第7話 消えたクーロン

 クツマがタカヤナギの帰りを待つこと三十分が過ぎた。アラキから十五分以内にログインするように言われていたが、そのままクツマはベッドでタカヤナギが戻ってくるのを待ち続けた。途中で関係者に見つかって、尋問でもされているのではないかと不安を募らせていると、廊下をガラガラと大きな音を立てて、ゆっくりと歩く人影が病室のドアの窓に透けて映った。摺りガラス越しの人影の着る服の色が、タカヤナギのジャケットの色に似ていたので、咄嗟にクツマはベッドから起きて病室のドアを開けた。すると、そこには点滴のついた移動式ベッドを押して歩くタカヤナギがいた。

「タ、タカヤナギさん、待ってくださいよ、ついに見つかったんですか!」

 クツマが小さめの声でタカヤナギを呼び止めると、声に気が付いたタカヤナギは振り向いて、心配そうにするクツマと目を合わせた。

「クツマくん、見損なったよ、やっぱりカネか……。でも私の管理能力不足もある。悪かったね……、じゃあ、キヨカワくんの容体が悪いので私はこれで……」

「やっぱりキヨカワさんだったですか? ちょっと、タカヤナギさん……、ねえ、タカヤナギさん……」

 タカヤナギは何も言わずに行ってしまった。何らかの理由でカネにつられてタカヤナギの案件を放り出そうとしたことがバレたとクツマは悟った。しかし、ベッドに寝ていたキヨカワエミカは衰弱しており、とても話ができるような状態ではなかった。誰から事情を聞いたのだろうかと事態を把握できないまま、クツマは、仕方なしに再びベッドへ戻った。すると、まもなくして険しい表情をしたアラキが病室に入って来た。クツマはVRゴーグルを手に持って慌てて言い訳をした。

「あ、あの、すみません、うまくログインできなくて……、あはは……」

「誤魔化さなくてもいいですよ。あなたもタカヤナギさんとグルだったんでしょ? 契約を破棄してもいいですけど、違約金は発生しますよ」

 なるほど、タカヤナギのたくらみがアラキにばれてしまったのだ。その時にタカヤナギはすべての事情をアラキから聞かされたのだろう。しかし、こうなったからには仕方がない。潔く違約金を支払って、ここを去るしかないとクツマは覚悟してアラキにたずねた。

「違約金って、いくらくらい払うんですか?」

「あなたの年俸分は支払ってもらいますよ」

「そ、そんなに?」

「規約に書いてあったでしょう? それが嫌なら少なくとも1年は働いてもらわないと……」

「でも一年もここにいたら、体が弱って病院から抜け出せなくなりますよ……」

「あなたね、契約してからごちゃごちゃ言うのはズルイですよ。嫌なら、タカヤナギさんみたいに違約金払えばいいだけですよ」

「タカヤナギさんが違約金?」

「病室で愛人を見つけたみたいで、そのまま連れて行っちゃいましたからね。彼にはウチの損害を賠償してもらいますよ」

「タカヤナギさんが? キヨカワさんが愛人?」

 クツマは混乱した。彼女がタカヤナギの愛人だったと言うのは初耳だったからだ。それにタカヤナギは既婚者で娘もいたはずだ。以前に一人娘のことを嬉しそうに話していたタカヤナギの様子を思い出してみても、不貞行為など俄かに信じがたい話である。クツマは、タカヤナギと話がしたいから少しだけ帰宅させてくれとアラキに伝えたが、帰宅すること自体が契約に反することだとそれを禁じた。クツマは納得がいかなかった。

「それはおかしな契約ですよ、じゃあ他のエンジニアはどうしてるんですか? 盆や正月くらい実家に帰ったりしたい人だっていますよね?」

「契約ですからね。それに、私が上司から聞く限り、今まで現実世界に戻りたいなんて人はいなかったですね。メタバースでの生活が楽しくてやめられないって人ばかりみたいですよ。それに現実世界の人と会いたいならリモートで会えばいいんです。今の時代、現実世界で会う必要あります?」

「そりゃあるでしょう……」

「そうですかね? あなたはまだ2日しか体験してないから良さを知らないんですよ。私だってプログラミングができればメタバースで暮らしたいですよ。あそこの住人になるにはどれだけ高いお金を払わないといけないか……」

「お金?」

「そうですよ、あなたはまだ知らないでしょうけど、ごく一部の富裕層にだけ極秘でメタバースを有償で使ってもらってるんです。1時間三千万円ですけどね」

「さ、三千万!」

「こんなところで遊べるのは超が付くほどの富裕層だけですよ。今ウチには海外からも資金がどんどん集まってきてるんです。月や火星に行くよりも高いお金を払ってもいいって人だっているんですから。もはや庶民のオモチャじゃないんです。ここで働けるってことは幸せなことなんですよ」

 クツマは、サトウがメタバースの世界を絶賛していたことを思い出した。確かに、この技術は世界、いや地球を変えてしまうほどのインパクトがある。ひそかに技術を蓄えて完成度を上げてから世に出す算段なのだろうが、もうすでに国内外から投資をつのって資金を集めていたのだ。

