第4話

「ちょっと、疲れちゃったんで休んでるところなの」


 引きつりそうな表情を殺して何事もなかったように目を細めて見せる。良い遊び相手にでもなると思ったらしく、女の子はさらに足を進め目と鼻の先までやってきた。ハンカチを一度しまってからじっくりとあどけない顔を見た途端、「あらっ?」と懐かしい記憶をくすぐられたような気がした。



―――なんだかちょっと似てる。


「お嬢ちゃんはいくつ?」


 私の問いかけに女の子は先に紅葉のような掌をパッと広げ、「ごさい」と続けた。見知らぬ大人にもすぐ打ち解ける一面も持っているのだろう。


「そのお手々に持っているのはなぁ~に?」


 気になって尋ねるとすぐに女の子は私の目の前にそれを差し出して見せた。どうやら熊のぬいぐるみのようだ。かなり遊んだと見えてぱっと見、ぼろ雑巾のようにも見えなくはない。


「あら、可愛い熊ちゃんだこと。お名前はあるのかしら?」


 名前はまだなかったらしい。女の子は首を傾げたまま困り顔を浮かべた。そんな表情に私は話を逸らそうと口を開いた。


「お嬢ちゃん、一人で遊んでたの?」


 そう言い終えるとほぼ同時くらいにどこからか歌が聞こえ、その声はだんだんとこちらに近付いてくる。


「ゴ~ムでもないのにのびちぢみ~。た~けでもないのにふ~しが――――」


 メロディは俗にいう軍艦マーチ。しかし、その歌詞は明らかに異なり、どうリアクションするべきか悩んでしまった。そんな表情を伺うようにして年長さんくらいの男の子は女の子の近くに立った。


「おにいちゃん」と女の子は男の子に指を差した。


「そう、お兄ちゃんと一緒だったのね。なんだかおかしな歌ね」


「これうたうとね~、おとなのひとはわらうんだよ」


 半ズボンに汚れたシャツ。いかにもわんぱく盛りと言った男の子だ。ジャイアンツの帽子もだいぶくたびれている。


「おばあちゃんもおもしろい?」と私の顔を覗き込む。

「さぁ?お‥‥おばあさんには分らないわね」


 子供の目線とわかってはいても、自分で切り出すのはどうにも抵抗がある。だからついぎこちない口調になった。四十年も前なら赤面して俯くか、何のことかさっぱりと真顔でやり過ごす手もあるだろうに。


 それでも子供相手につまらぬ話をしても始まらないので、誰に教わったのかと尋ねるにとどめた。すると、「おとうさん」と男の子は即答した。


「お父さん?」


 思わず同じ台詞を声に出したが、内心ではこんな幼い子にこんな歌を吹き込むなんてろくな親じゃないと呆れていた。


「お父さんも一緒なの?」


 場合によっては釘の一つでも刺しておこう。そう思って二人の子に笑顔で訊くと、


「アサヒ~!」と女の子は覚えたての単語のように元気に言った。

「アサヒって?」


 何のことかわからず小首を傾げた途端、間髪入れず男の子が、「パ‥‥チンコ!」と言った後で楽しげに笑い出す。


 開いた口が塞がらないとはこのことかしら。そう思いつつも、このくらいの男の子は確かこういうくだらないことを面白がっていたと古い記憶を蘇らせた。


 傘を翻して雨水を貯めたり、それこそ人前で鼻くそを食べたりと、話し出したらキリがない。

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