第2話

何かが割れる音でパッと目が覚めた。

突然の覚醒に一瞬自分がどこにいるか分からなくなってしまうが、数回瞬きをして、自分の部屋のベットにいることを認識した。1回大きく深呼吸をして頭を整理する。リビングからママとパパの怒鳴り声が聞こえてきて、ああ、いつもの事だと急に冷静になった。さっき割れたのはお皿だろうか。明日の掃除が面倒だなあ。


しばらくすれば怒鳴り声も止んで、向かいの寝室のドアが閉まる音が聞こえる。ママかパパ、どちらかが眠りについたのだろう。一気に静かになって安堵のため息が漏れた。そのまま目を瞑って眠ろうとするが、中々夢の中には入れなかった。いつも通り目が冴えてしまったようだ。はあ、と今度は絶望のため息が出る。両親の喧嘩が絶えないのは小さい頃からだ。だけど、ここ最近は特に多い。こうやって怒鳴り後で目が冴えてしまうのも、いつもの事だった。昼間の心配そうな加奈子の顔を思い出したけど、高校生にもなって親の喧嘩で眠れないなんて恥ずかしくて言えっこない。小さい子供じゃないんだから。これで明日も授業中起きてられないだろうなあ、なんて暗闇でスマホの画面を滑らせながらぼんやりと考える。それでもスマホの明かりが無いとこのまま暗闇に閉じ込められてしまいそうで、さして興味もないSNSをじーっと眺めていた。




案の定、翌日の授業中も私は爆睡だった。私生活があまりにナゾすぎるで有名な古典の先生に当てられていたようだが、私は名前を呼ばれた事にすら気づかなかった。「朝霞があまりにも起きないからセンセー諦めてたよ、なんかちょっと悲しそうでウケた。」と加奈子は昼休みにケラケラと笑っていた。


ただいま、とは声に出さなかった。返事は返ってこないからだ。リビングに入って、真っ暗な部屋の電気を付ける。ママは今日20時までスーパーのパートで、パパはもっと遅くなるだろう。冷蔵庫に入っている作り置きのおかずをチンして、ご飯をよそって1人テーブルに座る。テレビは付けずにスマホを開いてイヤホンをつける。こんなふうに一人きりで夜ご飯を食べることも昔から少なくなくて、いつの間にか何も感じなくなってしまっていた。お風呂から出ればちょうどママが帰ってきていて、少しだけ会話を交わして部屋に籠る。ベットに寝そべっていれば眠気が襲ってきて、意識を手放してしまった。




ああ、また、だ。


目を覚ませば、深夜1時過ぎ。大体いつもの時間。そういえば髪の毛を乾かさないまま寝てしまったことを思い出して、憂鬱な気持ちになる。案の定酷い寝癖がついていた。むしろ芸術的だ。


今日は2人の喧嘩が比較的短くて、ほっと胸を撫で下ろした。寝そべったまま電気も付けずにスマホをいじる。少し喉が渇いたからリビングに水を飲みに行きたいけど、鉢合わせたらやだなあ、なんて。自分の家なのに、自分の両親なのに、変なの。思わず自虐的な笑いが零れた。笑ってしまって、そしてとても悲しくなった。こういう日も、たまにある。暗くて静かな夜がこわくてたまらない夜だ。イヤホンの音量を上げてギュッと目を瞑る。大丈夫、大丈夫だ。わたしは、大丈夫だ。そう言い聞かせて拳を握りしめる。


『夜中の2時に、部屋は真っ暗にして、ひとりで。』


不意に、加奈子の話がよみがえった。いたずらっ子のように笑った彼女の表情が鮮明に浮かんだと同時に、私の指は動いていた。


『向こうの世界に、繋がるらしいよ。』


暗闇の中で、指を滑らした。さん、さん、さん。


プルル、プルル。


5回だけ、鳴らしてみよう。それで繋がらなかったらすぐ切ろう。少しの期待と、でも心の底で繋がるなと願っても自分がいた。あと2回、あと1回。


カチャ。


「はい、こちらヒツジ電話番です。」


聞こえて来たのは、男の人とも女の人とも判断つかない中世的な声だった。本当に繋がってしまったことに驚いて、声が出なかった。数秒沈黙が落ちて、小さな呼吸音が聞こえる。


「あれ、もっしもーし。」

「・・・あ、えっと。」


かろうじて絞り出した声は情けないくらい掠れていた。本当に繋がっちゃうんだ、ていうかこの人なんて言った?ヒツジデンワバン?なにそれ?私の理解が追いつく前に、電話口の向こうの人がまた口を開く。


「あ、ほんとに繋がっちゃうんだ〜って思った?繋がっちゃうんだよねえほんとに、びっくりでしょ。」

「えーと。」

「ねえねえ今何してるの?ていうか何歳?この番号どこで聞いたわけ?」


ルンルンとした口調で話し続ける彼?(仮)は矢継ぎ早に質問を浴びせる。それに私が答える前に、また、あ!と大きな声を出した。


「この電話はね、なんでも話していいんだよ。」

「なんでも?」

「そう。なんかさよくあるじゃん。いつでも電話していいよー、みたいなやつ。ボクそういうの大嫌いだけど。」

「大っ嫌いなんだ。ハッキリ言うんだ。」


思わずつっこんでしまった私に彼は笑う。


「ねえ、名前は?あ、もちろん本名じゃなくていいけど。」

「・・・あさか。」


咄嗟に名前が思いつかなくて、結局本名を答えた。

私の名前を繰り返して、どういう漢字?なんて聞いてくる。

朝昼夜の朝に、霞むっていう字。何十回と繰り返したことのある説明に、彼はへえ、と


「可愛い名前だね。」

「・・・ありがとう。」


なんだか照れ臭くなってしまった。そんな私に気づいているのかいないのか、いや別に関係ないのか、ヒツジ(名前も性別も分からないので勝手にそう呼ぶことにした)はペラペラと話し続ける。

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