第5話 二人の婚約者

シルクとマリーはくねくねとした長い細道を下っていく。そのうちに道が開け、広場のような場所に出た。

この辺りは完全に平民向けの市場のようだ。あちこちで新鮮な青果が売られ、屋台も出ている。マリーは焼き鳥屋に吸い寄せられ、次の瞬間にはまたアサシンスタイルで八本の竹串を指に装着していた。


「……」


もう、何も言うまい。


そのときカランコロン、とドアベルの軽快な音が鳴った。こぢんまりとしたお店から少年少女が元気に駆け出していく。

彼らは近くのベンチに集まり、テーブルに小瓶を置いた。一人がその蓋を開けば、中に浮かぶ小さな宝石のようなものが青く発光する。子供達は顔を寄せてそれに耳を澄ませた。


「マリー、あれは何?」

「あれは『晶響器しょうきょうき』ですね」

「ショウキョウキ?」

「放送や通信ができる道具です。魔晶石ましょうせきを動力源にした玩具おもちゃみたいなものです。あの子達は音楽を聞いているみたいですね」

「へえ……?」


いまいちピンときていないシルクの為に、マリーがさらに説明をしてくれた。

魔晶石とは魔力の結晶であり、あらゆる機器に用いられる電池のようなものだ。あの瓶には特別な仕掛けが施されており、中には魔晶石の欠片が入っている。


晶響器の蓋を開くと中に浮かんだ魔晶石が作動し、光を放つ。赤く光らせれば放送を発信、青く光らせれば放送を受信をする仕組みになっているらしい。

ちなみに一対一で通信をするときには紫色に光らせるそうだ。


(つまり、現代風に言うとラジオ兼電話って感じかしら……?)


「今流行ってるんですよ。ただ、消耗品なので使いすぎには注意ですけどね」

「へえ。面白いわね」


退屈しのぎには丁度いい。

シルクは今しがた子供達が出てきた建物に足を踏み入れた。中には大小様々な商品が並べられており、雑貨屋のようだった。

人のよさそうな店主はこちらを振り返ると「いらっしゃいませ」と声をかけた。


「晶響器をください」

「はい。いくつ買われます?」

「そうね……とりあえずこの店にある分、全部」

「全部!?」


店主は大慌てで店内を往復し商品の包装を始めた。最後の一つを包み終えたときには大量の箱が山積みになっていた。


「ありがとうございましたー!」


支払いを終えて外に出る。どうやって持ち帰ろうかと考える間にマリーは箱を高く積み、軽々と持ち上げた。


「マリー!? 大丈夫なの?」

「農作業で鍛えてるんで!」


そう言って捲りあげた二の腕は筋肉質で逞しかった。マリーはニカッと笑うとサムズアップした。


「大通りの方で馬車を呼んできますね!」


そう言い残し、荷物を抱えたまま爆走する。それを見た通行人はぎょっとしたように距離を取り、道が拓けた。塔のような箱の山がみるみる遠ざかっていく。


「荷物、置いていけばいいのに……」


シルクの呟きはもう届かない。

マリーを待つ間、シルクは大通りに向かいながら街並みを眺めることにした。あちこち見て回ったというのに、この辺りはまた違う雰囲気の店が立ち並んでいて見飽きない。


たった今通り過ぎたショーウィンドウに気を取られて立ち止まったとき、突然前方の扉が開き、そこから出てきたばかりの誰かとぶつかった。シルクの小さな身体は容易く弾き飛ばされ、バランスを崩す。


「きゃっ!」


――倒れる。そう覚悟した瞬間、腕を掴まれ、ぐいと引き寄せられる。


「失礼、レディ」


優しい声色にシルクは顔を上げる。


「お怪我はありませんか?」

「あ……」


真っ青な空と太陽を背に、誰かがこちらを覗き込んでいる。逆光で顔が見えなかったが、シルクが身じろぎすると空よりも深い色の瞳と目が合った。


……綺麗な人だった。


細かいブロンドヘアは陽射しを受けてきらきらと輝き、澄んだ青い瞳は凪いだ海を思わせる。童話の王子様というのはきっとこんな風貌をしているのだろう。

シルクはその顔をぼうっと見つめ返した。礼を言おうと口を開きかけ――止まる。


(金髪碧眼?)


心臓がどくん、と脈打つ。


改めて目の前の男を注視すると、初めて会ったはずなのに妙な既視感が湧き上がる。そして確信する。


――私はこの人のことを知っている。


「……っ!」


その既視感の正体に気付いた途端、シルクは手を振り払っていた。その後で我に返る。


「レディ?」

「あ……ご、ごめんなさい、私……」

「顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」


心から心配しているかのような声色だ。これは本心なのだろうか。それとも、嘘?


「大丈夫ですから……」

「ですが」


血の気が引いて身体が動かない。思わず俯いたとき、二人の間に誰かが割って入った。


(……え)


視界に飛び込んできたのは黒だった。


黒い靴に黒のトラウザーズ。黒のグローブに黒いコート、そして黒髪。こんな黒ずくめの男は一人しか知らない。


(レイヴン!?)


金髪の男はレイヴンの姿を認めると、変わらず穏やかな声で尋ねた。


「誰かと思えばレイヴンか。こんな所で会うなんて奇遇だね」

「……」


レイヴンは何も答えない。男は困ったように笑った。


「相変わらず無愛想だな」


男が肩を竦めるとレイヴンはようやく口を開く。淡々として感情の乗っていない声だった。


「ヴァージル。彼女に何か用でも?」

「僕が彼女に迷惑をかけたかのような言い草だな」

「……彼女は俺の婚約者だ」


その言葉にヴァージルは虚をつかれたようだった。少しの間目を丸くしていたが、シルクに視線を移し――優しく微笑みかける。


「美しいレディだと思えば、噂に聞くリベラ伯爵令嬢だったんですね。どおりで……」


シルクはびくっと反応して身体を縮こませる。ドレスの裾を握り締めていると、突然黒い手がシルクの手を攫った。


(……えっ?)


気が付くと、シルクはレイヴンに手を引かれて歩き出していた。


「おい、レイヴン?」


レイヴンはヴァージルの声を無視してずんずん進む。訳もわからぬまま、シルクも引っ張られるように進んでいく。


「……また会おう。リベラ伯爵令嬢も!」


その声に振り返ればヴァージルが手を振っていた。レイヴンはそれに応じることなく歩き続け、シルクを連れてその場を離れた。

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