第33話 好意を無下にする者の罪悪感
終局はすぐに訪れた。
昼の蛮行に業を煮やした土志田さんがついにサキュバス討伐に乗り出したのだ。
「もう確信した! 奴がサキュバスだ! 打倒朝久場! ぶっ殺す!」
リリカを特別教室棟の最上階にある空き教室に連れてくるよう頼まれた。
「逃げ場のない密室に追い込んで、こいつを奴の顔にかざす」
長い柄の先がとがった白い十字架。骨董屋に五百円で売ってそうなそれは対サキュバス用の聖道具なのだという。
「これはとどめを刺す用じゃなくて動きを止めるもの。サキュバスは身体能力が高く、生身の人間では太刀打ちできない。まずは十字架で力を抑制させて、それから我が家にある悪魔祓い専用部屋に連行したのちに祓うことになる。さあ番条君。奴を連れてくるんだ」
喜律さんに別れを切り出されて以降、思考に靄がかかっている俺は脳死で動いた。
ホームルームが終わるとすぐにリリカのクラスに赴いた。
沈む俺とは対照的に満面の笑みを浮かべるリリカ。
「学校エッチ? いいねー! ナリピーとできるなんて感激!」
「……そうだな」
これからどうなるのか。わからない。
サキュバスじゃないリリカに十字架の力は発動しない。悪魔祓い部屋に連れて行ったって人間に影響はない。
リリカがサキュバスじゃないことに気付いた土志田さんが次になにをするのか。そのとき喜律さんはどうするのか。俺はどうするのか。
何もわからない。
「放課後の教室ってめちゃいいムードなんだよ」
本校舎から伸びる渡り廊下を進むと四階建ての特別教室等に入る。一階二階には音楽室や調理室などの特別教室が入っているが、三、四階は文化系部室が入っている。といっても文化系の部活自体が少なく、四階はすべて空き教室。放課後にカップルがいちゃつくにはうってつけのスポットだ。実際リリカは何度か利用したことがあるらしい。
土志田さんは少し遅めの時間を指定した。校内の人の数が少なくなってから実行したいとのこと。
橙色と夕闇のコントラストを描く無人の廊下。窓はすべて閉まっており、階下から微かに響く吹奏楽部の練習音が無造作な旋律となって不気味な雰囲気を助長する。
コツコツと靴音を鳴らしながら一直線の廊下を進む。目的地は最奥の空き教室。
「ドキドキしてきちゃった」
耳元を舐めるように囁くリリカ。楽しんでいるようだ。
喜律さん一筋のはずなのに、深く落ち込んでいるはずなのに、甘い吐息に俺の体温が高まった。精神と肉体が乖離するのは男の性というものなのだろうか。情けない。
「そういえば怒鳴って悪かったな」
落ち込みながらも昼の出来事を振り返る。
リリカは俺に惚れている。だから俺の恋相手にして俺を殺す可能性がある喜律さんに退くよう迫ったのだろう。自分の恋を成就させるために。
納得できない部分もある。勝手に何してくれているんだ、約束と違うじゃないか、と。しかし、それもこれもリリカを巻き込んだ俺自身の責任だと思うと、どうしても批判する気にはなれなかった。
「だからといってお前と付き合うと決めたわけじゃないからな。俺の心はまだ喜律さんを追っている」
「はっきりと別れを切り出されたのに?」
「あれは建前に決まってる。心の底では俺と一緒にいたいって思ってくれているんだよ。好きだって言ってくれたのが何よりの証拠だ。だからこれからも喜律さん一筋」
都合の悪いことから目を背けて意固地になる。子どもみたいだ。
だとするなら目の前のギャルは大人。問題点を的確に把握している。
「だとして? サキュバスのキリっちゃんとどうやって付き合うの? 殺されるかもしれない、土志田さんにバレるかもしれない。もっと言うとキリっちゃんに惚れていること自体がサキュバスの蠱惑かもしれないのに。それでもまだキリっちゃんなの? アタシのことは見てくれないの?」
最後には目じりの吊り上がったキャットアイで乙女の恋心を訴えかけてきた。
立ちどまって見つめ合う。時間が止まったように階下の演奏がやんだ。
理論的には彼女が正しい。リリカと付き合うことは整備されたトラックをランニングシューズで走るようなもの、喜律さんと付き合うことは雷雨のやまない荒野を裸足で走るようなもの。
シアターを眺める観客ならきっとこう言うだろう。「別に朝久場リリカでもいいじゃないか。可愛いし、いい子だし、一途だし。矢走喜律にはフラれたんだから乗り換えちゃえばいいのに」リリカが本来なら手の届かない場所にいる女子だということはわかっている。喜律さんとの恋が禁断の恋だということもわかっている。リリカと付き合うことが誰も不幸にならない平穏な選択なんだ。
……それでも、喜律さんに恋する気持ちは理論を越えた感情として今も俺の心に居座っている。たったその一点が、無難な妥協をぶち壊す。
リリカの申し出は受け付けられない。
男女二人と二つの影に支配された無音の世界で、俺は残酷にも本心を突き付けた。
「……悪いけど無理だと思う」
こんなこと言いたくなかった。
意中の相手に拒否される。それがどれほど辛いことか、一途の相手を持つ俺には理解できるから。
もし泣き出したらどうしよう。そんな不安がよぎった。
喜律さんとリリカ。二人の女を泣かすなんて最低な男だよな。恋愛の神様に「もう金輪際恋愛をしない」という誓約書を書かされても文句は言えまい。
しかし、リリカの反応は想定とはまるで真逆だった。
「……ふーん」
まるで他人事のような、興味のない漫画の結末を知らされたような、心底興味なさそうな反応だった。
驚愕した。
おかしい。普通じゃない。常人にはこのような反応は起こしえない。
リリカの心が読めない。
彼女は何がしたいんだ。本当に俺のことが好きなのか? 付き合いたいのか? それともただ場をかき乱したいだけなのか?
冷静に考えて答えを見つけたかったけど、ただでさえ喜律さんとの亀裂に傷心中の俺は、そこにリソースを割くほどの余裕をもっていなかった。
「それより、さっさと行こ。一番奥の教室でしょ? 愛のスポットは」
俺の手をとるとスキップで廊下を進む。今しがたフラれた女とは思えない足の軽さ。
その嬉しそうな態度は何なんだ。
もう思考はぐちゃぐちゃ。
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