってばかりも何なので、愛華さんが残ってくれた喜びも伝えないと」

 真広は私を手のひらに載せたまま、色々と話し掛けてくる。主には「喋れないだけだったんですね、良かった!」という内容だ。他には「少しだけ愛華さんは居なくなっちゃってるのかなぁと思った時期もありました」など当たり前の事も言っている。あとはひたすら、キスだの頬ずりだの撫で撫でだのが続き、さすがの私も恥ずかしくなってきた。

 真広はしばらくそんな感じだったが、一言断って私を胸ポケットに入れる。すぐ午後の診療が始まり「私は世界中全ての免許という免許を持っており、特殊部隊に所属している!」など、他人から見たら愉快で家族からすれば深刻な患者や、自傷行為を止めたいのか、止められないのか、止めたくないのか、私では判断のつかない患者など、本当に色々な人間が現れた。私も『街の便利屋さん』でソコソコの人数を相手にして来たが、真広はそれ以上の数と濃さだ。本職とはこういうものか。


 やがて診療が終わる。お疲れだろう真広は白衣を脱ぎ、私服を身に纏った。私服は胸ポケットから少しだけ私がはみ出るので、真広が移動すると散歩気分で楽しい。

 その真広は、まっすぐ家に帰らず寄り道。衣料品店で何やらどっさり買い込んでいる。お次はコンビニ。夕食の分という感じだ。真広はコンビニから出たところで飛び始め、着地したのはビジネスホテルの前だった。

どうやら真広は未だ腹を立てており、家に帰らないつもりらしい。ただ、母親が「ごめんなさいね……」と言っていたので、記憶の抹消は様子見、と教えてくれた。

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