灰色に橙色の丸模様 - 2

 せめて最期に彼の顔が見たい。そう思った時だった。


 見間違いだと思った。本当に最期に見せてくれたのだとまるで信じていなかった神に感謝しそうになったが、それは紛れもなく彼で。


 そして彼は彼に襲いかかろうとした魔物を難なくき殺した。



「間に合ったみたいだな……」


 転移になく、地脈移動にあるもの。それは目標地点が無くとも移動出来るということだ。

 地脈はこの星を包み込むように巡っていて、そこを通り道に高速で移動することが出来る。


 そして、地上の様子を確認することすら出来るし、慣れてくると地脈の振動からどこで大きな戦闘が起きているのかが分かるようになるのだ。

 それは戦いを求める始原の種族にマッチした能力であり、如何に始原という時代が殺伐としていたかが分かるシロモノだ。


 視線の先には右腕を失い、大剣を支えに辛うじて立っているという様子の彼女が見えた。

 真っ直ぐにそっちへと向かう。

  

 王都周りは随分と酷い有り様になっている。

 戦いはまだ終わっていないが明らかに人間側が戦力不足で押されている。

 今にも魔物の波が王都に到達しそうで、その瀬戸際といったところだった。


 俺は彼女を優先する。

 別に見捨てたわけじゃない。

 どっちが先でも大して変わらないなら、彼女を先にしたかっただけだ。


 彼女の方へ向かう途中で魔物を何度も轢き殺した。

 俺のステータスはもう走っている最中に魔物に当たるだけで軽く吹き飛ばせる程度には強くなっている。流石に大型は無理だが、中型以下は敵じゃない。

 地脈移動中に時折ときおり飛び出して目についた魔物を狩ってきたお陰だ。


「待たせたな」


 俺はそう言ってインベントリから取り出したエリクサーを惜しげもなく彼女に振りかけた。裏ボス戦の残りだから問題ない。


「ようやくだ。長かった……」


 そう言って彼女はうつむいた。涙に濡れた声は聞かなかったことにする。嬉しくないわけじゃないが、それを言うよりもすることがある。

 彼女の傷が癒え、腕が生えてきたことを確認して、俺は彼女の許可も取らずにその身体を抱えた。


「ひゃっ」


 久しぶりに聞いた可愛い声を記憶に永久保存しつつ、一足飛びに魔物の群れを飛び越える。


「……そこで待ってろ」


 返事も聞かずにとんぼ返りして、俺はこれまでの鬱憤を晴らすべく獰猛に笑った。


「さぁ……溜まりに溜まったストレス解消に役立ってもらうぞ」


 もうちょっとマシな決め台詞ぜりふもあったろうが、その時の俺はそんな気分だったんだ。



 来てくれた。そう思った。

 けれど、その想いを伝える前に、すでに彼の姿は無かった。

 あっという間に助けられて、気がつけば壁の内側だった。


 私の姿を見た者たちが心配そうに駆け寄ってくるのが見えたが、私にはすでに彼のことしか考えられなかった。


 くしたと思った腕が生えてきた。

 もう歩けないと思った脚は嘘のように軽い。

 心なしか体力まで回復したように感じたが、そればかりは気の所為せいだったらしく、私は再びうずくまった。


 他人の声が耳の上をすべっていくようだった。

 それだけ、私は彼しか見えていなかった。


 夢に見たことではあった。その頃はあまりに少女じみていて恥ずかしく思ったものだが、悪くなかった。

 それどころか、私は少女のようになってしまった。顔が熱い。


 今なお、壁の向こうからは魔物の断末魔が聞こえてくる。苦戦していたのが嘘のようだ。……時折聞こえてくる人間の悲鳴はなんだろうか。

 まさか彼が轢き殺しているわけではないだろうから、それほど彼の活躍が大胆なのかもしれない。


 もしこの状況が収束したら、彼に会って、それから……

 その後の展開を想像して、私は再び顔を赤くした。



 結論から言えば危機は去った。

 が、俺そのものが新たな危機として認識されてしまったらしい。


 魔物を轢き殺し続けた結果、俺の全身は真っ赤に染まり、当然の如く引かれた。

 予想はしていたが、街に入れないとは思わなかった。


 仕方がないので近くの川で丸洗いして、変装セットと地脈移動でこっそり進入。彼女と再会し、街の外で待ち合わせした。


「久しぶり、いや、さっきぶりか。おっと」


 彼女は真っ先に抱きついてきた。

 今では俺のほうが背が高い。中々伸びなかった背丈だったが、始原の種族の影響で大分だいぶ大柄おおがらになってしまった。

 彼女はもう水浴びを済ませたようで、懐かしい匂いがした。


「……ようやく言えるよ」


 そう言えば、彼女は頭を強く擦り付けた後、ゆっくりと離れて、何処か期待した様子で俺を見上げた。


「ずっと好きでした。付き合って下さい」


 だが、彼女は不満そうだ。何か不味まずっただろうか。


「私も好きだ。つまり相思相愛だ。分かるか?ここまで言わせて分からないとは言わせないからな」


「あ、いや。それはもっとこう、ムードがある場所でプロポーズしたいっていうか」


「あ゛?」


「……愛してます。結婚して下さい」


 そう俺が言えば、彼女は先程までの威圧を霧散させて、はにかんで笑うと返事をした。


