第2話 昭和レトロ

 刑事がやってくると、本格的な捜査が始まった。鑑識も捜査を始めると、にわかに慌ただしくなり、近所の野次馬が集まってくる。

 野次馬は、どんどん集まってくるが、岸本はその中に見たことがある顔を見つけた。

――おや? あの人をこんなところで見るなんて――

 という人であった。

 その人は、確か医者ではなかったか、白衣を着ていなかったことと、学生時代に田舎で見たきり、ずっと会っていなかったので、最初はすぐに分からなかったのだが、岸本の方では意識がなかったにも関わらず、その人の視線が熱かったことで、意識をしたのだった。

 子供の頃は病弱だったこともあって、よく先生のお世話になったものだ。特に一度肺炎をこじらせた時、危ないと言われた時があったらしく、その時にずっと世話をしてくれたのが、その先生だけだった。

 名前は確か、松本先生と言ったような気がする。松本先生と思えるその人は、岸本に視線を傾けただけその後に、視線は花壇の方に向けられた。

 鑑識の方で、行われている捜査を熱い目で見つめている。その視線に気づいたのか、鑑識の一人が立ち上がり、じっと先生の方を見つめていた。

 その間に二人の間でアイコンタクトがあったような気がしたが、分かり合っているという雰囲気ではなく、視線で会話はしているのかも知れないが、立場的には警察医の方が強く、本当であれば松本先生の方は視線を逸らしたいと思っているものを、逃さないぞとばかりに見つめていて、まるで、

「ヘビに睨まれたカエル」

 の様相を呈していた。

 さすがにいたたまれなくなった松本先生は、その場を離れたが、それを見た警察医の人が追いかけようとしたが、急に我に返ったようにやめた。

 なぜなら、まったく同じタイミングで岸本も先生を追いかけようとしたからであり、自分が先生を追いかけようとしたことを知られたくないと監察医が思ったのか、後ろ髪をひかれながら、思いとどまったのだった。

 岸本も同じ気持ちだった。

 ただ、自分が第一発見者としての立場があるので、それを放っていくわけにはいかない、下手にその場を離れると、痛くもない腹を探られることになることを嫌った岸本も。その場を離れることができなかった。

 結局二人は、相手を意識しながら、第一発見者という立場と、監察医という立場、それぞれその場を離れることはできない。それをいいことにまんまと野次馬として現れ、すぐに消えてしまった松本先生のことを、二人ともすぐに忘れてしまうという状況に陥ったのだった。

 「先生、いかがですか?」

 と辰巳刑事が聞いた。

「そうだね。大体、死亡推定時刻は今から四時間くらい前ではないかな? ナイフで心臓を一突き、即死だったのではないか? それほど違溢れていないのは、急所をしっかり捉えているからではないかな? もちろん、凶器を引きぬくと、血は噴水のように噴き出すことになるだろうけどね」

 と監察医が言った。

「他に外傷はないですか?」

 と訊かれて。

「ないようだね」

 と医者は答えた。

 これを聞いて辰巳刑事は不思議に感じた。なぜなら、後ろから刺されているのであれば、不意打ちとなるので、身体に傷がないのは分かるが、真正面から刺されていているのだから、抵抗の痕があっても不思議はないということだ、

 抵抗の痕がないということは、それだけ、犯人と被害者は顔見知りであり、まさか刺されるなどということを想像もしていなかったということであろう。

 そのことは辰巳刑事は刑事の勘で分かっているし、監察医の方も、今までの経験から分かっているのである。

「時間的には、まだ人通りもあったかも知れない状態で誰も気づかなかったということは、声も出す暇もなかったくらいの即死だったでしょうね」

 と辰巳刑事がいうと、それを聞いた清水刑事は、

「人通りが少なかったのもあるだろうけど、ここまで即死だったということは、やはり、よほど顔見知りの犯行で、殺されるとは思わなかったということではないのかな?」

 と言ったが、それに対して今度は辰巳刑事が少し考えを巡らせて、

「確かにそうかも知れませんが、必ずしも顔見知りとは限らないかも知れませんよ。逆にまったく知らない相手だったので、意識することもなく殺されたのかも知れませんよ。つまりは、その人は自分が死んだことも分かっていないくらいにあっという間の出来事だったと言えるのではないでしょうか?」

