第31話 最悪の一言


「ナリピー。ごはん一緒に食べよー」


 喜律さん、土志田さんと昼食を取っていたところ、朝久場リリカが現れた。


「!」サキュバスの出現に戒厳令を敷く土志田さん。

「!」嫉妬の対象の出現に顔を強張らせる喜律さん。


 ポカポカ陽気、ガヤガヤ教室の一画とは思えない修羅場が訪れた。


「……クラス結構離れてるよな。昼は別々でいいんじゃないか?」


 喜律さんに配慮しつつ土志田さんに疑われないようにするというよく言えば中立的、悪く言えば事なかれ主義の立場をとった。

 が、リリカは察しが悪く「物理的距離なんてカップルの愛の前では無力なのだよん」と軽く流す(というか喜律さんの心境なんて知らないわけだし、そもそも偽カップルを依頼したのはこっちなんだし文句は言えないんだけど)。


「うーん。どこに座ろっかな」


 三人席。周りの机は他の人に使われている。リリカが俺の膝に視線を向けたので、腹に机を押し当てるくらい椅子を前進させてブロックする。

 困ったリリカは、なんともっとも絡みづらい相手、土志田さんに声をかけた。


「ねえ、チコチー、椅子半分貸して」


 背後からほっそりとしたなで肩に手をかける。

 ビクッと震えた土志田さん。冠を曲げる。


「……なんだね。初対面にしてはずいぶん馴れ馴れしいな」

「いいじゃん。同じ学校にいるってだけでズッ友っしょ」

「ズッ友? ズッキーニ友好条約の略かな? 聞いたことないな。その手を離したまえ。それと背中に当たっている脂肪を吸引したまえ」


 凍ったナイフのような低く鋭い声で威嚇する。愉快な一面を知る俺ですらも冷や汗をかいてしまうほどの凄味がある。

 しかしギャルには効果がないようだ。


「へえ。アタシの体に嫉妬してんだ」

「嫉妬ではない。怒りだ」

「……まあしょうがないか。だって――」

「ッ!」


 土志田さんは声にならない声を上げた。

 リリカは、なんと土志田さんの小さな胸を後ろから鷲掴みにしたのだ。円を描くようにぐるぐると動かす。

 マッドサイエンティストのようにクールだった土志田さんの顔がみるみる赤くなる。


「……なにを!」

「まな板って表現を聞いたことがあるけど、アタシ理解できなかったんだよね。そんなのアリエナイじゃんって。でもチコチーのを触ったら納得だわ」

「ちょっと!」


 侵攻は留まることを知らない。さらにワイシャツのボタンの隙間に右手を突っ込んで直揉み。そして余った左手をスカートの中に滑り込ませた。


「おっぱいも脚も細いなあ。これじゃあ抱き心地最悪。もっとお肉食べたら?」


 煽りに抵抗する力もない。リンゴのように顔を赤らめ、もじもじと体をよじる。土志田さんは受けに弱いタイプなのか……。

 公然セクシャルハラスメントはしばらく続いたが、


「……お、覚えてろ!」


 ついに耐えられなくなった土志田さんはリリカの腕を払って立ち上がると、裸を見られた乙女のように両胸を抱きかかえて廊下へと敗走した。


「これで席が開いた!」


 笑顔で勝利のピース。

 ギャル、強し。


「やったー。ナリピーと対面ランチだ。昨日は横並びだったからね。両パターン体験したいよね」

「土志田さんにはあとで謝っとけよ」

「別にいいんじゃない? だって敵でしょ? エクソシストでしょ? 男を喰らうと言われているサキュバスさんこと喜律さんを守りたいならこれくらいしといたほうがいいっしょ」


 悪気なく笑っている。そして俺のほうに顔を近づけて、


「クンクン。これは香水の匂い! ナリピーちゃんとつけてきてくれたんだ! アタシがプレゼントした香水!」


 まずい! 喜律さんには「家にあったもの」って嘘をついてたのに。

 恐る恐る隣を見る。


「別に気にしてないですよ。知ってましたから。昨日の今日で香水をつけ始めるなんておかしいですからね。きっかけがあるとしたら朝久場さんでしょう。それくらいわかります」


 表情は何一つ変わっていなかった。それが逆に心をえぐる。


「ごめん……」


 なんでこんなことになるんだよ。喜律さんを傷つけないためについた嘘なのに。


「そんなに朝久場さんとのデートが楽しかったですか? そうでしょうね。ゲームセンターすら初体験の無知な私よりも、楽しいことをたくさん知っている彼女と一緒にいたほうが楽しいですよね。ですが、高知魔王市。気を付けてください」

「好事魔多しね。そんな都市ないよ。ははっ!……ははは……」

「…………」


 いつものノリも通用せず。

 喜律さんは暗いムードのままさらに卑下する。


「そもそもサキュバスである私が恋愛をしようというのが間違いでした」

「何を言い出すんだよ」

「先週でしたか。成仁さんからエクソシストさんの存在を聞かされ、別れるかどうかの判断に迫られたとき、成仁さんの告白を尊重すると言ってカップルを継続させようとしました」


 サキュバスバスターズを結成した日の屋上でのこと。


「ですが、考えてみればそれはサキュバス特有の蠱惑的オーラによってサキュバスの至上の餌である成仁を惹きつけただけなのです。成仁さんは私がサキュバスじゃなければ惚れてなどいなかったはずです。告白などしなかったはずです。だからあの時点で断っておけばよかったのです」


 聞いているうちに叫びが込み上げてきた。「そんなわけないだろ! 高校受験のあの日、俺を地獄から救い出してくれた君に恋をしたんだ!」そう叫びたかった。

 しかしそれ自体がサキュバスの特性だとしたら? 俺の弱みに付け込むことこそがサキュバスの本能だったとしたら? 

 わずかな疑問が一瞬の躊躇をもたらした。

 それが失敗だった。


「別れましょう」


 引き出してしまった。最悪のワードを。

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