婚約破棄



 この日、ベルティーナは心の中でガッツポーズを取った。大きな声で「やったわー!!」と叫び踊りたいところだが、現在いる場所は婚約者の王太子の部屋。自分の前に座るのは婚約者の王太子リエトと従妹のクラリッサ。



「今……なんと仰いました?」

「聞いていなかったのか? 君との婚約破棄を命じる」

「ごめんなさいねベルティーナお姉様」



 ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、八歳の時に王国の王太子リエト=クライデンとの婚約が決まった。王国には王子が二人おり、正妃の子であるリエトと国王が侍女に手を出して産まれた異母弟アクレシオがいる。

 正妃の実家は伯爵家。元々国王には別の婚約者がいたが真実の愛を見つけたとして現在の王妃との結婚を強行した。別の婚約者というのが王国内で強い力を持つ公爵家で、アンナローロ公爵家の令嬢であるベルティーナがリエトの婚約者になったのも婚約破棄された公爵家が恨みを持つ王族への叛意を抑える為。


 お互いが出会ったのは八歳の時。

 初対面の時からベルティーナが大嫌いオーラを放つリエトには、初恋の君がいるらしい。王都から然程遠くない湖で溺れかけたリエトを助けた少女らしいが、その少女が貴族であるのは分かってもどこの家の者か分からないらしい。ずっと探し続けているリエトからしたら、政略結婚で一緒になるベルティーナが疎ましくて仕方ないのだ。

 王家特有の艶やかな癖の黒髪や王妃譲りの藤色の瞳を持つ美しい少年に初めは好印象を持ったベルティーナも、最初から冷たい態度を取り、それを貫くリエトに愛を求めるのは馬鹿だと至り好きになる事は無かった。



「クラリッサのような可愛らしさもなければ、ビアンコのような優秀さもない君にはほとほと愛想が尽きた」



 元々無かったでしょうが! と心の中は叫んでも表面は静かに……曖昧な微笑を貼り付けた。



「そうですか……陛下や王妃様はご存知なのですか?」

「ああ」

「分かりました。アンナローロ公爵家への報せは殿下がしてください。私の言葉は何一つ聞きたくない父なので」

「……本当に可愛くないな。そんなだから、公爵にも愛想を尽かされるんだ」



 ベルティーナの父、アンナローロ公爵は優秀な跡取りである兄ビアンコにしか興味がなく、何をしてもビアンコに劣るベルティーナを冷遇し続けた。母も同じ。ビアンコには沢山の愛情を注ぐのにベルティーナには未来の王妃だからと厳しく接した。そこに愛情がないと知るのは随分と早かった筈。



「殿下……わたくし幸せです……」

「私もだよクラリッサ。可愛いお前と漸く婚約出来るのだから」



 さっきからリエトの隣にいるのは従妹のクラリッサ。プラチナブロンドに大きな水色の瞳の可憐な美少女で両親やビアンコからも可愛がられている。何度目の前でクラリッサが娘だったら良かったか、と言われたか。

 既に両親や兄への情は捨てているベルティーナは、目の前で元婚約者になったリエトと従妹のクラリッサがいちゃつこうが動じない。


 リエトに額に口付けられたクラリッサが優越感に浸った目でベルティーナを見て来るも、リエトの目が自分にないのを良い事にどうでもいいと欠伸をした。唖然とするクラリッサを無視し、早く迎えが来ないかと出された紅茶を飲んだ。

 場所が王宮とあって紅茶は美味しい。王宮で働く親しい侍女に茶葉は何を使っているか訊ねるのはありなのか、なしなのか考えているとノックと同時に「失礼します」と扉が開かれた。

 現れたのは毛先に掛けて青が濃くなる銀髪の男性。仰々しく一礼するとベルティーナに微笑んだ。



「お迎えに上がりましたベルティーナお嬢様」

「ありがとう、アルジェント。では殿下、失礼しますね。どうぞお幸せに」



 最後の一言は負け惜しみでもなんでもなく、心の底から思っている言葉で。紫と金の不思議な配色の瞳が自分だけを見ている。何とも言えない嬉しさに心躍らせるベルティーナが少し表情に出ていると気付いていない。

 瞠目するリエトがすぐに憎々し気に睨む。睨まれた時だけ気付いたベルティーナは溜め息を吐きたくなるのを堪え、アルジェントの差し出した手を取って王太子の部屋を出た。

 二人無言のまま王宮を出て馬車に乗り込んだ。馬車が動くとベルティーナは勢いよくアルジェントに抱き付いた。

 難なく抱き止めたアルジェントに抱き締められ、喜びが一気に大きくなった。



「やったわ……! 遂にやったわ! 殿下から婚約破棄をされたわ!」

「良かったね~ベルティーナ」

「ほんっとよ!」



 口調を元に戻したアルジェントは間延びした声でベルティーナを呼び捨てにし、金色の頭を頬擦りした。



「両手を上げて喜びたいのを我慢した私を誉めてほしいものだわ! うんざりだったのよ」

「はは。とんだ嫌われ者だね王子は」

「私が殿下を好きだと思い込んでいたようだけれど、一度も好きになった事ないわ」



 最初の数年は何度も仲良くなろうと積極的に歩み寄る姿勢を見せたものの、顔を合わす度に近付くなオーラと放出し、見兼ねた王妃が開いたお茶の席でもずっと無言。べルティーナが何を言っても無言。同席していた王妃が何かを言えば、二言くらいで終わらせる。べルティーナが申し訳なくなるくらい王妃に謝られるので親の前だけでは愛想良くしてほしかった。



「さあ、屋敷に帰ってから勝負ね。婚約破棄の件をお父様が聞いたら思い付く限りの罵倒を貰うでしょうから、帰ったら即荷物を纏めましょう」

「俺も一緒だよねえ?」

「アルジェントも一緒よ。当たり前じゃない」



 ベルティーナの護衛兼従者を務めるアルジェントは、リエトに出会う前にベルティーナが街で拾った孤児……の筈。

 拾った当初は『拾ってください』と書かれた箱に入っていて、身形は何処かの貴族だと思わせる程の身綺麗さに平民達は気味悪がって近寄らなかった。偶然買い物を終えて外に出たべルティーナが箱に入っているアルジェントを見つけ、ペットにすると侍女に言って持ち帰った。

 幼少期から既にベルティーナへ微塵も興味が無ければ愛情もない父は給金は出さんと言い、母や兄もペットとして拾われたアルジェントを嘲笑の的にし、更にベルティーナへの嫌味を増やした。

 アルジェントは十年以上無給でベルティーナの護衛兼従者をしている。始めにべルティーナのお小遣いから給金を出すと提案するも、お金の心配は不要、衣食住さえしっかりとしていれば良いと断られた。



「俺と結婚しようよ」

「勘当されるか、問題のある貴族の後妻にされるかのどちらかだから良いわよ。ふふ、アルジェントが一緒なら何処へでも行けると思うの」

「べルティーナは一度でも王子様と結婚したいと思わなかったの?」

「殿下が最低限でも私を婚約者として尊重してくれたら、与えられた役目を果たそうとはした」

「つまり、結婚してた?」

「かもね」



 結婚したら、したらである意味地獄の生活が待っていた気がしないでもない。



「……そっかあ……良かったしなくて」



 べルティーナを抱き締めているアルジェントの紫と金の瞳がドロリと昏い色を浮かばせた……。





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