9月10日 −11−
生徒会長は約束を
今年度の優勝校、我らが緑陵高校に対する優勝旗授与が行われた直後、彼女は過去の誤審とその原因について触れ、その場で改めて、三十年前の優勝旗授与のやり直しを行ったのだ。
敗北に沈んでいた古沼高の生徒達もこの予想だにしない報告に沸き、結果として両校とも大いに盛り上がるという思わぬ効果を生んだ。
そして、閉会式の後、再び呼び出された延田の処分は結局、生徒会が有志生徒を募って地域で行っているボランティア活動に当面の間強制参加となった。
体育祭の管理は学校の直轄ではなく両校生徒会の責任範囲だし、優勝旗が〝管理の不行き届きで一時的に行方不明になった〟だけなので、学校を巻き込んだ停学や退学の処分にはあたらないと判断されたのだ。
会長みずから延田に処分内容を説明し、延田はそれを素直に受け入れた。目に涙を浮かべて頭を下げる延田に、会長は墨痕鮮やかなペナントを手渡してこう言った。
「さて、これを一晩お貸しします。なお、明日には優勝旗に戻します。これを持ってすぐに叔母さんのところに行って下さい」
ペナントには「第三回緑古戦 優勝〝古沼高等学校〟」と書かれていた。延田は一瞬驚いた顔をした後、涙をポロポロこぼしながら生徒会室を飛び出していった。
◆◆
眼下に見えるグラウンドでは、両校生徒会主催の後夜祭が行われている。日没と共に中央に組まれたステージは強力な投光器で明るく照らし出され、各校から選りすぐられたダンスや歌のパフォーマンスが続いている。
さらにグラウンドのまわりには屋台が並び、両校の生徒が自由気ままに食べ歩きを楽しんでいた。
「君は、下に行かなくていいのかい?」
「あーいう場所はリア充が行くところです。それに僕は仕事です」
僕はファインダーをのぞき込みながら答える。
仕事というのは別にひがみでも何でもない。両校ダブル優勝という思わぬサプライズで後夜祭の参加人数がどっと増え、その様子を記録しておきたいという会長の急なオーダーで、本日二度目の屋上待機となったのだ。
「先輩こそたまには楽しんできたらどうですか?」
途端に脇腹を思い切りつつかれた。
「知っているだろ! ボクがあーいう場所が無理だってこと」
先輩はフンと鼻を鳴らし、僕がここに上がるときに持ってきたフランクフルトの串焼きにパキリとかぶりつく。
「全部食べないでくださいね。その二本きりしかないんですから」
「知らないよ。つまらない憎まれ口を叩くなら両方食べてやる」
僕は肩をすくめつつ、ファインダーからは目を離さない。
「それにしても、よく屋台で買い物をする時間なんてあったね」
「そうなんですよ。会長に急に言われて慌てて飛び出してきましたから」
「だったら——」
「岩崎さんが持ってきたんです。上で食べてくださいって」
途端に先輩は沈黙した。不思議に思って振り向くと、先輩は自分の歯形のついた一本と、スチロールのトレイに残るもう一本を交互に見て難しい顔をしている。
「これはもしかして、ボクが口にするべきではなかったかも知れない」
「はあ? 先輩はアレルギーとかないですよね?」
「いや……そうじゃないんだ」
その時、地上でワッと声が上がった。
ステージではダンスや歌のパフォーマンスが一段落し、告白タイムが始まっていた。普段言えない心の内をこの場で吐き出すという趣向で、毎年これがきっかけで付き合いはじめるカップルも多いと聞く。
「すごいですよね。大勢が見上げるステージで、拒絶されるかも知れない告白をするなんて勇気、僕には一生持てません。考えただけで胃潰瘍になりそうです」
先輩はすぐには答えなかった。しばしの沈黙の後、先輩の指が僕のジャージの裾をつまむのが感触でわかった。
「どうしました?」
僕はファインダーをのぞき込んだまま問う。
「違うんだよ。あれはあれで有効な作戦なんだ」
「作戦?」
「大勢の見ている前で告白する。実にけなげじゃないか。誰だって心が動かされる。その上、まわりの聴衆が告白された相手に無言の圧力をかけるんだよ。〝あの子は勇気を出して堂々と告白したのに、お前は断るつもりなのか〟ってね。それが成功率を上げるんだよ」
直後、僕は思わず目を見開く。ファインダーにズームされたステージに、見知った姿が突然飛び込んできたからだ。
『私は古沼高校一年、写真部の岩崎と言います。緑陵高校一年、四持太陽君! 私はあなたがずっと前から好きでした』
「はあ!?」
僕は思わず大声を上げた。
「な?」
ファインダーを指さして口をパクパクさせる僕に、ジャージの裾をつまんだままの先輩が妙に悲しそうな表情で言う。
「わかるだろ? これって、告白された側もかなりのプレッシャーなんだよ」
告白はさらに続く。
『太陽君と初めて会ったのは、私が中学生の時でした。塾に行くため電車に乗っていて、痴漢に遭ったんです。相手は大柄な男の人で、私は、怖くて動くこともできませんでした。まわりの人も、誰も助けてはくれませんでした』
予想外の成り行きにグラウンド中がざわめきはじめる。
『でも、太陽君は違いました。持っていたカメラで痴漢を撮影し、それを証拠にして大人の男を駅員に突き出したんです。中学生が、たった一人で』
「あー」
僕はようやく思い出した。
何年か前、確かにそんなことがあった。身体がガタガタと震え、何度も何度も説明につっかえたことを覚えている。事務室で話をする時も、相手に突然殴られたらどうしよう、駅員が信じてくれなかったらどうしよう、そんな情けないことばかり考えていた。
『その時太陽君は、将来カメラマンになりたい。だから、高校に入ったら写真部に入るんだって言ってました』
泣いている三つ編みメガネの女の子を前に何を話していいのかわからず、彼女の親が迎えに来るまで、そんなどうでもいいことを延々口走った覚えもあった。身に覚えがありすぎて、背中にダラダラといやな汗が流れる。
まさか、あの時の女の子が岩崎さんだったとは。見た目が変わりすぎていて、全然気づきもしなかった。
それに、あれは僕にとって忘れたい記憶だった。そう、あまりにも自分がみっともないからだ。
『だから私も写真で有名な古沼に入ったのに、彼はいませんでした。名前もわからない、もう二度と会えないかもって思ってました。でも、この緑古戦のおかげで彼に再会できました。だから、今日が終わる前に、思いを伝えます。太陽君、ありがとう、大好きです』
グラウンド中が静まりかえった。はやす声一つ聞こえなかった。
岩崎さんは最後に丁寧にお辞儀をしてステージを降りた。グラウンド中から拍手の音が沸き起こった。
そんな中、僕はギギギと音が出そうなぎこちなさで先輩に振り返る。
「先輩は、知ってたんですか?」
「ああ、相談されたからな」
「いつの間に……」
先輩はため息をつく。
「さっきだ。あの子が図書室に先に戻ってきたから、君とのことを聞いたんだよ」
「先輩はそれでいいんですか?」
「何がだ。あの子が告白したいと言うから方法を伝授したまでだ。嬉しいだろ? ようやく君も彼女いない歴イコール年齢から脱出できそうじゃないか」
「そんな!」
「そう、これで……もう」
先輩は顔を伏せ、消え入るような声でつぶやいた。
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