小公女ベルナデットの休日

小公女ベルナデット

 ユブルームグレックス大公国はナルフェック王国とガーメニー王国の国境上にある自然豊かな国だ。国土はナルフェックやガーメニーの10分の1程度の小国である。

 ナルフェックの王子が臣籍降下し、大公位と領地を賜った。そして彼はガーメニーの王女を妻に迎えた後に、ナルフェックから平和的に独立した。これがユブルームグレックス大公国の成り立ちだ。つまり、大公家はナルフェックとガーメニー、由緒正しい2つの王家の血を引いている。領土はナルフェック王国やガーメニー王国より小さく、歴史も2国と比較すると浅い。しかしユブルームグレックス大公国は、それなりに力を持った裕福な国だ。ナルフェック王国とガーメニー王国もこの国を侮ることは出来ない。

 さて、現大公オーギュスト・イヴォン・ルノー・ド・ユブルームグレックスと現大公妃グレース・リゼット・ド・ユブルームグレックスの間には、今年14歳になる一人娘がいる。彼女の名は、ベルナデット・オーギュスティーヌ・グレース・ド・ユブルームグレックス。ブロンドの髪にサファイアのような青い目の少女だ。ユブルームグレックス大公国は大公家も貴族も長男が爵位・家督を継ぐ。もし娘しかいない場合は他家からの婿入りや親戚筋の次男や三男を後継者として連れて来る必要がある。しかし大公家に産まれた子供はベルナデットのみ。最初はオーギュストとグレースの間に男児が産まれたら問題ないと誰もが思っていた。しかし、2人の間に中々子供が出来なかった。そこで、医療が発展している隣国ナルフェック王国のヌムール領にある病院で診察してもらったところ、グレースには問題がなかったが、オーギュストは子を残せない体になっていることが判明した。これが5年前の話だ。そこから大公家と血縁のある貴族の家を当たり、その家の次男、三男を次期大公として大公家に養子入りさせて後継者として教育しようとした。しかし、大公家の親族には娘しかいなかった。困ったオーギュストはナルフェック王国の王配となった末の弟シャルルに相談した。するとこんな答えが返って来た。

「それでは兄上の御息女であるベルナデット大公女を次期大公、いえ、次期女大公にしたらよいのではありませんか? ナルフェックでは、女性も爵位・家督を継ぐことが可能ですよ。爵位・家督は長男が継がなければならないという考え方はもう古くなりつつあります。この際にユブルームグレックス大公国も、女性も爵位・家督を継げるようにしたらよいのではありませんか?」

 その後、審議の末にやむを得ない場合には女性でも爵位・家督を継ぐことを可能にする法律が制定された。これが4年前の話である。

 ベルナデットは10歳の時、大公位継承順位1位、すなわち大公世女たいこうせいじょとなった。そこから次期女大公としての教育が始まった。ベルナデットはユブルームグレックス大公国建国以来、初の女大公になる。それ故に周囲の期待などが膨らみ、教育はとても厳しくなった。政治、マナー・所作、他国の言語など、学ぶことはたくさんある。ベルナデットは真面目にそれらを頑張っていた。しかし、ベルナデットのレベルは及第点は超えているが、周囲から期待されるレベルにはまだ届かなかった。完璧を求める周囲の者達の中には、ベルナデットに対して少しがっかりする者もいた。ベルナデットはそれを肌で感じ取り、必死に、死に物狂いで全てのことを学ぶが、やはり期待されるレベルには届かない。そのうちベルナデットは大公世女としては未熟故に、影で「小公女」と呼ばれるようになった。大公女ですらない。そしてそのあだ名は国民にも広がるのであった。






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 「大公世女殿下、概ねは正解でございます。しかし、これだと少し固い表現になってしまいます」

「はい、ではどのような表現が適切なのでしょうか?」

 ベルナデットは今、ナルフェック語を学んでいる。

「こちらの表現でございます。大公世女殿下は基礎はしっかり出来ておられます。あと少し頑張りくださいませ。では本日はここまででございます」

「はい、ありがとうございました」

 そしてナルフェック語の次は、政治について学ぶ。ベルナデットは教師からの問いに答えるものの、こう返ってくる。

「大公世女殿下、その政策では少し穴がございます。本当に、あと少しのところですな」

 ガーメニー語を学んでいる際にも教師からはこう言われる。

「殿下、あと少しレベルを上げましょう」

 そしてマナー・所作のレッスンの際もこう言われる。

「女大公になられるのでございましたら、この動作をあと少し洗練させましょう」

 ベルナデットがどれだけ頑張っても、あと少し、あと少し、あと少し、と言われ続けてきた。

 本日全てのレッスンが終わり、ベルナデットは侍女と共に自室へと向かう。その途中、大公宮の廊下で行儀見習いに来ているメイド達とすれ違う。メイド達はベルナデットが通り過ぎるまでカーテシーで礼を取るが、彼女が過ぎ去った後に小声で話し始める。

