#8 「魔法少女の宣戦布告」

「ヴィエルジュノワール——ッ! 貴女で、違いありませんわね——ッ!?」


《魔法少女総選挙・夏の陣》に向けた、魔法少女二人による共闘体制が組まれて二日。

バイト明け、ロッカールームに入ってきた遥が真っ先に遭遇したのは、まさに一触即発と言わんばかりの光景だった。


「奪っただの——感情的なことばかりで、何の話をしているのか正直理解しかねます。まずはそれを説明してください」

「……まだ、わからない、と……?」

「ええ。なんの自覚もございません」


生徒会モードの纏っている雰囲気も、語調も明らかに強い衿華。

そして、そんな彼女に負けず劣らず食ってかかる一人の魔法少女——結えられた青いポニーテール、全体的に濃い青で構成されたパーツの衣装を着込んだ勝気な少女——“ヴィエルジュシアン”は互いに火花を散らしつつ、激しい言い争いを繰り広げていた。


「ほ、ほらっ、すずちゃん、落ち着いてっ! そもそも、常連さんを誰が担当するか、なんて。ここのルールじゃ決まってないんだからっ!」

「紗ではなく、ヴィエルジュシアンですっ! それに——明記されていないだけで、暗黙の了解のようなものでしょう。それをノワール……彼女は——ッ」


ついでにもう一人、そんな“ヴィエルジュシアン“こと蒼井あおい すずを諭すジャージ姿の魔法少女——杏は、この間のマキに絡みつく面倒な気質から一点、この場を諫めるために必死なようだった。


——帰りたい。


そんな衝動が真っ先に遥を襲う。

面倒な人間が二人、そもそも、どうしてこんな状況になっているのかわからない。首を突っ込んだら厄介な目に遭うのは確実だ。

とはいっても、断片的に話を聞いている限りでは衿華が何かをしでかしてしまったらしいことは明らかで。

流石に放っておくわけにはいかなかった。


「……あの、紗さん。何が——」

「ですから、今のわたくしはヴィエルジュシアンですッ! ——ブラン、まずはそこを徹底させるべきでは?」

「わ、わかりましたから……シアンさん。まず、何があったか教えていただけませんか? ボクは、衿華さ——ノワールの先輩ですので、何か不都合が生じたのなら、こちらにも非はありますし……」


面倒臭い。

予想していた通り、衿華に向けられていたものと大差ない剥き出しの敵意で鈴は遥に詰め寄ってきた。

というか、まず呼び方からだ。紗の徹底的に“魔法少女”でいようとする姿勢、そのあまりの剣幕に思わず遥はたじろいでしまう。


「そうだよっ! 衿華ちゃんにだって紗ちゃんが言いたいこと、ちゃんと伝わってないと思うし——ちゃんとコミュニケーションしなきゃっ!」


その時、杏が助け舟を出した。


「……お姉様がそうおっしゃるのなら、話すのもやぶさかではありませんが……」


流石に先輩である杏には頭が上がらないのか、相変わらず高慢な口調ながらも、ようやく紗は折れた。


「うん。それじゃあ、一回座ろ? 落ち着いて話をするのが一番、だし」


その道すがら、杏は不意に遥の方へ顔を寄せると、


「……大変でしょ? 教育係をやる方も」


苦笑しながら、こそっとそう耳打ちした。



◇ ◇ ◇


◇ ◇




「……つまるところ、“ヴィエルジュノワール“——私が最近、お客様を担当しているのが原因である、と……?」

「ええ。推しがいるお客様を担当するのは、その“推し魔法少女“であるべき。常識でしてよ」


原因を把握するためか、反芻する衿華に対して。

勝ち誇ったような口調で紗は言い放った。


「……あのね、紗ちゃん。それはそうしなさいってことなの。それに紗ちゃん、この間はちょうど他のお客様担当してたでしょ?」

「前回はそうだったかもしれませんが、今日はちょうど私の手が空いている時でした! ……だというのに、ノワールが先にッ!」

「……落ち着いて。常識って言っても明文化はされてないって紗ちゃんも知ってるじゃない。それに、そもそも衿華ちゃんだってこんなルールがあったって知らなかったんでしょ?」


こくり、と衿華が頷く。

ひたすら仲裁する杏の言葉に、一切遥が付け入る隙はなく。


「……だから、今回はこれでおしまいにしよう? 衿華ちゃんは覚えればよし、紗ちゃんも自分を推してくれるお客様が来てくれる時間は覚えておくべきだよ」


ささっと、杏は話をまとめてしまった。


「……わかりました、杏さん。紗さんも、次からは気をつけますので。今回はご容赦ください」


そして、衿華が端的に口にした謝罪の言葉。

漂う解決ムードに紗も流されそうになっている。

思いの外あっさりと事が収まるのかと、遥が一息吐いた時。


「……まあ、その人の推しであり続けることができれば一番、なんだけどね」


ぽつり、と。杏が口にした一言。

それはこの上なくあっさりと押し出されたもので。ともすれば、意識していなければ拾い上げることすら難しいもので。

だけれど、ただ一人。明確に敵意を取り戻した“魔法少女“がいた。


「……ええ。確かに今回は互いに非はなかった。食ってかかったことも謝ります。ですが……それとこれとは話は別。ノワール、貴女は明日からも機会があればわたくしのお客様を持っていってしまうのでしょう?」


杏が慌てて口を塞いだ時にはもう遅く、紗は挑発的にそう言った。

それに対して、衿華は迷ったように僅かに首を傾げて、それでも頷いた。


「お客様をお待たせするわけにはいきませんし——担当が貴女でなければ嫌だとお客様が指摘しないのであれば問題などない、と。私はそう思います。そもそも、『初々しさは残っているがよくやった』と褒めてもくださいましたし」


