第3話 北条時氏


 都からの旅を終え、四年ぶりに鎌倉に帰ってきた。

 四年前、弟の時実が殺されたとの報せが入り、急行軍で駆け付けたのがもはや遠い昔のことのようだ。

 またもや重苦しい気持ちで生家の敷居をまたぐことになろうとは、あの当時は思ってもみなかった。しかも、自ら招いた失態のせいで。

 荷物を解く間もなく母屋に呼ばれると、豪勢な食事を載せた懸け盤がすっかり用意されていた。私の帰還を祝うため、客人まで訪ねてきていた。

 せめてこの場は気丈に振舞わねばならないと思ったが、胃の腑の辺りが刺すように痛んで箸が一向に進まない。

 冷や汗が背筋を伝って、止まらない。

 分かっている。華美なことを嫌う父上がわざわざ宴席を催してくださったのは、失意の私を励まそうとしてのことなのだとは。

 それでも、今の私にとって、にぎやかな場に連なるのは、鞭打たれるよりも苦しかった。

 人間に罰を下す神とは、常にこうも手回しの早いものなのだろうか。その手際の良さには改めて舌を巻く思いがした。

 上座へ目を向けると、父上と時房ときふさ殿が互いに杯を酌み交わしながら談笑している。

 父上の叔父にあたる時房殿は、父上にとって最大の盟友でもある。承久の戦では共に幕府の主力軍を指揮し、父上が執権となって以降は、時房殿が次席執権、すなわち連署として陰日向に政務を支えてこられた。家族ぐるみの付き合いも長い。

 時房殿は私に顔を向けて、気の置けない口調で仰った。

「まぁ、此度は幕府が妥協したようなもので、納得いかない部分もあろうが、どうかこらえてくれ」

 私は詫びる機会は今しかないと思い、

「この度はご迷惑をおかけし、本当に申し訳ありませぬ」

 と頭を下げた。すると、父上がいささかためらいがちに、

「……僧兵たちの無道ぶりを許せないお前の気持ちは分かる。だが、外に目を向けすぎて六波羅内の風紀の乱れに気づけなかったのは問題だった。そこが付け入られる隙になった」

 父上の言葉はいつだって正しい。

 父上の胸中を想像すると、胸が張り裂けそうになる。

 どれほど失望なさったことだろう。

 弟は自らの家人に殺され、私は六波羅で失脚した。

 北条得宗家の家運はすでに尽きたと陰で噂されているらしいのも、決して謂れのないことではない。

 幼い頃から父上の清廉な在り方に憧れ、それを受け継ぎたいと心から願ってきた。だが、それももう叶うことはない。

 一体どんな顔を父上にお見せすれば良い? 私が俯いたまま動かぬので、一座には居心地の悪い沈黙が流れた。

 それを破ったのは、くすくすという忍び笑いだった。

 私にはその出どころが分かっていた。にもかかわらず、ついそちらを見つめてしまった。

 そんな浅ましい自分に気づいて、私は慌てて俯いた。赤面したのを誰かに見とがめられていたらと思うと、一時高潮した血の気が瞬く間に引いた。

 しかし、心配は無用だった。その場にいた誰もが、笑い声の主に注目していたからだ。

 声の主はそうした一座の視線に遅ればせながら気が付いて口元を袖で隠した。

「あら、ごめんなさい。つい、おかしくって」

 時房殿もそれで会話の契機を掴んだと見えて、

「笑いごとではないのですよ、竹御所様。幕府にとっての一大事ですぞ?」

 そう窘める声もからかいの調子を隠しきれてはいない。それもそうだろう。この方に心底から怒りを覚えることの出来る人間など、いるはずがない。

「だって、時氏のしょげている姿があんまり昔とそっくりなのだもの」

 彼女に名を呼ばれただけでまた顔が熱くなる。都へ離れている間に、こうした妄念からは醒めたつもりでいたのに。

 一瞥しただけで、卯花襲の掻い練りをまとった艶やかな姿がまぶたの裏に焼き付いてしまった。

 私が鎌倉に戻ることを極力避けてきたのも、一つにはこの再会を恐れる気持ちがどこかにあったからではなかったか。

「時氏ももう二十六です。子供の頃と引き比べてはかわいそうだ」

 さしもの父上も、この方の前では和やかな面持ちになる。

「あら、では二十八にもなる私は大年増ということになりますわね。それにしては、皆さま、私のことを子供扱いなさるようですけれど」

「それについては、ご自分の素行を反省していただく他ありませんね」

「まぁ、ひどい。この鎌倉で私以上に敬虔な女が他にありますか? まさか、おじさま、十七日に完成する私の持仏堂の落成供養に同席してくださる約束を、お忘れではないですよね」

 執権たる父上をつかまえて、おじさま呼ばわり出来るのも、この方以外にはあり得ない。

「もちろん、覚えておりますとも。弁がお立ちになるのは、やはり尼御台譲りですね」

「ええ、だって私はお祖母さま唯一の跡継ぎなのですもの」

 三代将軍実朝公が非業の死を遂げられ、下手人である公暁が斬首された今、頼朝公の直系は在俗で竹御所様ただお一人だ。この宴席でも竹御所様だけが畳を敷き、一段高いところに座しておられる理由もそこにある。

 その上、尼御台北条政子が最晩年まで手ずから養育したのが彼女であってみれば、都から招かれた今の将軍頼経公以上に御家人たちからの崇敬は厚い。

 だが、同時に私と時実にとっては、同じ屋敷で育ち、共に遊んだ幼馴染でもある。特に時実とは気質が近しかったためか、実の姉弟のように馴れ睦び、よく二人だけで何かを囁き合っていた。

 非才の私には、ついぞ二人が共有していた世界を垣間見ることは叶わなかった。

「でも、時氏が帰ってきてくれて嬉しいわ。昔馴染みは皆都に行ってしまって、話し相手が誰もいなくなってしまっていたんだもの。これからは気兼ねなくいつでも私の御所にいらしてね」

 彼女が可憐に笑う度、自分がいかに変わり果ててしまったかを実感する。

 私はむしろ暗然たる思いで、

「……ありがたい仰せです」

 とだけ答えた。

 歳月の作り出した隔たりは、決して埋め合わせの利くものではないのだと、言い表したいばかりに。


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