二話【善い活動】

 自己紹介の後は担任が今後のオリエンテーションを始め、「これからの新生活みんなで頑張っていきましょう!」といった旨の話を熱く語る。俺はこの話を、背後からの母さんの殺気がこもった視線を浴びながら縮こまって聞いていた。

 高校最初のホームルームを終えれば、やるべきことは教材やらを買うために購買部に行くぐらいだ。しかし当然人が押し寄せるし、保護者同士の挨拶もそこかしこで行われるので、生徒と保護者の半分以上は教室に残っていた。

 スクールカーストなんて言葉が一般的になって久しいが、早めに友達が欲しい、仲間を確保したいという思惑は理解できる。俺だってそうだ。もっとも、みんなの心の中で「濡れ男」とあだ名を付けられていそうな俺に話しかけてくれる人は誰もいなかったが。


「翔ちゃーん!」


 いや、一人例外がいた。クラス表を見た時点で一緒のクラスだと気付いていたが、俺の親友とも呼べる男は自己紹介でも目立っていた。

 理由は単純、長身瘦躯のイケメンだからだ。洋服やアクセサリーにお金をかけないくせに、モデルじみたスタイルと程よい天然パーマの黒髪が飾らない男の色香を振り撒いている。手を振りながら歩み寄るだけでさまになっていて、俺が女子だったらそれだけで恋に落ちてしまいそうだ。実際、早くも女子を三人も引き連れている。


「よお、璃恩りおん。相変わらず人気者だな」

「あはっ、翔ちゃんも相変わらずだね。一緒のクラスで嬉しいよ」


 黙っていればクールで線の細い優男風だが、実際は人懐っこい仕草で簡単に他人の懐に入り込む小型犬のような奴だ。

 俺たちが気さくに挨拶するのを見て、失礼にも後ろの女子たちが「えっ? ホントに友達だったの?」「えー、やだー!」とはやし立てる。俺は机の下で拳を握りながら、聞こえない振りをして努めて笑顔で話を続けた。


「小学校からの腐れ縁だな。俺もお前のような奴が友達で鼻が高いよ」

「何言ってんだよ。僕より翔ちゃんのほうがずっといい男じゃん!」

「お前に言われても皮肉にしか聞こえないって。実際、お前はとっくにモテモテじゃん」


 そう口走った直後に「あ、この展開はまずいぞ」と思った。たしか、中学入学時も似たような会話をしていたはずだ。ということは、次に璃恩が言うことは……


「だって、ママに『女の子には優しくしろ』って口酸っぱく言われてるしね。あれ、前もこんな話したっけ?」


 後ろの女子たちが「えっ?」「ママ……?」と眉をひそめて一歩足を引いた。思わず額に手を当てる。

 そう。璃恩は目もくらむイケメンなのだが、どうしようもないぐらいマザコンなのだ。しかも本人は、それはなるべく隠すべきだという忠告を頑として受け入れようとしない。

 案の定、女子たちは俺だけでなく璃恩にも冷たい視線を向けながら遠ざかっていった。


「璃恩。お前のために繰り返し言うけど、人前で『ママ』って言ったり、母親への愛情を口にするのはやめたほうがいいぞ」

「えー、そうかな? 翔ちゃん以外からもたまに言われるけど、よく分かんないよ。自分のママが好きで何が悪いの?」

「……分かった。とりあえず学校でこの話はやめよう。これ以上お前の未来の友達や彼女を減らしたくない」

「ふーん? あ、そうだ。僕ハンカチ持ってるから、これで髪拭きなよ。まだ結構濡れてるよ」


 そう言って手渡す花柄の可愛らしいハンカチは確実に母親のチョイスだろう。ありがたく受け取って髪を拭っていると、璃恩は女子よりも長いまつ毛の奥にある瞳で俺を見つめてくる。


