第12話 悪戯
その後、シルクはルナの提案通り庭園を見て回ることにした。
ティーパーティーを行った場所も庭園の一部ではあるのだが、文字通りほんの『一部』でしかない。宮殿の北側には一日では見て回れないほど巨大な庭園が広がっているのである。
「わあ……」
イチョウの並木道を進み睡蓮の池にかかる橋を渡る。ひまわり畑を突っ切って藤棚のトンネルを抜けると、その先にはネモフィラの平原が広がっていた。シルクはしゃがんで青く小さな花弁を愛でた。
魔法みたいだ。……と、いうか、一応魔法なのだ。
ここでは四季の花々が年中咲き誇る。この国では数少ない魔法使い達の協力の元、この庭園は維持されているという話だ。
「魔法使い集めてやることが花の管理って、だいぶ平和でかわいいけどね」
そう独り言ちて、立ち上がる。天気もいいし風が気持ちいい。どこまでも歩いていけそうな気がする。シルクは軽い足取りで歩き続けた。
……しかし、ほんの数十分後には渋い顔で立ち止まっていた。
あちこち歩き回るうちにだんだん足が痛くなってきたのだ。ヒールのせいだろう。『どこまでも歩いていけそう』は前言撤回だ。
(どこか休める場所はないかしら?)
迷路のような薔薇園を抜けるとまた景色が変わる。広場に出たようだ。
大きな噴水の近くにベンチを見つけてシルクはほっとする。しかし、すぐに異変に気付いた。
「……?」
何か、ベンチの上に黒いものが横たわっている。目を凝らすとそれは人だった。
王宮の庭園で眠るなんて大胆な。そう思って近寄れば、それが見知った顔でシルクは飛び上がった。
「公爵様!?」
何故ここに。ていうかまた寝てるこの人。
相変わらず頭のてっぺんからつま先まで真っ黒。これじゃまるで黒猫だ。
(こんな硬い所で寝て痛くないの?)
「公爵様〜?」
試しに頬をつついてみたが、全く起きる気配がない。
「もしも~し?」
反応はない。わかったのはもちもちして柔らかいほっぺただということだけ。
「…………」
無心でつつき続けるうちに悪戯心が湧いてきた。無防備、無反応、無抵抗。こんなチャンス滅多にない。
たまにはレイヴンのぎょっとした顔を見てみたい。どうすれば彼の無表情を崩せるだろうか。
「そうだ!」
シルクはニヤリと笑うと、いそいそと行動を開始した。
(……?)
先程から心地よい声が聞こえてくる。
子守唄みたいだ。絹が肌を撫でるように柔らかで優しい声。
それに、頭には柔らかな枕の感触がある。家の枕とは少し違うような。
(何だ……?)
思ったよりも声が近い――そう気付いて、そっと睫毛を押し上げる。すると誰かがこちらを見下ろしているのがわかった。
ぼんやりとした輪郭は次第に像を結び、人形のような銀髪の少女になった。
「おはようございます」
「……リベラ伯爵令嬢?」
レイヴンは上体を起こすとぼうっとした顔でシルクを見つめた。寝起きのせいか少し掠れた声で尋ねる。
「何故ここに」
「王女様のティーパーティーに招かれて、その帰りなんです」
「そうですか」
それきり、レイヴンは口を噤む。
(あれ、反応薄くなーい?)
シルクは頬を膨らました。
膝枕までしてあげたというのに無反応とは面白くない。もっと慌てふためく様子が見られると思ったのに。
どうにも不満で、シルクはレイヴンの様子をジロジロと見続けた。するとレイヴンは気まずそうにそっぽを向く。その耳が赤くなっているのに気付いて、シルクはニヤリと笑った。
(へーえ?こういう反応するのね)
どうやらこの男にもかわいい所はあるらしい。
これを見られただけで満足だ。シルクはベンチから立ち上がった。
「暗くなってきたし私は帰りますね」
「リベラ伯爵令嬢」
「はい?」
「あの、私が寝ていたときに何か喋ってましたか」
「え?ええ、まあ……」
シルクは口ごもる。本人が眠っているのをいいことに『愛想がなさすぎる!』とか、『面白い話はしなくてもいいから会話する努力をしなさい!』とか文句を言っていたとは口が裂けても言えない。
「そ……それが何か?」
レイヴンは静かに目を伏せた。悩むような間。そののちに、首を振る。
「……いえ」
レイヴンは席を立つと会釈をした。
「気をつけてお帰りください」
「ええ。公爵様も。早く帰ってちゃんとベッドで寝た方がいいですよ」
そう言い残しシルクは踵を返す。
その背が完全に見えなくなったとき、レイヴンはぼそりと呟いた。
「うっかり変な事を口走る所だった」
不思議と耳に馴染むあの声。あれはまるで……。
「……キヌカさんに似ていた」
***
『聞いてください。今日は新しいお友達が出来たんです。なんと共通の話題で盛り上がっちゃって……』
処理した書類を纏めていると、ノック音の後にテディが執務室に入ってきた。
「失礼します公爵様。睡眠薬をお持ちしました」
テディは薬と水の入ったグラスを差し出す。レイヴンはそれを一瞥すると、押し戻した。
「いや、いい」
「え?」
「今晩は久々に、いつもより寝られそうな気がするんだ」
レイヴンは少しだけ表情を和らげる。
執務机の上では晶響器が青い光を放っていた。
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