七話【しょっぱくて甘い】

 攻略サイトを参考にしつつ、俺は午前中に三回のプラクティスで腕を磨いた。トータル一時間半のプレイは肉体ではなく脳に猛烈な疲労を与えていた。肉体のほうはただ座っているだけで、頭はゲーム世界の激しいアクションを処理しているのだから当たり前か。

 稲井はプラクティスに加えて五回の個人的なランクマッチを挟んでいた。今日はモニターの電源が入っていないので対戦を観られなかったが、本人曰く「五戦全勝」とのこと。彼女の対戦相手はサーバーごとに四人だけのPCランクを除けば最高ランクのS1のはずだが、それを相手に全勝とは感嘆せずにはいられなかった。

 だけど、よほど疲労していたのか、稲井の腹から「ぐぅ~」と大きな音が鳴って慌てふためいていたときは思わず笑ってしまった。真っ赤に染まった彼女の顔を見てしまうとトップランカーであることを忘れてしまいそうだ。


「笑わないで! そろそろお昼にしましょう!」

「そうだな、俺も腹が減ってきたし。フルダイブVRって意外に頭を使ってるせいか無性に腹が減るんだな」

「遊治さんもそろそろお昼のはずだし、三人分の出前を取ればいいかしら」

「そうだな。何を食べたいかちょっと訊いてくるよ」


 稲井はコスプレ姿だから、いくら表面上は強気になったとしても外食は難しいだろう。

 俺は一階のスタッフルームに向かった。いつもとは比べ物にならないペースでプレイした影響か体が重く感じる。

〈Colorful Bullet!!!〉の長時間のプレイは危険視されているし、現実世界との体の感覚の齟齬を小さくするためにアバターの性別や体型を変えることもできない。たしかに、この状態で自転車や車に乗ったら事故を起こしそうだ。

 一歩一歩床を踏みしめてスタッフルームに向かうと、中からテレビの音と共にいい香りが漂ってきた。ノックすると「入っていいぞ!」とすぐに返事が飛ぶ。


「失礼します」


 中に入ってみると、案の定遊治さんはテレビを観ながらインスタントラーメンを食べていた。


「遊治さん。俺たち、今からお昼にしようと思っていたんですが」

「ああ。それなら見てのとおり、俺はもう自分の分を作っちまったからいらねえぞ」

「そうですよね……。じゃあ、二人分の出前でも取りますね」


 俺が携帯電話を取り出そうとすると、遊治さんはハアーッとわざとらしくため息をついた。


「それも悪くねえけどさ~、せっかく可愛い可愛い女の子と二人きりなのに出前なんて味気ないだろ?」

「……と言いますと?」

「サプライズってほどじゃねえけどさ。無難なメシを出前するよりも、お前が『これだ!』って思ったメシを買ってきたほうが好感度がググーッと上がるだろうが!」

「そ、そんなこと言われても……」


 遊治さんも正輝さんも稲井を溺愛しているようだが、俺に対する態度は真逆だ。どうやら遊治さんは俺と稲井が親しくなることを期待しているらしい。


「……わかりました。ちょっと外に行って買ってきます」

「おう! 頑張れよ、少年!」


 俺が「これだ!」と思うメシといったら、前々から気になっていたアレしかない。



「ス……スパムとブルーチーズの贅沢バーガー……?」

「ああ、五月の期間限定ハンバーガーだ! ちょっと高いから買うの躊躇してたんだけど、いい機会だから買ってきたんだよ。ちゃんとポテトとシェイクも買ってきたぞ!」


 璃恩ともよく行く駅前のハンバーガーショップでは毎月期間限定のハンバーガーを販売していて、先月の告知から気になっていたのだ。

 俺が稲井に手渡すと、彼女は物珍しそうに包み紙をいじくる。


「私、こういうジャンクフード食べるの初めて」

「ファストフードって言って欲しいな。お嬢様はこんなの食べちゃいけないって親から言われてるのか?」


 嫌味っぽく言ってみると、稲井は首を横に振った。


「親は寛容だから禁止しているわけじゃないけど、お兄ちゃんがね。昔から『あんなもの食べたら太っちゃうぞ』って言ってたから、いつの間にか刷り込まれちゃって」


 正輝さんは一見紳士なのに、とんだシスコンだった。察してはいたが。


「ゲームでカロリー消費してるし、一回食べただけじゃ太らないって! 俺だって慣れないインターネットに挑戦したんだから、稲井さんもハンバーガーに挑戦しなくちゃ」

「う……うん、そうだね。たかがパンに肉とチーズを挟んだだけの食べ物だし」


 身も蓋も無い言いようだが、決心してくれたようだ。

 遊治さんの言葉じゃないが、こうして女子と二人きりでハンバーガーにかぶりつくのも悪くない。


「それじゃ」

「いただきます」


 二人同時にかぶりつく。


「……しょっぱいな」

「……しょっぱいね」


 同じ感想だった。スパムとブルーチーズなんて明らかにしょっぱい組み合わせなのに、これを考案した人たちは舌が鈍いのか。セットで注文されるポテトだって塩味なのに。


「あっ、そういうことか!」


 口の中が塩味に染まってきたところでシェイクを飲む。強烈な冷たさと甘さが口の中の塩分を一気に抑え込んだ。あの強烈な塩味が恋しくなって、自然とハンバーガーをもう一口かじりたくなる。


「シェイクありきのハンバーガーだったんだな。それでも微妙にしょっぱいけど、癖になる感じだ」


 俺の食べ方を真似して、稲井もハンバーガーとシェイクを交互に口に運ぶ。


「……美味しい」

「そうだな! ハズレじゃなくて良かった」


 あっという間に平らげ、ようやくひと心地着いた。


「来月のも楽しみだな」


 そう口走ってからハッとした。今の言葉は、捉え方によっては「来月も一緒に食べような」と誘っているようにも聞こえる。

 稲井は「うん」と呟いた。それはどちらの言葉に対してなのだろうか。

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