七話

 フローラは、僕の喉に魔法の力が宿っていると言っていた。


 それが定かなのかどうかは、分からない。でも、歌声には何らかの力が宿っていると信じている。それは人の心を動かす力。


 コラリーが僕の歌声を聞いて、何を思ったのかは分からない。でも、彼女は僕を認め、許してくれた。それは少なからず、前後で心境の変化があったということ。


 しかし、そんな彼女のレッスンは、想像を絶する程にスパルタだった。


「ちょっと、音外しすぎ!」


「リズムがぐちゃぐちゃじゃない! ちゃんと私の伴奏を聞きなさいよ!」


 鬼のような指導は、日が暮れるまで続いた。



「も、もう無理……」


 その場にへたり込んでしまう。情けないくらいに、声が枯れている。そもそも歌のレッスンなんて、こんなに根をつめて行う物ではない。

 全盛期の時でさえ、長くても二時間くらいが限界だった。声を取り戻したばかりの喉には、負荷が大きすぎる。


「仕方ないわね。今日はこれで終わりにするから」


 コラリーは大きくため息を吐きながら、漸くピアノの椅子から立ち上がった。


 た、助かった。やっと解放される……。


「明日もビシバシしごいてやるんだから、覚悟しなさいよね」


「え……明日もするの?」


「当たり前でしょ! 明日も明後日も、お祭りが終わるまで、あんたに付き合ってあげるから」


 そう言った後、慌てたように目を逸らすコラリー。


「かっ、勘違いしないでよね! フローラ先輩の頼みだからってだけで……。別にあんたの歌声を聞きたいとか、そんなんじゃ無いんだから!」


 耳たぶを触りながら捨て台詞を吐くと、逃げるように教室を後にした。


「えー……」


 明日も……。これ、直接手を下されないだけで、間接的に殺されてしまうのではなかろうか。

 大体、お祭りって何なんだ……?


 痛めた喉から、力のないため息が漏れた。




 数分後、フローラが迎えに来て、僕たちは帰宅した。そしていつものように、彼女は食事を運んで来てくれる。


 お皿からは、ほのかに甘い蜂蜜の香りがした。蜂蜜は、喉の炎症を抑え、痛みを和らげてくれる。小さい頃、歌で声を枯らした僕に、お母さんが蜂蜜料理を作ってくれたのを思い出す。


 フローラも、僕の喉を気遣ってくれているのだろうか?


