6.相国の立場

「何か? 李儒よ」


 董卓は、昼餉の前に時間を求め、面会にやってきた李儒を相手に聞き質す。


「はい、董太師。あの、貂蝉についてですが……」

「またその話か。貂蝉は呂布にはやらぬぞ?」

「それは大変よろしゅうございますが……。私がそれ以上に望むのは。あの娘、王允に突き返すわけには参りませぬか?」


 李儒には、実は。貂蝉のダブルスタンダードな様子は、よくよくわかっている。

 董卓には呂布を嫌いと言い、呂布には自分は貴方を慕っていると。


 そのような事を言っているという動かぬ情報が、李儒の元には揃っているのだ。

 だが、それを董卓の前に陳列するわけにはいかない。そんな事を言ったら、最近とみに距離の近くなってきた、董卓と王允の間に。

 嫉妬や讒言を挟んで、高官同士の間に不仲を醸しだす佞臣と自分は呼ばれかねない。であるが、あの貂蝉がまき散らす害は、看過できるものではない。

 そこまで考えた李儒の、消極策が。

 貂蝉を王允のもとに戻すことであった。


「何を言うておるか、李儒よ。折角の王允殿の心尽くしだぞ? あの貂蝉をこの儂に献じてくれたのは」

「……よくわかりますが。それでも、あの貂蝉は。あの娘がいると、呂布が落ち着きませぬ」

「あの馬鹿者め。もし、貂蝉が好いているのなら、婚姻の儀を儂の手で行ってもよいかと思ったのだが。呂布の貂蝉に対する想いは横恋慕だぞ」


(ちっ……! 貂蝉、あの毒婦めっ!! うまうまと董太師に取り入り。寵愛を受けて、董太師に自分に対する印象を刷り込みおって……! 董太師がそう思っている以上、それは事実とは異なるとなど。説こうものなら幾ら腹心の座にあるとはいえ、私の首も飛ぶことになるわっ!!)


 そう、言えたものではないのだ。いかに李儒が自分の頭脳に自信を持っていても、また情報網が活きていても。いやそれだけに、自分の主に愚直に事実を告げることが、保身に役に立つかと言えば。必ずしもそうではないことを思わざるを得ない。主の歓心を買うような、事実を捻じ曲げた解釈も、時には必要になる。それが分かっている李儒には、この前の貂蝉と呂布との会話に、自分が立ち会っていて。あわや貂蝉が自害するところであったなどとは、董卓には決して話せることではないのであった。


   * * *


(……菜粥、旨っ。この黒酢がまた……)

(……水餃子、うめー。こっちの黒酢には砂糖がちょっと。流石に贅沢ね……)


 もくもくもく。董卓が見ている前で、昼餉を食べる私。

 この相国府の飯は、いっつも旨い。食材のレベルが、あの贅沢な王允様の屋敷に比べてすら、まだ高いのだ。


「貂蝉。生ハムを喰うか?」


 ニコニコ顔で、自分の分の生ハムサラダから生ハムを取り分ける董卓。


「あん♡ 頂きます」


 うむ。ウソの♡ではないよ。向かっている先が、董卓でなく生ハムなだけで。


 もぐもぐもぐ。はぁー、うめっ!!

 天女のこの貂蝉様から見ても、この相国府の食事は素晴らしい。五つ星あげちゃう♡


「幸せですわ、貂蝉は♡ 天下人たる、董卓様の寵愛を受け。毎日贅沢な酒食に、華美な衣装。また、書画琴舞の能も、董卓様が愛でてくださいます♡ その上に、貴方様のくださる、夜の官能ときたら……♡ あ、いやだ。わたくしったら、はしたない……。お恥ずかしゅうございます♡」


 うん、自分で言ってて。強烈に気色悪いけど。

 オッサンはこういうセリフが好きだと思われるので、かましてやったら。


「わはははは!! では、まだ昼間だが!! ベッドにダイブすることとするか!!」


 わぁっ!! 性欲が兆したのか、そのデカい体のふっとい腕で。

 私を抱き上げて、寝室の方に運ぶ董卓!


 待った待った、まだ生ハム残ってるのに~!!