「はい。喜んで」


 ……女ってコエー。



 その後は本当に色々あった。色々ありすぎてどこから説明していいか分からないほどだ。だが、一つだけ言えることがある。それは、


「私たちは幸せに暮らしている、ということだ。……と」


「何書いてるんだ?日記 おごっ!」


 覗き込んできた夫の腹をひじで突く。さも苦しそうな表情で腹をでさすっているが、感覚はまるで鉄の板が入った毛皮に肘を打ち付けたようだった。

 私も本気ではなかったので双方ともにダメージは無いが。それはそれとして腹がたつ。


「意外と乙女だな、とか言ったらコロす」


「は、はは。……可愛い趣味だな?」


「コロす」


「なんでっ!?」


 勿論冗談に決まっている。私は照れ隠しに彼の脇腹をまんでじる。筋肉質で肉など無いが無理やり摘まむのだ。これだけは効く。現に先ほどとは比べ物にならないほど痛そうに、もうやめっ…などと言っている。


「どうすればいいかなど、分かっているのだろう?」


「そ、その手を放してくださ」


「違う。追加だ」


 たまに私の夫はずば抜けた阿呆あほうなのではないかと思うことがある。こういう時は特にそうだ。腹が立ったので右手も追加だ。どうだ、痛かろう。



「あぐっ……わ、わかった、やる、やるから放してくれっ」


 俺が情けなく声をあげると、ようやく彼女は両手でつねるのを止めてくれた。

 あーあ、赤くなってるじゃないか。と、腹をさすっていると、ギンッとにらまれたので、慌てての姿勢を取る。


「で、では失礼して」


「違う」


「……待たせたな」


「声が硬い。もう一度」


「待たせたな」


 正直、これをもう一度やるのは恥ずかしい。あの時は気分がってたから出来たんだ。マジで素面シラフではキツい。

 だというのにこの子はこれが大のお気に入りみたいで、事あるごとにこれを強要してくるのだ。


 俺は彼女の体を抱え上げている。いわゆるお姫様っこの体勢だ。

 ぶっちゃけ、肉体的には何の苦労もない。軽いものだ。だけど、その、心にダメージがだな?めっちゃ気恥ずかしいのだ。これが。

 しかもだ。


「助かった。来てくれたのだな……ありがとう」


 そう言った妻が目を閉じて何かを期待するかのように待ち始める。

 俺はその……戦場で会った時とはまるで違う、ふるふると揺れる赤い紅を引いた唇にキスを落とした。


 なんでも本当はこういうやり取りがしたかったらしい。その理想を今一度、ということなのだそうだが。こういう気障キザなやり方は苦手だ……。

 絶対分かっててやっている。現に彼女より俺の顔の方が真っ赤だ。鏡を見なくても分かる。彼女も最初こそ顔が赤かったが、今では慣れたのか少し赤くなる程度だ。


 すると、彼女はその感触を堪能したいのか、しばらく沈黙した後、すっと目を開いて、こう言うのだ。


 やはり、何度やってもいいものだ。また次もお願いしたい。と。


 正直俺は御免ごめんだ。御免だけど……、その時に浮かべる微笑みは普段の厳しく生真面目な彼女と比べると、とても可愛らしくて穏やかで、ずっと昔、彼女と笑い合っていた頃の笑顔にとてもよく似ていて。

 その笑顔だけはまた見てみたいと思ってしまうのだ。


 いや、チョロいな俺。チョロいわ。すっごく。


 ステータス的には俺の方が強いのに、完全に尻に敷かれているが悪くない。

 何より、彼女と別れてからのことを考えると、それよりもずっと幸せだ。


 何があっても守り切る。その決意はより硬くなったと思う。

 何より、今はその力がある。


 面と向かって妻には言えないが。

 いや、今度キメ顔で言ってみようか。

 彼女の喜ぶ顔が楽しみだ。




蛇足

P.S.

 なんか予想と違ってめっちゃ泣かれた。俺はどうしたらいいのか分からなくて、妻の周りをうろうろした後、台無しだ、馬鹿、と言われて、抱きしめて欲しいと言われたから、力加減をして抱きしめていたら、強く抱きしめてくれと言われて、いつもよりきつめに抱きしめていた。


 なんでも感極まって泣いてしまったらしい。案外泣き虫だな、と揶揄からかったら、うるさい、といつもより声で言われてしまい、胸キュンしてしまった。


 それからは、妻はこれまでよりちょっと優しくなって、たまに甘えてくるようになった。どうも、そう言われるまではこれまでの俺がいない時の気張りが続いていて、ふと、もうしなくても良くなったのか、と気付いたらしい。


 もう大丈夫だぞ、と幼い子にするようにナデナデしてあやしたら、馬鹿にするな、と一時は頬を膨らませて不満顔になるも、それはすぐに止めて、心地よさそうに目を細めていたのが印象深かった。ので、たまに撫でてやるようにした。


 なんだかんだ、夫婦の仲が深まった気がした。


 俺は気障な台詞は苦手だ。

 でも、そうだな。たまにはキメ顔で言ってやろうと思う。

 それで妻が喜ぶ顔が見られるなら、安いものだ。


 流石にもう泣かれることは無いだろう。

 ……無いと思いたい。

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