童貞



 第2回:童貞


 童貞。

 煽り文句として有用であり、親戚の子供に「おじさんって童貞なんですか?」と言われるシチュエーションは、多くの男性に共感性羞恥を引き起こすとされている。


「程度の低いこと」を示す、馬鹿だとか、間抜けといった悪口ではないのだが……

 どうして、童貞という言葉はこんなにも精神への攻撃力が高いのだろう。また、どうしたら割り切れるのだろう。

 こちらの身が持つ限り考えてみることにする。



「童貞」と言われたときに真っ先に思い浮かぶイメージは、「マリオパーティ」においてスターを自分だけ取っていないような、そんな敗北感である。

 補足だけすると、マリオパーティの基本ルールはミニゲームをしてコインを奪い合い、一定量のコインを貯めたらスターと両替する。ゲーム終了時に取得したスターが多い人物が勝者となる。コインが幾ら多かろうが、スターで差がつけばその時点で敗北だ。(スターが同数ならコインの数で決着するが)


「童貞」という言葉には、必須、不可欠とされていて、実際他の皆はやっていることを「やっていない」という、疎外というか、劣等感を覚える。

 それは他のことでは埋められない。いくら勉強やら仕事に精を出そうとも、コインが貯まっていくだけで、スターにはならないのだ。人間も動物である以上、性行為の重要性からは容易に逃げられるものではない。自分もまた両親から生まれている以上、まさか自分だけが生殖の宿命から外れているなんてこともない。


 現実にしろ、創作にしろ、金や力をはじめとした自分ひとりで積み上げた何かに、皆の「愛」が結局勝ってしまうのだ。

 童貞はその「愛」を完全には理解することができないという罪を抱いている。全く理解できないわけでもないが、ベールに包まれた状態でしか把握することができない。


 内にいる自分が「愛とは肉体関係の形だけとは限らないではないか」と決死の反論をする。

 そうだ。だがそういう反論を出すあたりが、いかにも童貞なのだと思い、私は顔を俯かせる。



――童貞とはわらしの貞操と書く。


 童貞は漢字の通り、「子供」「未成熟」というイメージを強烈に与える言葉である。

 大人なのに子供と呼ばれて不快さを感じない人はなかなかいない。

 これは「若いね」とか「少年のようだ」と言われるのとは(嫌味で言われているわけでなければ)まるで違う。

 ここでの「若い」はエネルギッシュ、スタイリッシュという意味であるが、「子供」とはおこちゃま、幼稚、~ごっこという意味になる。

 似た感覚の言葉を挙げるなら「にわか」「エアプ(エアプレイ)」といったところか。

 

 童貞から見た童貞の性質として「色恋・異性に対して、過剰な期待(または嫌悪)を抱くこと」がある。

 もっとはっきり「脳内がお花畑である」と形容しても良いのだが、童貞はその大半が色恋に関われていないのだから、仕方ないじゃんとしか言いようがない。

 未経験の物事に正確な判断を立てることは……宇宙人の平均体重を言い当てるのと同じように、まず不可能に近いものだ。

 誰だって初めては素人なのだ。



 ここまで考えて、どうして「馬鹿」と比べて「童貞」が刺さるのかを何となく理解した。

 事実を述べているからだ。


「頭が悪い」と言われようが、それは発言者の主観であって、自分にとってはどうでもいい話に出来る。

 しかし、「童貞」という状態は、決してごまかせない事実である。性行為をしない限り、決して拭い去ることが出来ない。

 加えて「かーちゃんも泣いてるぞ」なんて言われても否定できない。れっきとした事実がバックにある以上、非常に反撃しづらい形で「社会不適合者」「親不孝者」というレッテルを貼りつけられるのだ。

 仮に幾ら社会に貢献しても、両親に親切にしたとしても、この苦い気持ちが消えることはない。


 ここに「童貞」という言葉の強さ、狡さがある。



 どうしたら割り切れるのだろうか。


 幸い(?)にも今の時代はそんなに「童貞」であることがマイノリティではなくなってきた。

 だから「童貞」と言われても、正直に「機会がなくて……」と答えればよい。大体それ以上にはならないだろう。

 深追いしてくる人がいるのだとすると、それは童貞の良し悪しはどうでもよく、ただ攻撃して悦に浸りたい(マウントを取りたい)だけである。

 童貞でなかったとしても、また別の切り口から攻撃してくるだけの話だ。


 上記のような状況であっても、まだ傷つくのは、他人からの悪口というより、自己嫌悪によるものである。自分の未熟さに腹が立っているのだ。


 もうこれに関しては、自分の人生において何を優先とするか、としか言いようがない。

 未婚者の割合が増えているとは言え、それでも半分は出来ているのだから、自分だけが出来ない理由はないだろう。

 まさか、ルックス・金銭面・性格、そのすべてが、自分よりも優れている人だけしか恋愛はできないものだと、思っているわけじゃあるまいし。

 一度でいいから色恋を体験してみたいのなら、数か月使ってでも他より優先して進めてみるしかないじゃないか。


 そんな勇気もないくせに、未練は一丁前に残しているせいで、「日常を維持しつつも色恋もできる」……都合の良い、棚ぼたであったり、偶然の出会いしか考えられなくなるのだ。


 結局は「日常よりも優先したい」と思うほどでないから、放置しているにすぎないのだ。



 あることを優先するのなら、他は知らないままになる。

 逆に言うなら、何かを捨てたとき、別の何かしらは拾っているのだ。

 色恋は知らないままになったとしても、色恋にも使えた時間で、仕事なり趣味なり睡眠なりをしていたわけで、

 それは他の誰かが知ることのない、自分だけの経験である。

 自分のしたことなんて「大したことない」と思うだろうが、そんなのは誰だって感じてきたことだ。


 初めての前では、未経験ゆえに過剰な期待や不安がやってくるのだが、実際にやってみると「あれ、思ったより……」になるのはごくごく自然な話だ。


 特段、性行為だけが対象ではない。進学による友人関係への幻想、就職による会社・仕事への幻想、AIをはじめとした先進技術への幻想……

 一生の中でたびたび過剰な期待と幻滅(または杞憂と安堵)を繰り返して、少しずつ「現実ってこんなもんだよな」と理解する。


 そして、童の夢から目覚めてゆく。

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