 と反論した。

「なるほど、それもあるかも知れないな。でも、もしそうだとすれば、これは通り魔の犯罪ではないかということにもなる。このあたりで最近通り魔事件が起こったりしていたのかい?」

 と近くにいた警官に訊いたが、

「いいえ、そのような話はありません」

 という。

 もちろん、今日が最初の事件であり、これから多発することにならないとも限らないが、清水刑事にはどうも、顔見知りの犯罪を捨てがたいと思っていた。

 清水刑事は被害者のポケットの中や財布などを確認していた。カバンなどはまわりにはなかったが、それは最初から手ぶらだったのか、それとも犯人が持って行ったのか分からない、

 もしカバンを持って行ったのだとすれば、物取りの可能性もないとは言えないが、財布は残っていたカードも現金もお札で三万円近くある、財布に手をつけていないということを示したのであれば、札を一枚と小銭を残してくるくらいでいいのではないか、それを思うと、三万円も残っていたのだから、物取りではないだろう。

 そうなると、殺害は怨恨によるものなのか、それとも、カバンが持ち去られたりしたとするならば、そのカバンに秘密があるのかのどちらかということになる。

 しかも。怨恨であるなら、確実に顔見知りということになり、いきなり知らない人からやられたという話は成り立たなくなってくる。

 そうやっていろいろと考えていくと、たくさん可能性が生まれ、それを取捨選択することで、真実に向かって絞られてくるのだろう。

 可能性が広がっていく分にはいいのだが、取捨選択を怒っていくうちに絞られてきてしまった情報の中で、肝心な真実が捨てられてしまうということは避けなければいけない。それが加算法から減算法への転換期で難しいところであった。

 さてこの事件の真実に関しては、意外と時間がかかるような思いを清水刑事も辰巳刑事も感じていた。

 まずは、最初のうちには、事実を積み重ねていくことが大切だと思っている。

 清水刑事は財布の中を見て、

「被害者は、鳥飼次郎というようだな」

 と運転免許証を取り出して見た。

 被害者と免許証の写真を見比べてみると本人に間違いなかった。

 財布の中を物色していると名刺も出てきた。

 会社名を、「サクセスフード」といった。部署は営業部のようである。

 辰巳刑事に、

「ここに電話して、鳥飼さんが殺害されたことを知らせてやってくれ」

 と清水刑事は言った。

 辰巳刑事は、清水刑事の言いつけ通り、サクセスフードへ連絡を入れ、

「会社から、署の方に向かってもらうように依頼しました」

 と辰巳刑事がいうと、

 鑑識が現場検証が終わるやいなや、遺体を署の方の死体霊安室に運ぶように指示した。

「アクセスフードという会社からだと、一時間半くらいで、署の方に来れるということでした。どうやら、社長が帰社してから、訪れるということになっているそうです」

 と、辰巳刑事は言った。

「うん、分かった。こちらも現場検証が終われば、すぐに署に戻ろう」

 と清水刑事が言った。

 その後、現場検証が続けられたが、目新しい発見はなかった。付近にはやはり何も落ちておらず、そこで抵抗した痕がないことを証明したかのような状態だった。

 警察署に戻った辰巳刑事を、すでに来ていたサクセスフードの総務部長を名乗る人物と社長の二人が待ち構えているというような格好になっていた。

「これはどうも、ご足労願って、申し訳ございません、まずは遺体をご確認いただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 というと、

「ええ、よろしくお願いあいます」

 ということで、死体霊威暗室の暗い扉を開けて、二人を案内した。

 顔に掛かっている白い布をめくると、そこには、文字通り安らかに眠りに就いている男性がいた。今にも起きてきどうだったが、明らかに起きてくるはずのないその顔は、薄暗さからか顔色が分からなかったのが、幸いしているのだろう。

