day9 肯定
「ぼくはメロって名前、かわいいと思います」
「え、そうですか」
ある日の夕方。そろそろ定時になろうかという頃の浮ついた雰囲気の中で、森永メロとポツポツと雑談していた黒谷ウグイがそう言った。
「森永さんはあんまり好きじゃないみたいですけど」
「ええ。この名前で良かったことがないので」
メロは真顔で首を横に振る。
「こんなことをいうのは図々しいかもしれませんが」
そう前置きをして少し恥ずかしそうウグイが笑った。
「嫌な思い出がたくさんあったとしても、ちょっとでも良い思い出を追加できたら、マイナス100だったのがマイナス90くらいにならないかなって思うんですよ」
メロはそうかも? そう、かな? と相槌とも返事とも言えない呟きをもらす。
「この間、森永さんがウグイのぬいぐるみをくれましたよね。それで僕の名前へのマイナスはずいぶん減ったんです。だからお返し……って言うと押し付けがましいかな」
考えながらウグイは続ける。
「少なくとも僕は森永さんの名前を変だと思ったことはないし、かわいい名前だと思いますよ」
そう言って照れたように笑うウグイにメロは口をぱくぱくと動かして、やがてうつむく。
「えと、ありがとう、ございます」
「自分の嫌いな自分のことでも、誰かがちょっとでも肯定してくれたら楽になれること、ありますよね」
ウグイは手を伸ばして、彼の机の上に置かれたぬいぐるみを撫でた。
「そうかも、です」
うつむいたままメロは小さな声で答えた。
ウグイはその頭に手をのばしかけて、迷って、そして引っ込める。
「メロちゃんって呼んだらかわいいと思いますし、嫌なら……メロ子さんでもなんでもいいです。森永さん髪型も服もかわいいからそういう、かわいらしい雰囲気の名前、似合いますよ」
たどたどしく続けるウグイにメロはうつむいたまま頷いた。
それから小さな声でぽしょりと呟く。
「あの、ありがとうございます。ありがとう、なんですけど、恥ずかしいのでその辺で……」
「そう?」
「はい、あの、その、名前もですけど、あんま褒められ慣れてなくて」
「え、こんなにかわいいのに?」
「ちょ、だからそういうのをですね!」
真っ赤な顔を上げてメロが食って掛かる。ウグイは吹き出して、目を細めた。
「森永さんは笑っているのが一番可愛いと思います」
「〜〜〜」
もうなにも言うまい。メロはそっぽを向いて仕事を再開する。
「あ、でも」
ウグイは最後に、と片付けを始めながら言った。
「ちょっと前の披露宴のとき。あの時のドレスもよくお似合いでした。いつもの可愛らしい雰囲気とは打って変わって大人びてて綺麗でしたね」
「それは……どうも……」
タコのように口を尖らせてメロは返事をする。
「黒谷さんってそんなこと言うキャラでしたっけ?」
メロの中で黒谷ウグイは物静かで余計なことを言わず、淡々と仕事をこなす落ち着いた先輩だったのだ。
それがまさかこんな恥ずかしいことをペラペラと……メロは赤い顔のままウグイを睨む。
「僕だって初めて言いましたよ。それだけ、あのぬいぐるみが嬉しかったんです」
それではお先に失礼します。
言いたいことだけを言って、ウグイは出ていってしまった。
「ちょ、え、え〜〜」
残されたメロは口を開けたまま、しばらく動けなかった。
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