02.透明

 光が煌々と降り注ぐ。ここでなければ見れないような眩い光を一身に受けているのは、透明感のある緑の葉っぱ達――この部屋で育てているのはレタスだ。

 水耕栽培の棚は、足下近くから天井近くまで、部屋いっぱいに所狭しと並んでいて、人ひとりが通れる通路というよりは隙間が、一応確保されている。

 部屋の中は静かだった、換気扇の回る音と、水が流れる音。光量や室温、水の量などの管理はすべてAIがやっている。天井を始め、室内には数カ所にAIカメラが設置されていて、生育が遅いものや、滅多にないことだが病気になったものを見つけると、端末を通して管理する人間に通知が届くようになっている。

 栽培はほとんどが機械任せなので、栽培室に人間が入るのは、排除すべきと通知があった苗を撤去する時か、収穫の時くらいだ。

「はあ、どうせなら収穫も機械がやってくれりゃいいのに」

 愚痴に反応してくれる相手は何処にもいない。カメラに声が届いていれば、雑音として処理されるだけだろう。

 民間に払い下げられた古ぼけた野菜工場には、収穫ロボットなんて高嶺の花だ。資源が潤沢ではない地下都市では、機械でできたロボットは高級品なのだ。人を雇う方が安くつく。

 そういうわけで、AIが収穫時期だと知らせてきた栽培室に入り、こうして手作業で一つずつ収穫していく。

 新鮮な緑色の葉っぱは生き生きとしていて、瑞々しい。いい出来だ。

「うまそうに育ってるじゃん」

 一人で五つの栽培室を担当しているので、毎日どこかの部屋で収穫したり生長不良の野菜を除去したりしている。同僚はいるが、作業はいつも一人なので、いつの間にか独り言が多くなった。

「どんな味がするのかねえ、おまえらは……」

 腰を屈め、低い位置のレタスを収穫する。

 この工場で生産される野菜のほとんどは中層以下の階層に出荷されるので、毎日嫌になるほど見ている自社工場の野菜達を、口にしたことはない。

 生鮮ものは手間暇がかかり場所も必要なので、高価なのだ。上層や最上層の住人は、ちょっと手を出しづらい。しかし高価でも新鮮なものを食べたい下層の人々は、喜んで買ってくれる。

 は、と乾いた笑い声を漏らした。

 下の層の住人ほど、上の層を見下す傾向にある。

 下に行けばいくほど、地下都市として快適な作りになっている。特に最上層は、最も初期に造られた場所なので古く、天井は低い。ついでに、当然ではあるが地上も近い。

 居住スペースだけでなく、地下で人間が生きていくためのあらゆる施設も同時に造らなければならなかった。そのため、様々な工場やインフラに関わる設備が上層にあった。

 地上が生きていくのに適した場所ではなくなったため、空気と水は地上から取り込んで浄化しているが、それ以外に生きるために必要なもののほとんどは、地下で作らなければならなかった。

〈春時〉では、電気は地熱発電でまかなっている。熱量は十分にあるため、電気だけでなく、循環する空気を暖めて都市内の温度調整にも利用されている。

 食料もまた、地下都市内で生産している。空気や水、電気と同じく、食べ物も欠かさず必要なものだったので、地下都市建設と共に、食料生産の設備は作られた。穀物、野菜、培養肉、培養魚肉の工場などだ。小惑星衝突以前から、それらの技術は既に確立して普及していたので、災害後の混乱で技術力は少々退化したものの、当面生きていくのに必要な工場は建設できた。

 その他にも、植物性プラスチックの原料としても、バイオエタノールの原料としても利用できる藻類の培養工場も建設された。これらの技術も二十一世紀後半には確立されていたものだが、それを得意とする企業を誘致できたのも、〈春時〉にとって幸いだっただろう。

〈春時〉建設が、具体的にどういう手順で行われていったのか、今ではもう分からない。争奪戦に勝利して場所を確保したら、すぐさま造り始めたのだろうと思う。工場のスペースと、居住のスペース、給排気や取水の施設等々、必要なものを納める場所を、おそらく同時に造っていったから、建設当時に働いていた人たちでも、どんな順番で造っているのか、よく分かっていなかったかもしれない。

 その混乱ぶりは、建設から百年以上経った今の上層を見れば、伺い知ることができる。

 何度となく改修や補修工事が行われているので、建設当時の姿そのままではないが、食物工場の多くは、今も上層にある。加工工場は中層にもあるが、原料の工場はほとんどが上層だ。最下層に至っては、工場はほとんどないらしい。

 快適な暮らしを送れる場所。それが、最下層なのだ。古くなった住宅や工場がひしめき、天井は低く、開けた空間はもったいないとばかりに埋め尽くされている上層と違って、最下層には巨大な吹き抜けがあり、ビルもあり、人工の空と太陽まである。

 人々がかつて地上にいた頃、当たり前に持っていたものを地下深くに造ったのだ。

 彼らが吸う空気も、飲む水も、口にする食料も、地下を明るくするための電気も、ほとんど何もかもが、上層から供給されている。

 巨大なスクリーンに映し出された人工の空を仰ぐ人々は、そのずっと上にある最上層のことなど意識せずにいるだろう。

 目に見えない、意識されることもない、透明な存在なのだ。

「空気みたいなものだよ」

 かつて、そう言い放った人物の言葉を思い出す。

「空気みたいなものだ。上の方ほど淀んでいる」

 足下を見つめた。栽培室の白い床の遙か下で、あの男は今も自分の頭上で暮らす人々を見下しているのだろう。

「……空気がなければ生きていけないくせに」

 暗く沸き立つ気持ちを、手にしたレタスにはぶつけられない。AIカメラで監視されている。

 舌打ちにとどめて、作業を再開した。

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