 もっと、苦しそうな形相を想像し、見た瞬間に顔をそむけるような表情だと思っていたのは、ナイフで刺殺されたということを訊いたからだったが、思ったよりも安らかだったことで、身元確認は本当に用意なものだった。

「はい、うちの鳥飼君に間違いありません」

 と社長がいうと、後ろに控えている総務部長も黙って頷いていた。

「そうですか。いや、これはありがとうございます」

と言って、二人の刑事を含む四人は、死体霊安室を後にした。

 総務部長はそうでもなかったが、社長の方は、一刻も早く死体霊安室nなどという場所から離れたいと思っていたようだ。やはり、いくらS会社社長と言っても、人の亡骸をずっと拝んでいるのは、辛いものがあるからであろう。

 四人は刑事課の応接室で正対し、さっそく聴取を行った。

「鳥飼さんというのは、何か殺されるような感じの方だったんでしょうか?」

 と辰巳刑事がさっそく聞いてみた。

「うちの会社は、少数精鋭のこじんまりとした会社なのですが、営業部と呼ばれる場所は、いつも事務員しか事務所にはいない部署です。それはうちの会社に限ったことではなく、どこの会社にも言えることではないでしょうか? 勤務時間中のほとんどを営業に出回っているので、、基本的には我々は会社にいる間のことしか分かりません。ただ、彼の受け持ちの営業先から彼に対してのクレームなどは一切ないので、トラブル用もないと我々は自覚しています」

 と社長は言った。

「そうですか。会社内でも誰かに恨まれているというような話もないんですね?」

「ええ、今も言いました通り、うちの会社は少数精鋭ですので、もし何かがあるようですと、すぐにウワサになったりして、我々の耳にも入ってくるはずです。そうだよな? 総務部長」

 と話を振られた総務部長は、

「ええ、その通りです。私もそのような話は聞いておりません。今日もこちらへ伺う前の短い時間ではありましたが、営業課長は元より、他の部や課の長の人に少し聞いてみましたが、そんな様子はなかったということです」

 と総務部長は言った。

「そうですか、どうしてもこういう事件は、怨恨から探ってみるのが最初ですので、お聞きしたわけですが、会社ではそういう話はないというわけですね?」

 と辰巳刑事が念を押すと、

「ええ、そうですね」

 と、顔色を変えることなく、総務部長は答えた。

「そうですか、わざわざご足労願いまして、申し訳ありませんでした。もしまたお話をお伺うこともできましたら、その時はご連絡を差し上げますので、世と市区お願いします」

 と言って、二人には帰ってもらった。

 残った辰巳刑事と清水刑事は顔を見合わせて。

「今の二人の証言をどう思うかい?」

「別にきになるところはないかと思いますが」

 と辰巳刑事が答えると、

「じゃあ、君は、今回の殺人を会社内のトラブルとは思っていないということかな?」

「一見そういう感じがしていますね。ただ一つ気になっているのは、帰宅途中でも家の近くだということなんです。もし会社関係の人の犯行だとすると、犯人の心理として、犯人と被害者の接点である会社と、なるべく離れたところで犯行を行いたいという意識が働くと思うんです。そういう意味で、被害者が殺されたのが、帰宅途中の自宅の近くというのは、今の心理を考えると当て嵌まるような気がして、犯人が会社関係の人ではないという結論は早急な気がしています」

 と辰巳刑事は言った。

 この意見には、清水刑事も賛成らしく、

「そうだな、除外するには、無理な気がするな」

 と言った。

 次に二人が捜査を行ったのは、プライベートなところだった、彼の家の近所を訊きこんでいると、近所に一軒の喫茶店があった。

 喫茶店の名前は、

「ダンケルク」

 という名前のようだった。

「ダンケルクって、どこかで聞いたような名前だな」

 と辰巳刑事がいうと、

「第二次大戦の時に、連合軍がドイツ軍に追われて撤退したフランスの都市の名前だよ」

 と清水刑事が言った。

 清水刑事は歴史が得意だったので、覚えていたのだろう。

「ああ、そうでしたね」

 と、辰巳刑事は言った。

 二人は店の前までくると、そのお店がまるで昭和の佇まいを残す、いかにも懐かしい雰囲気にどこかホッとしている二人がいた。

 店の中に入ると、客はまばらだった。ちょうど時間的にはランチタイムには遅い時間で、逆にディナーには早すぎる。昼下がりから、夕方にかけての時間くらいであった。店の外観はレンガ造りを基調にしていて。それだけに、ところどころの白壁も目立った。レンガ部分が昭和のレトロさを思わせ、白壁部分がどこか高貴なイメージを与える。それがこの店の雰囲気をいいイメージに醸し出しているのだった。