「確かに、小公女様って感じですね」

「ええ、そうでしょう」

 しかしそれはベルナデットの耳にしっかりと聞こえていた。

 別の使用人からも同じような言葉が聞こえてくる。

 自室に辿り着いたベルナデットは侍女に下がってもらい、1人になった。その瞬間、長大息ちょうたいそくを漏らしベッドにダイブする。淑女としてははしたない行為だが、部屋にはベルナデット1人だけ。少しは大目に見てほしいところだ。

(あと少し、あと少し、あと少し、私はいつまで頑張ればいいの? 毎日毎日語学や政治の授業とマナーレッスン漬け。疲れたわ)

 少しボーッとした後に起き上がり、ベルナデットは鏡を見る。鏡に映る姿は美しいというよりも、可愛らしいという方が合っていた。ブロンドの髪と青い目は父親譲りだが、顔立ちは母親譲りだった。

(小公女、小公女、小公女……どうせ私は大公世女としては未熟よ)

 ベルナデットは鏡に向かってむすっとしていた。

(だけど、いつまでも悩んでいても仕方ないわ。ようやく自由時間になったのだから、大好きな小説を読みましょう)

 切り替えて、本棚から小説を取り出して読み始めるベルナデット。読書は彼女の唯一の息抜き方法だ。特に小説ーー冒険小説やロマンス小説が好みのベルナデット。今も冒険小説を読んでいる。

(私もこの本の主人公みたいに自由にどこかへ行ってみたい)

 ベルナデットはうっとりとした表情で想像を膨らませる。

(窮屈な大公宮から抜け出せたらどれほどいいか)

 ドレスを脱ぎ捨て1番質素な服に着替える。そして大公宮のメイドや護衛達に見つからないようにあの手この手ですり抜けて、ついに大公宮の外に出る。しかし、ベルナデットの想像はここで途切れた。

(……大公宮を出た後、私は何をしたらいいのかしら?)

 大公宮から出た後のことが、いつも上手く想像出来ない。

 ベルナデットは再び長大息を漏らす。

 その時、夕食の時間になったので侍女がベルナデットを呼びに来た。

 大公である父のオーギュスト、大公妃である母のグレース、大公世女であるベルナデット。格調高い部屋で3人での夕食だ。

「ベルナデット、グロードロップ王国王室に相次いで奇形や遺伝性疾患を持つ子供が産まれているのは知っているか?」

「いいえ、お父様。存じ上げておりませんでした」

「そうか。実はその原因についてだが、どうやら血縁の近い者同士の婚姻を繰り返していたからだ」

「オーギュスト様、つまり血縁が近い者同士の間に産まれて来る子供の血が濃くなり、通常は現れない奇形の遺伝子が現れてしまう確率が高くなるということでございますか?」

 グレースが首を傾げる。アッシュブロンドの髪にエメラルドのような緑の目の愛らしい顔立ちだ。

「ああ、その通りだ」

 オーギュストが満足そうに頷いた?

「……お父様、なぜ今その話をなさるのでしょうか?」

 オーギュストの意図が全く読めないベルナデットは怪訝そうな表情だ。

「おお、そうだった。ここからが重要な話だ。結論から言うと、ベルナデットの婚約者はナルフェック王国の第2の王家と呼ばれているメルクール公爵家の者に決まった。彼はお前より1つ年上だ。実際に結婚するのはベルナデットが18歳になってからだが」

「……え?」

 突然のことにベルナデットの頭の中は真っ白になる。

「本来ならベルナデットはナルフェックの第3王子アンドレ殿下と婚姻を結んでもらうつもりだった。だがアンドレ殿下とベルナデットは従兄妹いとこ同士で血縁も近い。更に私の祖母、つまりお前の曽祖母はアシルス帝国の皇女。そしてナルフェックの王家もアシルスの皇室と血縁がある。それ故ナルフェックの女王陛下はグロードロップのように我が大公家に奇形児や遺伝性疾患を持つ子供が産まれて来ることを懸念なさった」

 そこでオーギュストは一旦ワインを飲んでから話を続ける。

「だから第2の王家であるメルクール公爵家の者を一旦ナルフェック王家に養子入りさせてからベルナデットと婚姻を結ぶ。その話を聞いて、私は別に王家に養子入りさせなくてもとは思ったが、ナルフェックの女王陛下はユブルームグレックス大公家を立ててくださったのだ。それで、相手の名前だが……」

 オーギュストの話はベルナデットの頭の中に全く入って来なかった。

 夕食が終わり入浴も終えたベルナデットは自室で放心状態だった。

(他国との繋がり、政略結婚……。そうよね、この国を統治する次期女大公になるのだもの。自由な恋愛なんて出来ないのは分かっていたわ。だけど……)

 ベルナデットはお気に入りのロマンス小説に手を伸ばす。

(私もこの本の主人公みたいに恋をしてみたかった……)

 本を抱きしめてそのままベッドにダイブした。そして疲れが溜まっていたせいか、ベルナデットはそのまま眠りに落ちるのであった。

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