   * * *


「呂将軍……? どうなされた?」


 さて、長安の高級住宅地の街辻で。

 赤兎馬に乗っている呂布を見かけた、王允は声をかけた。


「……王允、殿か? このようなところで何を? 王允殿の屋敷とは、方向が違うような気がいたすが?」


 呂布は、王允がなぜこんなところにいるのかと。問いただす。


「はははは。ここらには、私の別宅がありましてな。気分の入れ替えをしたいときに使う別宅ですが。今宵はそこで過ごそうかと思いましてな」

「……そうであられたか……」

「呂将軍。これも何かの縁でしょう。今宵は我が別宅にお泊り下されぬか? この王允、呂布殿の武勇伝を聞き、血を滾らせる愉しみを味わいとうございます」

「……別に構わぬが。夜にはこれと言ってやることもなし」

「おや? 呂将軍ともあろうお方が。夜に女性を近づけぬ日などおありですのかな?」

「王允どの。それは軽口というものだ。あの貂蝉、王允殿の娘も同然のあの娘。あの娘が、董卓様に取り上げられて以来。俺は女というものに触れられぬのだ……」

「……おいたわしい。そうであられましたか。全くもって、あの董閣下のなされようは、獣か鬼畜か。自分の義理の息子の嫁となるべき、あの貂蝉を。いかに気に入ったとはいえ、お取り上げになるとは……。まぁ、まぁ。とりあえずは我が屋敷に来たれませ」

「うむ……」


 しょぼんと、情けなく。うなだれた様子で王允の後についてくる呂布。

 王允は、少し拙いなと思うのであった。


(このような落ち込んだ状態で……。あの衰えを知らぬ董卓を討てるのか? この呂布は。いかんな、少し元気にせねば……)


 王允はそう思い。駒を並べて進む呂布に声をかけた。


「別宅には広い湯殿がありましてな。本宅のある地域は、土地が高い上に古い区画でありますゆえ、そのようなものは持てませんでしたが。今宵は湯につかり、存分に英気を養われ給え」

「うむ……。感謝するぞ、王允殿」


 そういう呂布だが、やはり何やら元気がない。


(幾ら貂蝉が美貌才気あるとはいえ、あの娘もただの女子には違いなかろうに……。それが手に入らぬごときでこうなるとは。大丈夫の代表たるような世評があれど、この呂布。実は女々しい男なのではないか……?)


 表面には好々爺の毒のない笑顔を貼り付けつつ。

 王允はそのような失礼なことを、呂布に対して思うのであった。


   * * *


「雉のタタキに、清酒にござる。塩を振り、新生姜も齧って食べられよ、呂布殿。風呂上がりの爽やかさに、合う酒肴にござるぞ」


 さて、月の昇る夜である。

 別宅の縁側から、月を望み。庭木の松の香りもまた良い様子。


 そんな中で、王允は酒肴を呂布に勧めた。


「いや……、な。湯殿というものはいいものだな、王允殿。我らは風呂と言ったら、庭に大盥を置いて、湯をかぶり。手拭いで身をこすって垢を落とす程度。湯にじっくり浸かって、体を温めると。まるで生き返るようだ」

「ははは……。喜んでもらえてよろしゅうございました」

「それで、武勇伝を聞きたいと申されたな? どこら辺が聞きたいのかな?」

「そうですな。やはり、汜水関、虎牢関。あのあたりの戦いでしょうか……」

「王允殿、それは聞くものではない。この呂布は活躍したものの、その二つの戦いは、我が官軍の負け戦だ」

「そうでございますか……」

「うむ、別の話にしてくれ」

「では、五原郡より北にいる、北狄との戦いのお話などは……」

「良かろう。話そうではないか。元々は、俺は。実の父が死んだのが若かったので、養子縁組された、義理の父丁原に付き従って。北の大地を駆け回っておったのだが……」


 呂布は、何やら。久しぶりに北方の空気を思い出したのか、生き生きとした表情になって、苦戦やら、快勝やら。また難事にあたって工夫をした話などを。目を輝かせて王允の前で話した。


 話の最中で、王允は。

 着物の袖で、そっと目頭を抑え、涙をにじませる様態を作るのであった。


「痛ましい、呂布将軍。もともとは、そのような武勇に満ち、誇り高き武将であった貴方が。いまは、あの逆賊董卓の下で、鬱々とした日々を送っているとは……」

「ぎゃ? 逆賊董卓?!」


 突然の、王允の放言に。呂布はぎょっとした顔をした!!

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