#13 「魔法少女は”らしく”ない」

「……なるほど。勉強のために演劇を、ですか。それで──何か収穫は得られましたか?」


カラン、と。

詰問にも似た空気感から逃れるようにかき回した氷が澄んだ音を立てる。

映画館で鉢合わせした衿華は、明らかに”魔法少女”にご執心な──《ヴィエルジュ》での衿華だった。

だからこそ、だろうか。一瞬赤面するほどの防御力の低さ。

学校とは全く様子が違う衿華に、眉をひそめた透羽が何か聞こうとする前に。


『……そういえば、昨日は”演劇”について、さほど打ち合わせをしていませんでしたね』


打ち合わせと称して、透羽のついでに遥もろともカフェに引きずり込まれてしまったのだ。


「え、ええ……それなり、には……」


先程の”魔法少女”モードはなりを潜めていて、遥の前にいたのは完全に生徒会長としての衿華だった。

誤魔化すように口にしたコーヒーは砂糖もミルクも忘れてしまったせいであまりにも苦すぎた。

衿華が奢ってくれたものではあったけれど、重々しい空気感も相まって二倍苦々しい。


「心構えとしては、とっても……そういえば、衿華先輩こそ、何かご用事が……?」


昨日とは一転、たじたじとしたまま、透羽は無理やり話題を振る。


「……通りかかっただけです」


一瞬、妙な間を置いて衿華は答えた。


「……ところで、昨日は具体的な話をあまり聞いていませんでしたね。一番重要なところだと……演目は、決まっているのですか?」


『キラピュア』ポスターの前にいたことを逸らすように、話題が移っていく。

ごく僅かに表面に出てしまった”魔法少女”モードの衿華が抱えている防御力の低さを補うように、生徒会長として。

普段よりも数倍増しの威圧感を、彼女は発していた。


「……”シンデレラ”、です」


それは、先程見た映画で主人公が演じていたものだった。

なんの個性もなかった少女が、まるで魔法に当てられたかのように変わっていくさま──確かに、映画のテーマとは合っていたように思う。


「なるほど。敢えて皆が知る題材を選ぶ、ということですか」


コーヒーを一口啜ると、衿華は嘆息した。

砂糖もミルクも入れていない状態──ブラックだったにも関わらず、一切顔をしかめることはない。

”生徒会長”としての威厳を保ったまま、彼女は問う。


「──けれど、良いのですか? 過去にも本校うちの生徒会は”シンデレラ”を演じています。その上、皆が知っているということは、その分比較対象が増える、ということ──茨の道であることは、わかりますね?」

「……当然、理解してますっ」


震える声音、合わない視線。

俯いたまま、透羽は答えた。


「生徒会の本分は文化祭にて演劇を行うことでは当然ありませんが。それでも、その名を掲げている以上、それ相応の責任は伴っています。無論、私達三年生も協力はしますが……昨日、あなたは言いました」


