九話【雨の遊園地】

 翌朝。

 荷物をまとめた兄さんは父さんの運転する車で駅に向かった。助手席には母さんが座り、後部座席に俺と兄さんが並んで座る。兄さんの横顔は、弟との再戦を控えているとは思えないほど涼しげだった。

 駅前のロータリーで兄さんを降ろすと、二人は「お盆と言わずいつでも帰って来いよ」「大丈夫だと思うけど、体に気を付けてね」と別れを済ませる。兄さんは「うん」「分かった」といつもの調子だ。

 本当ならこのまま三人で帰宅するところだが、俺はその前に車を飛び出した。俺たちの都合を知らない両親は当然驚いたが、兄弟でゆっくり話したいことがあるんだと説得すると「お兄ちゃんに迷惑をかけないように」と言い残して走り去っていった。


「あの様子だと、迎えに来てもらうのは難しそうだな。徒歩で帰るつもりか?」

「構わないよ。せいぜい一時間だし、兄さんに勝った余韻で気分良く帰るつもりだからさ」

「そうか」


 それきり会話は続かず、一昨日の繰り返しのように俺たちはライスボックスに入り、順番待ちの後に筐体へ入った。

 奈雲との対戦は、平穏な高校生活と正義感のために戦った。大会での二戦は、ただ純粋に〈Colorful Bullet!!!〉を楽しむために戦った。そして今回は、兄さんという威光からの独立を果たすために戦う。


「稲井。応援していてくれ」


 ヘッドセットをつかむ手に、もう震えはなかった。


*  *  *


 園内にはポップなBGMが流れ、誰も乗っていないアトラクションが自動で動き続けている。二人しかいない遊園地は、どれだけ明るいBGMが流れても酷く滑稽で寂しく見えた。いっそ廃墟のほうがマシだろう。


『これよりランクマッチを開始いたします。バトルフィールド、遊園地A・昼・雨。制限時間、二十分』


 遊園地、しかも雨が降るバトルフィールドは初めてだ。経験値という唯一のアドバンテージが小さくなったことで、今回の対戦はより厳しくなるだろう。


『プレイヤー1「空色のショウ・ランクC3」プレイヤー2「天色のススム・ランクC3」の対戦を開始いたします』


 ランクC3同士の取るに足らない戦い。世間的にはそう映っても、俺にとっては奈雲戦を超える、自分の人生を懸けた戦いに他ならない。

 メイン装備は稲井のアドバイス通り中筆モロノブのまま。今はこいつだけが俺の相棒だ。


『5――4――3――2――1――戦闘開始!』


 アナウンスと共に遊園地のあちこちから風船が舞い上がる。色とりどりの風船は雨に打たれながら蛇行するように空に昇り、バトルフィールドの高度限界である百メートルに達したあたりで弾けて消えた。どこかにいる兄さんも同じく空を見上げているだろう。

 勝利に燃える凡人の『空色』と、淡々と効率的に戦う秀才の『天色』。空を覆う雨雲の向こうにあるのは、どちらの色の空なのか。

 遊園地といっても、実際のバトルフィールドは風景ほど大きくない。攻略サイトによれば、ここの広さも一辺が百メートルの立方体だったはずだ。それを踏まえると、俺たちが触れられるアトラクションは観覧車、ジェットコースター、お化け屋敷、コーヒーカップのオーソドックスな四つのアトラクションだけだ。

 もう一つ、無視できない要素が雨だ。雨はインクを洗い流してしまうため、屋外に塗布したインクはすぐに効力を失ってしまう。事前に塗布するのが基本の空色にも天色にも平等に不利に働く天候だ。


「雨の遊園地――この戦場で『空色』の能力を活かすためには」


 点在する植え込みやゴミ箱に身を隠しながら考え、やがて思いつく。そのまま見つからないように身を低くしながら目的のアトラクションににじり寄る。

 トラップ向きの空色の能力を活かすなら、インクが洗い流されないアトラクション――つまり屋根がある『お化け屋敷』に仕掛けるのが最適だ。当然内部は暗いだろうから、床や壁にべったりインクを塗ったところで気付くのは難しいだろう。その点でも、お化け屋敷ほど最適な場所はない。先手を打たれる前に、真っ先に押さえるべきだ。


