第3話 抜きたいっ?!

「あっ……あんっ、だめっ、そこっ!」


 ふと目を覚ますと、布団を頭から被った彼女のくぐもった声が聞こえてきた。


「あっ、あっ、ああっ!」


 布団をかぶっている安心感からか、彼女の声は意外に大きいが、もちろんどんな顔をしているかは全く見えない。


(ていうか……布団かぶって俺の隣で何やってんだよ?)


 思わず息を殺して、彼女の言葉に耳を澄ます。


「あぁもうっ!早く抜きたい……ちがっ、私がっ、私が抜きたいのぉっ!」


 懇願するような彼女の声に、俺は愕然とした。

 そして、またふと思い出した。


 一部の間で流行っているという、アプリゲームのエロ彼氏のことを。


(こいつまさか……今度こそあのアプリにハマっちまったのか?!俺というリアル彼氏がいるっていうのに!畜生っ、俺の、じゃなくて……誰のを抜こうとしてんだよっ?!)


 腹の底からムラッとした感情が湧き上がってきた俺は、息を殺して彼女に近づく。


「やんっ、そこだめぇっ……あっあっあっひゃうっ!死んじゃうっ、そんなことされたら、私死んじゃうってばぁっ!やんっ、やめてぇっ!」


 その間も、彼女の嬌声とも言える声は延々と続く。


「あぁっ……!もぅ、だめぇっ!死んじゃうぅ……」


(お前っ、一体誰とナニしてんだよっ!)


 怒りと嫉妬に任せて俺が彼女の掛け布団を勢いよく捲くり上げると。


「やぁぁぁんっ!」


 そこには、がっくりと項垂れる彼女の姿が。


「……えっ?」


 そして、彼女のスマホ画面には、崖から転がり落ちてクラッシュしているスポーツカーをバックに大きな【LOOSE】の文字が。


「……あっ」


 捲くり上げた掛け布団を片手に呆然と固まる俺に、彼女は恥ずかしそうな顔を向ける。


「ごめんね、起こしちゃって。つい、夢中になっちゃって。声、大きくなっちゃってたよね?」

「あ……うん」

「でもねっ!あいつもうっ!しつっこくてしつっこくてっ!ネチネチネチネチ仕掛けてくるし、全然抜かせてくれないしっ!さっきなんて私、ゴール直前の崖から落とされて負けちゃったんだよ!せっかく一位になれそうだったのに……だから、思わず……」

「はいはい」


 うんうん、と頷きながら彼女の頭をヨシヨシと撫で、捲くり上げた彼女の掛け布団を元に戻して、スマホを取り上げる。


「あっ」

「貸してみろ。お前の仇は俺が取ってやる。ちゃんとリベンジしてやるから」


 やったことのないゲームではあったが、レーシング系のゲームにはちょいと腕に自信がある俺は、彼女に簡単なレクチャーを受けると、リベンジレースを開始した。


「こいつよ、こいつ」

「よし、任せとけ」


 確かに、彼女の言うとおり、ソイツは嫌らしい走り方で俺の走行を何度も邪魔してきた。これが現実のレースだったら間違いなく反則ものだろう。

 だが俺も負けじとやり返し、抜きつ抜かれつのトップ争いを繰り広げたのち、先ほど彼女が突き落とされたというゴール手前で、逆にソイツを崖下に突き落としてやった。

 スマホ画面には、颯爽と駆け抜けるスポーツカーをバックに大きな【WIN】の文字が。


「やったぁっ!」


 布団の上で飛び跳ねて喜ぶ彼女。

 彼女にスマホを戻し、俺は言った。


「もう遅いから、寝ろ」

「うん……ね、そっち行っていい?」

「は?」

「なんだか興奮しすぎて眠れそうもないから。心音聴きながら、寝たい」


 俺の返事も待たずに、コロコロと転がりながら俺の布団に入ってきた彼女が、俺の胸元にピタリと耳を当てる。


「少しは……」


 言いかけて、俺は口を噤んだ。


「ん?なにか言った?」

「いや。早く落ち着くといいな」

「うん」


 あやすように、彼女の頭の上でポンポンと手でリズムを取りながら、俺は考えていた。


 俺がおかしいのか?

 いや。そんなことはあるまい。

 きっと俺じゃなくたって、10人いたら8人くらいは、俺と同じ勘違いをするはずだ。あぁ、間違いない。そうに決まっている。


 誰があんな声と言葉で、レーシングゲームをしているなんて思うもんか!


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