7月26日 −2−
「またお前たちかっ!!」
突然のアラームに野球部員たちが硬直する中、ガラリと窓が開き、グラウンドまで届きそうなどら声があたりに響き渡る。
「いえ、俺たちは何も……」
二年生らしき部員がしどろもどろで弁解しているが、室内の相手……熊元はまったく聞く耳を持たない。まるで機関銃のように立て続けに大声で恫喝し、野球部員はすっかり萎縮してうつむいてしまった。
「いいか! この件は顧問に報告し、お前たちにも厳正な処分を――」
「待ってください!」
僕は思わず大声を上げた。
「何だお前は!?」
「一年の四持です。生徒会の依頼で状況写真を撮りに来ました」
僕は目の前で見ていた。
あの小さな鋭い音が響くまで、野球部員たちは和やかに(というか、和やかすぎるほどにのんびりと)素振りを続けていて、何かを仕掛けようとする雰囲気は皆無だった。
「うるさい! 無関係の部外者は黙っていろ!!」
「それはできませんよ」
凛とした女声が不意に割り込み、同時にうるさく鳴り続けていたアラームが止んだ。
まるでエアポケットに落ちたような突然の静寂。
僕の背後から場に進み出たのは生徒会顧問、吉見先生だった。
「部活動の管理監督も生徒会の仕事です。部外者ではありませんよ」
「しかし! こいつらは、職員室の窓に石を……これは我々生徒指導部の範疇だ。生徒会には関係ない!」
「ええ、確かに。でも、もしそれが事実ならば、です。現時点ではあくまで疑いに過ぎず、その調査や聞き取りも含め生徒会が受け持ちます」
「しかし……」
「先生、生徒の自治が我が校の理念でしたよね? さあ四持、すぐに撮影と全員の証言取りを始めて下さい」
吉見先生は僕の肩をポンと叩くと、僕の耳に口を寄せて僕一人にだけ聞こえる小声でささやいた。
「先ほど生徒会の名を騙ったことはそれで帳消しにしてあげます」
「は、はいっ!」
拒否はできそうにない。
僕はぴしりと背筋を伸ばして敬礼すると、相変わらず硬直したままの野球部員のもとに駆け寄った。
◆◆
「それで、証言は取れたのかい?」
撮影と証言取り、そしてその後の報告で、校門を出た頃にはもう街は宵闇に沈んでいた。
昼間の刺すような暑さは和らぎ、海から吹いてくるひんやりとした風が、茹だったアスファルトをゆっくりと冷ましている。
そんな桜木町駅前のスタバの一番奥。
居心地悪そうに膝を抱えて縮こまり、黒いキャップで顔を隠すように俯いていた優里先輩は、僕が声をかけた途端にバネじかけのように顔を上げる。
その顔に一瞬だけ安堵したような笑顔が浮かんだような気がしたが、次の瞬間にはいつもの冷たい仏頂面に戻って問うてきた。
「ええ、でも生徒会長と吉見先生への報告にすっかり手間取ってしまって。遅れてすいませんでした」
「まったくだ。遅れるなら遅れるで、もう少し早く連絡したまえ」
「すいません。メッセージが入ってるのは気づいていたんですが、さすがに報告中にスマホは……」
報告が終わってLAIMを開いて驚いた。未読のメッセージ四十件はさすがにただ事ではない。慌てて電話をすると先輩はひどく不機嫌で、「すぐ来い」と一言だけでブツリと切られた。
「気づいていたのならさっさと返事をしたまえ。既読すらつかないし。どれだけボクが心ぼそ……いや、それより現場の写真を早く見せてくれ」
先輩はみずからの所業を完全に棚の上に置くと、なぜか顔を赤らめ、僕がぶら下げていたカメラを両手でひったくるように抱え込んだ。
「んぷっ! ちょ、先輩!」
だが先輩は勢いで飛んだキャップもそのままに、僕を無視して勝手にプレビューボタンを繰り始めた。
「一応その場にいた生徒全員の写真も最後に撮ってありますが……」
カメラと一緒に引っ張られたストラップから頭を抜きながら、僕も思わず赤らんでしまった頬をパタパタと仰ぐ。
急に引っ張られた勢いで、一瞬先輩のおでこに唇が触れてしまったような気がしたからだ。
だが、先輩の様子に変化はない。どうやら僕の思い過ごしだったらしい。
「いや、そんなものはどうでもいい」
先輩は僕の説明を無視すると、割れたガラスのクローズアップ写真をさらに拡大して細かく見聞しはじめた。
「……これは何だ?」
先輩が指さした液晶画面には、複雑にヒビの入った網入りガラスが映し出されていた。
「何だって……いや、初日に割れたガラスですけど」
「そうじゃない、どうしてガラスの上半分に黒い紙が貼ってある?」
「ああ、それ、ちょうど熊元先生の背中側に窓があるんです。夕方からの西日が暑くてかなわないから日よけにと……」
「ああ、あの暑苦しい体育教師か。ところでこれ、黒画用紙か?」
「いえ、なんて言ったっけ……ええ、スチレンペーパーだそうです」
僕はメモ帳を見ながら答える。途端に先輩はチッと舌打ちをした。
「バカじゃないのか熊元は。それで、今日割れた別のガラスにも何か――」
「ええ、行事予定表やら何やら、西日よけも兼ねて、先生たちのメモボード代わりに使われていたみたいですね」
「……まったく。それが原因だ」
先輩は大きなため息を付くと、背もたれにだらりともたれかかった。
「ちなみに、職員室のエアコンはどうなっていた?」
「え? エアコンですか?」
僕は一瞬言葉に詰まる。この先輩はいつもこうやって脈絡のないことを言い出すので頭の回転が追いつかない。
「今日も相当暑かったですからね。恐らくフル回転……そう、確か若い女の先生がカーディガンを羽織ってましたから……」
「確かに、熊元あたりに設定を合わせてたんじゃ寒いくらいだろう。明日一番で温度設定も含め確認してくれ。それで恐らく確定だ。まったく、久しぶりに興味を引く話題が舞い込んできたと思ったのにがっかりだよ」
先輩は氷が溶けきった薄いアイスラテをずずっと吸い込み、美味しくなさそうに顔をしかめた。
「……ところで先輩」
僕は意を決して切り出した。謎ときにしか興味のない先輩は、こういうトラブルでもないと絶対に連絡を返してくれない。僕はそれがかなり不満だった。
「何だ後輩?」
先輩は話は終わりとばかりに立ち上がり、再びキャップを深くかぶり直したところだった。
「明日は学校に来てくれますか? 現場検証と生徒会への説明くらい付き合ってもらえますよね?」
「あまり気が進まないな。暑いし」
先輩はにべもなく断った。それでも僕は食い下がる。
「それに、そもそもガラスが割れた原因をまだ教えてもらってません」
「言ったじゃないか。網入りガラスにやたら色んな物を貼り付けるからだ」
「
「えー、面倒だな」
先輩はあごに人差し指をあてて少し考え込むと、何か良からぬことを思いついたようにニンマリと笑った。
「よし、四持、今からうちに来い。秘密兵器を授けてやる」
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