*  *  *  天宮進  *  *  *


「まずはお化け屋敷を押さえるべきだ」


 翔が身を隠しながら接近している時、進は大胆にも一直線にお化け屋敷へ向かって駆け出していた。能力が同じである以上、目的地も同じになる――それならば見つかる見つからないは問題ではなく、先にたどり目的地に着くことが何より重要と判断したからだ。

 対戦開始一分ほどで進はお化け屋敷の入り口に立った。念のために床を確認するが、空色のインクはおろか足跡や水滴も見当たらない。翔が足を踏み入れていないことは明らかだった。


「始めるか」


 進は入り口から順路に沿って、枯渇しない程度にインクをセーブして塗布し始めた。作業中に人工の幽霊や化け物が驚かしに来るが、眉一つ動かさず黙々と手を動かす。すごすごと引き下がる幽霊たちを尻目に、数分でお化け屋敷は進の陣地となった。

 お化け屋敷の床のほぼ全面に天色のインクが塗られ、ドアや壁の一部など手を触れそうな箇所にも残さずインクを塗ってある。翔が触れて上空に飛ばされれば、落下した衝撃はお化け屋敷内の進にも伝わる。そうなればアバターの怪力を活かして天井を破り、CB弾を無防備な翔に撃ち込めば進の勝利だ。


「ここに翔を追い込めば勝ったも同然だ。次は、近隣の雨をしのげる場所を順に潰していこう」


 トラップを仕掛け終わって外に出ようとすると、進が出てくるのを阻むように出口に大量の空色のインクが撒かれていた。


「悪くないが、結局前の戦いと同じだな。インクを無駄にして、僕が偶然引っ掛かるのを期待しているだけだ」


 お化け屋敷を破壊してインクを撒かれていない箇所から外に出ることもできたが、進は自分のインク残量の回復と、空色のインクが雨に流されるのを中で待つことにした。

 数分の間、進は帰省してからの数日を思い返していた。

 何より驚いたのは、いつも何かに怯えて暮らしていたような翔がゲームとはいえ趣味を作り、あまつさえ対戦を挑んできたことだ。弟が自分に対して攻撃的に接することなど、少なくとも五年以上なかった。

 男らしくなってきたなと思った一方、失望もした。自信満々で戦いを挑んだくせに、初めてプレイする自分に負けてどうするのだと。そして今回も運頼りの稚拙な戦いを繰り返している。向上心が感じられない。


「僕は少し、期待し過ぎていたのかもな」


 そう呟いた頃には、外のインクは半分以上流されていた。遊園地の地面はタイル張りになっており、目地に沿ってインクが緩やかな傾斜を流れ落ちていく。

 アバターの身体能力なら楽に跳び越せる。外で翔が待ち構えていないことを確認すると、助走をつけてお化け屋敷から跳び出した。

 ベチャ!

 直後、進の眼前に空色のインクの塊が落ちてきた。筆を構えながら周囲に視線を巡らせる。


「やはり、どこかで待ち構えていたか」


 しかし周囲を見回しても翔の姿は見当たらない。にもかかわらず、雨に混じってペチャペチャとインクも降り注いでいる。

 近くで動いているものといえば悠然と回り続ける観覧車と、唸りを上げながら横を通り過ぎるジェットコースターのみ。しかし観覧車には誰も乗っておらず、ゴンドラの上に翔が乗っているということもない。


「まさか、ジェットコースターの車両に乗りながらばら撒いているのか?」


 アバターの身体能力なら不可能ではないし、万が一落下してもダメージはない。車両に乗っている間は攻撃を受けることもない。

 しかし、やはり運任せの攻撃。それに動いている車両に直接攻撃することはできなくても、例えばインクを塗った板を進路上に設置しておけば車両ごと空に飛ばされる。進はすぐにそれを実行に移した。

 車両が目の前を通り過ぎるまで約二十秒。進は約二メートル四方の案内看板を外し、片面にインクをべったり塗ってレール上に置いた。車両は雨でかすむ山をゆっくり越えて、看板が待ち受けるポイントに向けてスピードを上げて坂を下る。


「……まさか」


 進はゴーグルの水滴を拭った。

 ジェットコースターはお化け屋敷のすぐ横にあり、進は今までずっと車両を見上げていたので、死角になっていた座席の上を見るのはこの時が初めてだった。


「そういうことか、翔」


 車両に翔は乗っていなかった。代わりに乗っていたのは、客でもコーヒーでもなく空色のインクを満たしたコーヒーカップだった。

 直後、背中を巨大な舌で舐められるような感覚が彼を襲った。

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