ミーティングを遮ってまで挙げられた手。

難しいと知っていてもなお、演ると宣言した堂々たる姿勢。

それをどこかに落としてきたかのように、真正面から自分に対峙しないを咎めるような口調で、衿華は口にする。


「”わたしが来年、あなたの座を受け継ぐ”──周囲の人を巻き込んで、自由に過ごせる多くの時間を犠牲にして──その”変化”が、あなたに飲み込めますか?」


返答は、昨日のようにすぐには帰ってこなかった。

首肯せず、かと言って首を振って断ずることもなく。

ただ、何かを紡ごうと唇だけを震わせて、透羽は俯いていた。


酷く、その姿が痛々しかった。

先程、映画館で笑顔を見せた透羽の姿が遥に重なるものだったとすれば。

きっと、これだって重なるものだったのだろう。

一人、立ちはだかった大きな壁に震えている。


失敗に落ち込んでいた衿華も、迷子に泣きじゃくった遥自身も、ともすれば、こうして俯く透羽も。

とか、とか、そうやって括られる以前に──。


『──ねえ、手、取ってよ』


”魔法少女”が手を差し伸べるべき相手だった。


「──僕が、一緒に飲み込みます」


呆気に取られたように、衿華が目を丸くしたのは。ちょうど、透羽が顔を上げたのと同時だった。


「……なら、もう一つだけ。──後悔、しませんか」


誰に問うともないような口調だった。

ぽつりと、つい溢してしまったかのような儚さを孕んだまま。

言葉になった音は、ふわりと流れていく。


「……したく、ないんです」


それを捉えたのは、透羽だった。

肯定でも、否定でもなく、したくない、と。


「……それは、わたしにとって必要なことで──だから、やらないといけなくて。でも、後悔する結末だけは、絶対に避けてみせます」


彼女は首を横に振ってみせた。


「……尋問まがいのことをしてしまって、ごめんなさい」


その響きが、もう消えてしまった頃。

長い間を置いて、衿華は小さく頭を下げた。


「でも、知りたかったのです。”私のあとを継いで生徒会長になる”──そんな小さいことは、あなたの目標ではないのでしょう? ……?」


ちら、ちら、と透羽の視線が泳ぐ。困った時に彼女がよくやる動作だ。


「……図星だった、みたいですね」


そして、当の”生徒会長”はあっさりとそれを見破ってしまった。


「今日は急かしてしまいましたが、いつかゆっくりと話し合える日を、楽しみにしています」


立ち去る間際に、ひらりと伝票を持ち上げると、


「会計は、私が持ちます。それでは、二人共。まだまだ先は長いですが──期待、していますよ?」


得意げに、衿華は笑ってみせた。”生徒会長モード”の彼女には珍しい茶目っ気たっぷりなものだ。


反射的に遥が頷いた隣で。

それでも、透羽はまだ所在なさげに──瞳を彷徨わせていた。



◇ ◇ ◇


◇ ◇




「……結局さ、透羽は何がしたかったの?」


衿華がいなくなって弛緩した空気。

ようやくミルクも砂糖もたっぷりと投入できたコーヒーを一息に飲んで、遥は聞いてみることにした。


「……何が、したいんだろ」


自信満々に言い切ってみせた時とも、ましてやさっきのように衿華を前に切れ切れながらも言葉を紡いでいたときとも違う。

あっさりと、自嘲げに透羽の唇からそんな言葉が漏れた。


「きっとね、わたしは自分になりたいの」

自分になるって……変わりたい、とか……?」


もしも、その言葉が額面通りに受け取って良いものならば、既に彼女は何度もそんな展開を迎えて、そして打ち破ってきていた。少なくとも、遥はそう思っている。

初めて会った時には、表情を強張らせて、彼女は家から出ないまま、閉じこもっていた。

そんな引っ込み思案だった透羽が今となっては生徒会役員で。それに、大きな企画を動かそうとしている。

それは、間違いなく変化と呼べるものだった。


──だというのに。


「……多分、そうみたい」


何重にも彼女は言葉を濁す。

その顔に張り付いた笑顔は、笑顔、と呼ぶには先程映画館で見たものとかけ離れすぎていて。

むしろ、初めて会った時と同じ。こわばっているように思えた。


「……ありがとね、遥。庇ってくれて。おかげで、頑張れそう」


普段より高いトーン。明るすぎるぐらいの口調で透羽はお礼を言う。

手を差し伸べた。頑張れる、と。また一人の女の子が前を向いた。


──本当に、そうだったのだろうか。


遥の胸中に残るしこり、それを確かめるための言葉を探して。

それでも、手段は見つからず。


「”シンデレラ”、大好きなんだ。遥はどんな役が似合うんだろ? かぼちゃの馬車とか、木とか?」

「……なんで端役ばかりなんだよ。というか、せめて人間がいいんだけど」

「……冗談だって、そんなに気落ちしないでよ。王子様とか、似合うんじゃない? ……あ、違うかな」


いつもより口数多めに、口にしては否定して、透羽はほぼ一人、話し続ける。

上辺だけを取り繕った会話が続く。


「──案外、シンデレラを”変身”させる”魔法使い”とかかも、ね」


はにかみながら、透羽がそう言った時。

それと同時に、遥のポケットに入っていたスマホが震えた。

電話だ。それも、マキからの。


『今日シフト入れてた”魔法少女”が結構休んじゃってて危ないの! 今日来れる!?』