 辰巳刑事は。

――レンガ部分が、ダンケルクという店の名前を彷彿させる気がするな――

 と感じていた。

 内装は表の雰囲気とはこれまた違い、木目調の柱に、壁は白壁、まるで、雪山のコテージのような雰囲気があった。入り口を入ってすぐに十人掛けくらいのカウンターがあり、テーブル席は五つくらいの店で、テーブル席はすべて、窓のそばにあった。

 入り口の扉は気でできていて、扉を開け閉めすると、上の方に設置してある鈴が重低音な落ち着きを感じさせる音を醸し出した。これもいかにも昭和の演出であった。

「いらっしゃいませ」

 カウンターの奥にはマスターと、手前には二十歳前後の女の子がニコッと微笑みながら出迎えてくれた。

 店の中に入った瞬間二人は、自分たちが聞き込みで来たのだということを一瞬忘れてしまいそうなほどの雰囲気に酔っていた。まるで別世界に来たかのような感じがしたのだった。

 おしぼりとお冷を出してくれた女の子は、タータンチェックのセーターを着ていて、よく見るとマスターとお揃いである、これが制服のようなものだとすると、やはりこの店は昭和のレトロさをイメージを意識しているのではないかと思わせた。

 メニューも少し重ための少し高価な素材を使ったもののようで、いかにも昭和だった。辰巳刑事はそこまで感じてはいなかったが、清水刑事は、

――昭和の時代はまだ小学生だったか――

 と、親としか一緒に入ったことのなかった喫茶店を思い出していた。

 あの頃は、入ってすぐくらいのところにショーケースがあり、そこには幾種類かのケージが並んでいたのを思い出していた。子供の頃には、時々母親が連れて行ってくれていたので、よくそこでケーキを頼んだのを思い出していた。

 さすがに小学生でコーヒーはきつかったので、紅茶だったと思ったが、今はケーキセットをコーヒーで食べたいという思いを持ったまま大人になったのを思い出していた。

「私はケーキセットをモンブランとホッとコーヒーでいただこうか」

 と、清水刑事が言ったのを見て、辰巳刑事は少々驚いたようだったが、

「じゃあ、私も同じもので」

 と、辰巳刑事が答えた。

 昼食を食べてから、そんなに時間が経っていないので、食後のデザートと言ってもいいくらいだった。辰巳刑事はそれほどお腹が空いているわけではなかったが、この店でモンブランを食べる雰囲気を想像すると、それほどお腹が太るという感じがしないのが、何か不思議な気がしていた。

 さすがにケーキのショーケースは店の奥の方にあった。奥の方にあると、店の中が少し広く感じられるようで、これも、マスターのセンスなのではないかと清水刑事を感心させた。

 モンブランは小学生の頃から好きで、よく食べていた記憶があった。大学時代はさすがに昭和の頃の喫茶店がまだ残っていたので、よくモンブランを食べたが、警察に入り、都会に出てくると、都会にはすでに昭和の佇まいの喫茶店はほぼなくなっていて、コーヒーを飲むとすれば、チェーン展開をしているコーヒーショップばかりがいくつか駅前などにあるくらいだった。

 実は正直にいうと、清水刑事はそれらの店で飲むコーヒーはあまり好きではなかった。基本的にどこのチェーン店も、味に変わりはなく、コーヒーの濃淡ではなく苦みが強いことで、コクは感じられなかった。実際に注文しても、最後まで飲み干すことはできず、しかも、一緒にお冷を横において、一緒に飲んでいなければ、どこか気持ち悪さを誘うほどであったのだ。