「わかりました、契約を継続します……」

 少し考えてからクツマがそう告げると、アラキはこれ見よがしに頷いて、VRゴーグルを手渡してログインするよう促した。しかしクツマには、長くメタバースにとどまろうというつもりはなかった。遅くとも契約の切れる1年後までにはメタバースから足を洗うことを決意しての再ログインだった。現実世界を完全に捨ててしまうという選択に、どこか違和感を覚えたのだ。それに、クーロンの話も最後まで聞きそびれたのも気になっていた。


 クツマがメタバースにログインすると、前回と同様に、バーチャルプライベートオフィスの中央には、接続アラートの表示された大きなスクリーンが宙に浮いていた。クツマは面倒くさそうにスクリーンを閉じると、すぐさま管理ツールからサトウを呼び出そうとした。しかし、サトウからの返事はなかった。仕方なく仕事の続きを始めたが、数時間過ぎてもサトウからの呼びかけはなく、不審に思ったクツマはメタバース内を探索することにした。といっても、メタバース内では、クツマのような新入りが動き回ることのできるエリアは制限されていた。経験年数が増えるにつれエリアが解放されていく仕組みらしいのだが、今のクツマがアクセスできるのは、公園と数件の飲食店、そしてクーロンの住むログハウスのみだった。

「やっぱりどこにもいない……、サトウさん、まだクーロンさんのところにいるのかな?」

 クツマは、オフィスの外に駐車してあったベンツに乗り、再びログハウスへ向かった。高速道路を猛スピードで飛ばして、最寄りのインターチェンジを降り、ログハウスの前に車を停めた。急いで車を降りてログハウスのドアを開け、サトウとクーロンを呼んだ。しかし、誰からも返事はなかった。ログハウスの中の部屋という部屋を探し回ったが誰もいないかったのだ。しばし途方に暮れていると、ふとクツマはアクセスログの存在を思い出した。メタバース内のどこに誰が訪れたかはアクセスログとして記録されているのだ。クツマは、空中にあるリモコンを手に取り、管理ツールの操作メニューからアクセスログのボタンを押した。すると、空間にスクリーンが現れてアクセスログが表示された。

「まじかっ、ほんの1分前まで二人はここにいたんだ……」

 しかし、不可解なのはここからだ。次に彼らがどこへ向かったかのアクセスログが全く残っていなかったのだ。もちろん、足跡が残らないよう、ログを残さずに移動するモードも選択できるが、サトウはまだしも、ここに住んでいる設定のクーロンまで突然消えてしまうのは妙である。何か事件でも起こったのだろうかと、クツマは、ログハウスに二人の痕跡がないか探し回ったが、何も見つけることはできなかった。そして、その後どれだけ待ってもサトウとクーロンがログハウスに現れることはなかった。クツマは仕方なくプライベートオフィスに戻った。今後どうするかしばらく考えたが、クツマに今できることは、先日サトウから指示されていた、プログラムを完成させることだけだった。


 その頃タカヤナギは、キヨカワエミカを一般病棟に移動させて回復を待っていた。バーチャブレイン社が経営権を買い取った救急病院ではあったが、通常病棟では一般の救急診療が行われていた。今回、医師たちはなぜ二号病棟から緊急患者が来るのだと理解できない様子だったが、放置できない状態であったため、そのまま通常病棟へ収容されることになった。この病院で何が起こっているのか詳しく知らない医師たちも大勢いるのだ。

 初診でエミカを診た医師の話では、長い間眠っているような状態が続いたため、しばらくはせん妄せんもうといって、朦朧とした意識状態が続くだろうとのことだった。しかも、筋力も相当弱っており、リハビリが終わるまで退院は難しそうだ。

 二号病棟から連れ出して十日あまりが過ぎた日、その日もタカヤナギは意識が戻らないキヨカワエミカの病室へ訪れていた。ところが、タカヤナギが換気のために病室の窓を少し開けた時だった。ふいに彼女の意識が戻ったのだ。

「あぁ、タカヤナギさん、どうしてここに?」 

「おぉー、キヨカワくん、ついに目が覚めたか、良かったぁ……」

 タカヤナギはエミカを気遣った。何か飲みたいものはないか、体は痛くないか、優しく問いかけるが、エミカは何も言わなかった。まだ意識がはっきりとしていないのだと思ったタカヤナギは、それ以上何も話さずに、ベッドの脇に置いてある椅子に腰かけてエミカを見守った。すると、しばらく黙っていたエミカが、申し訳なさそうに小声でつぶやいた。

「どうして、私なんかのために……。なにもできない私なんかのために、ここまでしてくれたんですか……」

「キヨカワくん何を言ってるんだ、私は何度もキミに助けられたんだよ……」

「私はもう死んでもよかったんです……。なにもできないし……、辛くて……」

「キヨカワくん、申し訳ない。すべて私の責任だ。私が無茶ばかりキミに言うからこんなことになったんだ……、本当にすまなかった……」

 タカヤナギは、目に涙をためながら、ただひたすらエミカに自らの至らなさを詫びた。

「キヨカワくん、明日も、毎日お見舞いに来るからね……。それと、契約のことは心配しなくていいよ。私が何とかするように手配しているから」

「あの、タカヤナギさん……」

「うん?」

「話したいことがあるんです。驚かないで、いや、怒らないで聞いてほしいんです……」

「怒るはずがないよ、全部私が悪かったんだ。だから、何でも話してごらん」

 エミカは、なぜメタバースにいたか、そしてそこで何が起こったかをタカヤナギに包み隠すことなく話したのだった。

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