いつになく強気な衿華の態度を前に、遥は気がついた。

今互いに取り合いをしている客はきっと、衿華がバイト初日から給仕をしている相手だったのだ。

その客に褒められて嬉しかった、と。一昨日、衿華はそう口にしていた。

だとすれば、いくら最初は紗を推していた客とはいえ、手放したくないと考えるのは自然だ。


「お客様がものだと、断定すること自体おこがましいのでは?」


そして、全ては杏の言う通り。ルールが明文化されていない以上、自分が時間的制約があろうが彼女じゃなければ嫌だ、と客にそう言わしめるほどの魅力を持った“魔法少女”であればいいのだ。


「……わかりました。貴女も貴女とて、随分と強気ですね。でしたら、力づくでも叩き潰してやりたくなりますわ」


けれど、それがどれだけ難しいことか。

こちらの気持ちとは裏腹、客はずっと移り気だ。


「とはいえ、魔法少女たるもの、陰湿な方法に手を染めたり、暴力を行使するのは言語道断。……よって、総選挙における得票数で貴女と競い合うことを望みます」


だからこそ、ずっと真っ向から。魅力こそ正義だと。

紗ははっきりと言い放った。


「ヴィエルジュノワール——わたくしと、勝負なさいッ!」



◇ ◇ ◇


◇ ◇




「……ごめんね、遥くん。余計なこと言っちゃって」


衿華と紗、ずっと剣呑な雰囲気を発していた二人を追い返してしばらく。

遥も杏も呆けたようにベンチに座り込んでいて。どちらともなく帰る支度をしようとした時、杏は呟いた。


「……僕だって、何もできませんでしたから。むしろ、今日はありがとうございました」


最後、二人がもうひと揉めする直接の原因を作ってしまったのは確かに杏だったかもしれない。

けれど、それまでに遥が何もできなかったのは確かだったのだ。

明文化されておらずとも衿華にルールをきちんと伝えておけば、とか。もっと早くから騒動を鎮める手助けができていれば、とか。考えれば考えるほど後悔は尽きない。

今日の遥は、教育係として無力だったのだ。


「ね、遥くん。あたしはどんな先輩だった?」

「杏先輩が——ですか?」


不意に杏が口にした質問に、遥は首を傾げた。

今、遥が衿華の教育係をしていたように、遥が初めてヴィエルジュにバイトとして入った時、教育係を担当していたのは杏だったのだ。


「どうって……はつらつ可愛い自分を持ってて、それでも、結構教えるべきことは教えてくれて……」


思い返してもみれば、杏は先輩としてやるべきことはきちんとやっていた。

明文化されていないルールだって教えてくれたし、他の魔法少女と遥が揉めないように時には潤滑剤として、会話の手助けまでしてくれていた気がする。

そう考えると、まだ遥はやりきれていなかったのではないか。


「……正直、立派でした」

「……だったら、よかったよ。あたし、足りないところばかりだなーって思ってたから」


それでも、返ってきた言葉は正反対なものだった。


「つい余計なことは言っちゃうし、はっきり人に自分の意思を伝えられない。ちょっとぼかしちゃう。つぐつぐ、仲裁役としては不適任だね?」

「……仕方なかったですよ。今日は二人とも相当揉めてましたし。紗さんだって、ずっと自分のペースでしたし……付け入る隙なんかなかったです」

「あはは……本当だよ。二人とも、相容れなさそうだもんね。衿華ちゃんも紗ちゃんも頑固で——だから、ビシっと誰かしら言わなきゃいけないんだろうけど」


力なく漏らしてしまった声を誤魔化すように、杏は薄く微笑んでみせた。


「手がかかるのかもしれないけど——真っ向から否定することはできないの。それが、とても嫌なことだって知ってるから。あたしもね、そういう女の子だし」


けれど、そう言い切ってしまったのが清々しかったのか。

次に湛えられた表情は晴々としたものだった。


だからって、ちっとも完璧じゃないし、下手すればその肩書きが身の丈に合わないことだってあるよ? それでも、思っちゃうんだもの。できることなら、みんながやりたいって思ってること、叶えてあげたいって。それが、あたしの理想なんだ。どっちづかずで嫌な子、かもしれないけど……」


として、教育係としての肩書きを持ってしまった以上、確かな責任は負っている。

そして、責任は十分身の丈にあっている——と言うよりも、それしか負えない。

だと言うのに、理想は自分の身じゃ負えないぐらいずっと高い。


「あたし、聞いたよ。総選挙で勝ちたい衿華ちゃんを遥くんがサポートするんだって」

「……不相応、ですかね」

「ううん、そんなことないよ。そんなこと言ってたら、何もできなくなっちゃうし。保身に走る先輩を否定するわけじゃないけど、そうしてても何も生まれない。いっそのこと、やるだけやって後悔できた方がずっとマシなんだと思う。少なくとも、あたしはそう思ってたいの」


だからこそ、それに蓋をするように。

翻って、それでもいいからと肯定するように。



「だから、自信は必須要項っ! 臆病な自分の背中、蹴り飛ばしてでも進まなきゃ。これ、自信がないからのご忠言だから。先人の後悔から学ぶことは大事だぞ〜?」



ビシッと遥を指さすと、杏は高らかに宣言した。


「……わかり、ました。胸に刻みます」

「おー、素直な遥くんはレアだー! ──なんて。あまりからかいすぎるのも良くないね。あたしも、今はとして紗ちゃんを全力でサポートするから。それじゃ、明日からの総選挙、お互い全力で楽しもう?」



こうして、共闘体制が組まれて数日後、外では雨が降り出した五月末。


その裏でから発された宣戦布告は、確かな熱を持って遥の胸に灯っていた。

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