 食卓に着き、ちらりと彼女を見る。相変わらず無表情で、こちらを見つめている。早く料理を食べなさいと、催促しているように思えた。


 両手を合わせ、スープを口に入れる。蜂蜜の甘さに、ほんのりと生姜の辛さが合わさり、喉の粘膜を優しく包んでくれた。


 フローラもゆっくりと腰掛る。無表情のまま、頬杖をついて外を眺めている。


「料理、美味しい。ありがとう」


「そう。それは良かった」


 素っ気無い返事と共に会話は途切れ、沈黙の時間が続く。別に居心地が悪いわけでは無いが、一瞬だけ見せてくれた笑顔をもう一度見たくなる。


 何か話したい。会話の中で、フローラの様々な表情を引き出したい。しかし、特段気の利いた話題を思いつかない僕は、ひとつ気になっていた事を尋ねた。


「コラリー、だっけ? あの子、僕が人間の男だって気づいてた」


「そう……」


 興味の無さそうな声が返ってきた。彼女は微塵も動じていない。眉一つ動かさず、外を眺め続けている。

 負けるものか。そう思い、少し踏み込んだ質問を投げかける。


「フローラ、分かってたでしょ?」


「なにが?」


「君の幻想魔法でも、あの子を誤魔化しきれない事」


 図星だったのか、彼女の瞳が一瞬大きく見開く。やっと表情を変えてくれた。しかし、それはほんの一瞬で、すぐさま元の無表情に戻ってしまう。


「……コラリーは、いい子だから」


 彼女の口から出た言葉は、まるで質問の答えになっていない。今のフローラとは会話が噛み合わなければ、視線も合わない。


 彼女がなにを考えているのか。その水色の瞳には、なにが映っているのか。僕は、フローラの事を何も知らない。


 もっと、彼女のことを知りたい。


 しかし、フローラは静かに椅子から立ち上がり、出口へと向かっていく。


「待って、フローラ」


「なに?」


「……いや、ごめん、何でもない」


 呼び止めては見たものの、何を言えば良いのか分からなかった。

 フローラは振り返らぬまま、扉を開ける。


「……明日、また同じ時間に出発するから」


 その言葉を残し、彼女は去って行った。




 次の日。学園にて、例の部屋へ向かっていると、ピアノの伴奏が聞こえてきた。洗練された音色の質、そして寸分違わぬリズム。昨日の記憶が脳裏に過ぎる。


 部屋を覗くと、予想通りコラリーがピアノを演奏していた。音を立てないよう、そっと室内に入る。


 彼女は僕の存在に気づかない。よほど演奏に夢中なようだ。目を瞑り、ひたすら目の前の音楽と向き合っている。


 優しくて繊細な旋律。しかし昨日のような悲しげな雰囲気では無く、明るくて、希望に満ち溢れていて……。

 今にも何か始まりそうな、ワクワクするようなメロディラインだ。


 綺麗だと思った。ピアノを弾く彼女も、音楽と向き合う姿勢も、そして今聞こえる音色も。この部屋にあるもの全てが美しく思える。


 それが彼女の魔法によるものか、はたまた演奏技術によるものなのか……。今の僕には知り得ない事だった。


 やがて演奏が終わり、名残惜しそうに鍵盤から手を離す。控えめに拍手を送ると、やっと僕の存在に気付いたのか、驚いた表情でこちらを睨みつけてきた。


「い、居るなら居るって言いなさいよ、バカ!!」


 トゲトゲした怒声が、ピアノ越しに飛んでくる。彼女は慌てたようにピアノから立ち上がり、金色の髪を整える。そしてゆっくりとこちらへ近づいてきた。


「今の曲、なに?」


「あぁ、これ。……お祭りに向けて、あんたに練習してもらう曲だから」


 そういえば気になっていた。昨日から耳にする『お祭り』という言葉。


「ねぇ。そのお祭りって、一体なんなの?」


「なにって……あんた、フローラ先輩から何も聞いてないの?」


 小さく頷く。フローラから直接聞けば良かったが、何となくタイミングを逃してしまった。


「四日後、お隣の共和国――人間の国なんだけど。そこで毎年恒例の収穫祭フェスタがあって。その余興の一つとして、私たち魔女が催し物を行う事になっているの。人間達に楽しんで貰うためにね」


「え? それって、魔女が人間のお祭りに参加するって事?」


 もしその話が本当なら、捕食される側の人間が、魔女を受け入れているという事になる。それは何というか、とてつもなく不気味な事に思えた。

 首を縦に振るコラリーに対し、僕はさらに質問を続けた。


「なんで? どうしてわざわざ、人間に楽しんでもらうような事をするの?」


 分からない。そのお祭りに何のメリットがあるのか。魔女にとっても、人間にとっても、得る物なんて何一つないように思える。


「知らない。フローラ先輩に聞きなよ。私は先輩達と居るのが楽しいから、着いて行ってるだけ」


 彼女は耳たぶを触りながら、顔を少しだけ逸らす。そして付け加えるように、こう呟いた。


「……まぁ、一度お祭りに参加すれば、あんたも何か分かるかもね」


「そう、かな?」


「うん、きっとね。……何たって、今回のお祭りの主役はあんたなんだから」


「……えっ?」


 僕が……主役? 思わず聞き返す。コラリーは無言のまま、青い瞳でこちらを真っ直ぐ見つめていた。

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