遥が電話に出た途端、鼓膜を突いたのは喧騒の中で捲し立てるマキの声だった。

修羅場だ、と。声が聞き取りづらくても、それはわかった。


「……一応行けますけど」

『そうっ!? ありがとっ! 給料弾むわねっ!』


プツン、と。

先程までの騒がしさが嘘だったかのように、一気に静まり返る。


「誰から?」

「……バイト先から。忙しいんだって、行くことになった」

「……今日も、なんだ。遥のバイト先が忙しいの」


呆れたように呟くと、最後に透羽は念を押す。


「くれぐれも無理は禁物、だからね?」


努めて、いつも通り。

駅に向かって駆け出す間際、今の透羽はそうだ、と。

遥が覚えた印象は、そんなところだった。



◆ ◆ ◆



「ねえっ! そのポシェット、さ」


それが、引っ越してから初めて同世代の相手にかけられた言葉だった。

会話のタネになったのは、少女が下げていた”魔法少女”のマスコットキャラクターがあしらわれたポシェット。


自分と同じぐらいか、むしろ低いようにも思える背丈。

オドオドとした、振り絞るような声。

パッチリとした瞳に長いまつ毛はとても女の子らしい。


「……あなたも、好きなの?」

「お姉ちゃんと一緒に見てて、それで好きになって──っ!」


見た目から察するに、同性で、同年代。仲良くなりたかった。


「そう、なんだ。……だったら」


それでも、一歩踏み出せず。

変われないまま、少女が口にできなかった言葉は──。


「──今度、ぼくとあそばない……?」


振り絞るようにして、目の前の相手が代弁してしまった。


真白遥。


、ではなかったけれど。彼が少女の──透羽の同年代の友人になるまで、そう時間はかからなかった。

出会ったきっかけも親同士が懇意にしていたからということもあり、必然、互いの家に出入りし、時には一緒に外に出かけて。


母親はまるで双子みたいだ、と笑った。

それだけ足並み揃えて、二人は成長していったのだ。


だけれど、人がそう言うならいざ知らず。

透羽に言わせてみれば、足並みなんて初めから揃ってはいなかった。

何せ、誘ってきたのも話しかけてきたのも、遥の方だったのだから。


最初から、に手を引かれていたのだ。



◆ ◆ ◆



それでも、歩調はどこかで狂いだしていた。

身長が伸びていく透羽に対して、中々遥は変わらずに。

変化はいつだって、誰かと比べて浮き彫りになるものだ。


少しだらしないところがある遥を気遣う。

気づけば、逆転したように──透羽が手を引く側になっていた。


──わたしは、”変わった”。


それに気が付いたのは、だった”魔法少女”の映画を遥と観に行った時だった。

上映が終わって、照明が戻った時、隣の遥は頬を紅潮させて、満面の笑みを浮かべていて。

それとは正反対に、どこかつまらないと感じる自分がいた。


小学校では学級委員長に、中学校では生徒会役員に、高校では生徒会副会長に。

確実にステップアップしていって、それでも元々の透羽は果たして積極的に変化を望む人間だっただろうか。


──”演劇”が、したいんですっ!


昨日、久々に足がすくんだ。

張り詰めて固定された空気を打ち破ることとか、近年の流れを書き換えてしまうことに、とか。

けれど、一番怖かったのは生徒会長と──衿華と対峙した時だった。


たった一人の相手に仲良くなりたいと伝えることすら、昔は怖かったのだ。

それが、ずっと大きな相手になっていた。

どれだけ取り繕っても、中身までは変わらない。


準備を重ねて台詞は用意してきた。虚勢を張って、大げさに立ち回って。その時は上手く行っていたかもしれない。

けれど、その場限りで。間違いなく今日の透羽は無力だった。


”変わる”のは、怖い。でも、遥の手を引く側に自分がなった時、その時に覚えた優越感が忘れられない。

それに、ずっと変わらないままでいるのも──怖い。

一度、足並み揃わずに置いていかれそうになった身だ。だからこそ、ポツンと立ち尽くしているのも怖い。変わらなきゃ、いけない。


──でも、それじゃ、変わりたいと願った……最初のわたしはどこへ……?


わからない。

わからない、から。

せめて、ハジマリに──に、その面影を求めた。


”魔法少女”──じゃなくて。もっと、それ以前に大切なもの。


「……なに、これ」


──《魔法少女コンセプトカフェ・ヴィエルジュピリオド》


遥が入っていった寂れたビル、階段を辿った先にあった一つのカフェ。

バイトを始めたと遥が口にしてから、尚更歩調が乱れたように感じていたから。

たまたま今日、できた──その原因を探るために、遥の跡を付けた先にあったものだった。


「……遥は、変わらないんだ」


窓越しに見える、白髪の”魔法少女”。

フリルがあしらわれた可愛らしい服に、キビキビとした動作。

普段とは全く印象が異なっていたけれど──間違いなく、その顔には遥の面影が残っていた。


──それでも。



「……、ないよ」



一人でに漏れた声は誰に向けられたものだったか。


下り階段に足をかけた時、透羽はその一歩に躓いてしまった。

歩調が、乱れていた。

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