「ひょっとして翔ちゃん、まだ〈善活ぜんかつ〉続けてるの?」

「……悪いかよ」つい語気が強くなってしまう。

「いや、善いことしてるんだから駄目とは言いづらいけど、ほどほどにしたほうがいいよ。今日だって入学式を放り出すなんてやり過ぎだよ……翔ちゃんのママも見に来てるのに」

「やめろよ。俺までマザコン扱いされる」


 湿ったハンカチを突き返すと、俺は教室の後ろでちょうどおしゃべりを終えたところの母さんに、購買部で必要な物を買ってこようと告げた。母さんも俺に言いたいことがあるはずだが、場所が場所だし、俺がどういう人間なのかも分かっているから何も言わずについてきてくれた。



 教材等を購入し、正門の前で記念撮影を終えたところで璃恩と彼の母親がやって来た。二人も記念撮影を終えると、「いつもお世話になっております」「こちらこそ」と母親同士の挨拶が交わされた。教室内では話す時間がなかったのか、唐突に世間話に花が咲いてしまった。

 手持無沙汰になっていると、璃恩が俺のブレザーの袖を引っ張る。


「翔ちゃん、一緒に帰ろう」

「え? でも……」

「ママのことならいいよ。行きは車に自転車を積んで一緒に来たんだけど、元々帰りは翔ちゃんと帰るつもりだったからさ」

「そうか? そういうことなら」


 俺が母さんと璃恩の母親にそのことを告げると快諾され、駐輪場から二人並んで自転車を押しながら学校を出た。


「翔ちゃん、さっきはごめんね。昔からの付き合いで事情を知ってるのに、あんなこと言っちゃって……」

「善活のことなら気にするなよ。俺だって、どこかでやめなくちゃって思ってるんだ。っていうか、俺のほうこそ感情的になって悪かった」


 善活とは、文字通り「善いことをする活動」だ。字面こそ悪くないが、俺の善活は時に常軌を逸している。それぐらい自分でも分かっている。今朝みたいに損をすることも珍しくない。

 じゃあ、なんでこんなことを続けているか? 最大の理由は、人助けをしたいから――なんて綺麗な答えじゃない。兄さんへのコンプレックスだ。

 兄さんは優秀で、今年からは東京で一人暮らしをしている。かの有名な東京大学に通うためだ。

 小さい頃は、そんな兄さんが俺の自慢だった。だけど思春期を迎えた頃には、兄さんが周囲の期待を独り占めし、平凡な俺はまるで落ちこぼれのように扱われていることに気付いた。もちろん俺の両親はそんな素振りを見せないようにと努めていたが、それが逆に俺の劣等感を煽った。

 だから俺は、意識して兄さんとは違う道を歩もうとした。兄さんが右に行くなら、俺は左に。兄さんが自分を磨くなら、俺は他人を助けようと。

 その一つが善活で、善いことをすればその場で褒められる善活は俺のすさんだ心を刹那的にだが慰めてくれる。

 つまり、善活は兄さんへの反発心が生んだ、ただの自己肯定のための活動ということだ。


「もう高校生なのにな。未だに兄さんを意識しすぎて、ガキみたいだ」


 自嘲気味に言うと、「だったらさ!」と言いながら璃恩が顔を近づける。鼻と鼻がぶつかりそうになり、近くを歩いていた女子がキャアッと声を上げた。


「高校生らしく、今から遊びに行こうよ!」

「入学式の帰りにか? お前にしてはヤンチャな提案だな」

「この学校は買い食いやゲーセン通い程度じゃ指導されないって話じゃん。もちろん、問題を起こさず勉学にも励んでいればって前提だけど」

「……そこまで言うなら。せっかくだし、ちょっとぶらぶらするか」

「そうこなくっちゃ!」


 俺は璃恩の気遣いに感謝した。璃恩の家は母子家庭で、遊びに行く金銭的な余裕なんてあまりないだろうに。

 こうなったら、ごちゃごちゃ考えるのは後回しだ。とりあえず今は親友とのひと時を楽しく過ごそう。

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