「すっかり、コーヒーの味が変わってしまったよな」

 と辰巳刑事と、捜査に出た時、時間に余裕がある時などは、たまにチェーン店のカフェに寄ることがあったが、そう言って、溜息をついたことが何度かあったくらいだ。

 チェーン店のカフェがあまり自分に合っていないかも知れないと感じているのは、辰巳刑事も同じだった。

 辰巳刑事は清水刑事に比べて五歳くらい若いので、昭和という時代はほぼ知らない。

 昭和の名残の店のイメージは知っていると思うのだが、清水刑事ほど、昭和を懐かしいと感じるものではなく、それこそまったくの別世界ではあるのだろうが、それだけにすべて空想の世界の中に、レトロという言葉を感じているのだった。

 だから、年上の人がいう。昭和時代を、

「懐かしい」

 と表現する気持ちは分からなかったが、自分もそう言いながら懐かしさに浸っている人の隣で、勝手に想像を巡らせていることは好きだった。

 そういう意味での清水刑事との関係も好きであり、仕事で一緒にいる時であっても、ホッと気が抜ける、いや、気を抜いてもいい時間であることを自覚できるのであった。

 聞き込みにきたはずなのに、清水刑事は懐かしんでばかりで、まだマスターに声を掛けていない。辰巳刑事も苛立っている雰囲気もないように見ていると、二人が刑事だなどとは誰も感じないだろう、その時店にいた客は数人だけで、奥の方のテーブル席に、単独で座り、本を読んでいるか、ボンヤリと表を見ているかの初老に近い人たちだけだった。

――きっと常連さんなんだろうな――

 と、清水刑事はすぐに感じたが、今の時代のように、チェーン店のカフェで、耳にはヘッドホンをして、スマホをいじりながら、まわりに何が起きようともまったく感知しないとでもいうような若者連中とは明らかに違っていた。

――昭和の頃は、ああいうお客さんばっかりだったような気がするな――

 と清水刑事は感じていた。

 カウンターの奥には、最近あまり見ることのなくなったサイフォンでコーヒーを淹れていた。バーナーの日もまわりが青く、中に行くほど赤っぽい色に変わっていくというもので、下のお湯が熱せられて、上まで上がっていき、溢れそうなくらいになっているところを少し小さなしゃもじのような棒でかき混ぜているのを見ると、コーヒーの香ばしい香りが伝わってきて、

――そうそう、この香りだよな――

 と、うっとりするくらいの懐かしさに酔いっぱなしの清水刑事であった。

 頃合いを見計らってバーナーからサイホンを外すと、上に上がったコーヒーが下にゆっくりと落ちてくる。いかにもコーヒーの色を醸し出しているはずなのに、どこか向こうが見えてきそうなほどの透明さを含んでいるようで、これもコーヒーの魔力の一緒のようなものだと清水刑事を感嘆させていた。

 コーヒーカップに模様がついているのも嬉しかった。チェーン店のカップは、ほぼ白い普通のいわゆるマグカップであるが、この店は一つとして同じ種類のものはないというようなコーヒーカップであった。

 そういえば清水刑事が大学時代に常連としていた喫茶店に、コーヒーカップを自分で選べる店があった。カウンターの奥に壁に据え付け型の棚があり、まるでバーかスナックのような雰囲気の棚だったが、そこには綺麗にコーヒーカップが並べられていた、店は全体的に薄暗い演出だったのだが、そこだけが明るいという雰囲気に、清水青年は粋な雰囲気を感じていたのだった。

 今から思い出しても、数々のカップがあったが、一種類しか使わなかった。基本的に最初に来た人は、カップを選ぶが、このような凝った演出に感動する人ばかりではない。変な気の遣い方をする人は、

「毎回、カップを選ぶのに気を遣わないといけないのはきついな」

 と感じ、二度目はないという人もいたようだ。

 その店のマスターはそれでもいいと思っていた。

「それでも二度目以降来てくれた人を、私は常連さんと思い、大事にしていきたいと思うんだ」

 とマスターが言っていたのを思い出した。

 それこそ、今にない、

「古き良き時代のレトロ」

 というものではないだろうか。

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