第6話

 小屋の周囲は湿地帯にしては珍しく普通の地面だった。周囲には枯れ木の森が取り囲んでいる。


 ひとまず北へ向かうことにした。根拠はない。ただの勘だ。


 サバイバルの基本は飲み水と食料の確保。それと安全な寝床だ。


 あのサキとかいうサキュバスの小屋なら全ての条件を満たしていたが、魔物とはいえ借りにも命を助けられた。奪い取るような真似はしたくない。


 いくらここが無法地帯だからって、人として最低限のモラルを失ってはいけない。


 俺の選択は間違ってない。そう自分に言い聞かせて枯れ木の森を歩いていると、全身が泥でできたマッドマンと遭遇した。


「ヌオォォォ」


 マッドマンは人間によく似た形状をしているが実際には半液状の生命体。


 土の成分を体内に取り込んで軟化させたり硬化させて攻撃してくる。


 いままさに目の前のマッドマンも両腕を刃に変えて切りかかってきた。


「くっ!」

 

 とっさに受け止めようと剣を横向きに構えるが、迫りくる刃が止まった。


「ヌオォォォ?」


 小首を傾げるマッドマン。なぜか腕を元の状態に戻し、どこかへ去っていった。


「なんだ?」


 なぜ襲ってこなかったのだろう。変異種なのだろうか。


 なんにせよ、こちらも万全ではなかったから助かった。


 気を取り直して水場を探しに行く。


 その後も何匹か魔物と遭遇したが、どの魔物も俺を遠巻きに眺めているか尻尾を巻いて逃げていくかで戦闘はなかった。


 理由はわからないが、運がいいと思うことにした。


 枯れ木の森をさまようこと一時間。なんだか同じところをぐるぐる回っている気がする。


 喉の乾きは限界だ。ぬかるんだ足元や低い気温に体力を奪われるのも辛い。脱水症状のせいか、頭も重い。


 こうなったらゾンビ犬の血でも飲むか。


 いや、かえって体調を崩しかねない。


 そもそもなぜか遭遇する魔物はすべて戦闘を回避してくる。近づくことさえままならない状態だ。


 疑問を抱いてはいるものの、いまは飲み水を探すことで頭がいっぱいだ。その謎は後回しにしよう。


 水。とにかく水が飲みたい。


 黒竜のブレスでやや溶けてしまったネックレスをつまみ、額に押し当てる。


 困った時の神頼みってやつだ。


 不意に眼前のネックレスがきらりと光った。


 向きを変えてみると、右に向けた時だけ光る。


 俺は勢いよく光の出所に向かって走り出した。


 枯れ木の間を縫って進んだ先には、泉が湧いていた。


「ああ、よかった」


 しかもこれは回復の泉だ。


 これを飲んで少し休めばすぐに体力が回復するだろう。


 すっかり緊張の糸が緩み警戒心が薄れたその時。


 泉の中央が、ぬっ、と盛り上がった。


「グルルルルル……」

「嘘……だろ……」


 泉から出てきたのは例の黒竜だった。


 ちょうど水浴びをしていたところだったらしい。


 黒竜は全身から水を滴らせながら俺を見下ろしている。


 棘のような鱗に囲まれた金色の瞳が俺を射貫く。右目が赤いのはウィザの矢が刺さったからか。ここに来たのも目の傷を癒すためなのかもしれない。


 終わった。せっかく拾った命をこんなことで失うことになるなんて。


「いいや、まだだ。まだ諦めない」


 俺は剣を抜いた。


 俺みたいな地味で冴えない男にだって意地がある。


 十年前、まだ俺が六歳だったころにダンジョンが出現して以来、俺の頭のなかはいつだって冒険でいっぱいだった。


 そのためだけに剣も魔法も鍛えてきた。


 ここで、この場所で死ぬのは悲しいことじゃない。むしろ本望。


 最後は戦って終わろう。俺の人生の幕引きにふさわしいように、全力で。


 覚悟を決めて剣を構える。


 ところが黒竜はいつまでたっても襲ってこない。


 前回襲ってきたときのような威圧感もなく、俺に顔を近づけて鼻を鳴らしている。


 ひとしきり匂いを嗅ぐと、黒竜は猫のように喉の奥を鳴らして翼を広げた。


「うわっ!」


 羽ばたきによる風圧に押されるも、飛ばされないように踏ん張った。


 黒竜は俺に見向きもせず、霧が立ち込める空へと飛翔していった。


「なんだったんだ……?」


 これも運がいいだけなのだろうか。にしてはできすぎているというかなんというか。


 とにかくいまは水だ。緊張と疲労で喉はからから。体中が水分を欲している。


 俺は泉のほとりに駆け寄り水面を覗き込んだ。そこには包帯まみれのミイラ男が映っている。


 俺は両手で水をすくってがぶがぶ飲み始めた。


 うまい。うますぎる。命の水だ。ようやく気分が落ち着いた。


 一息ついて、改めて水面に映った自分の顔をみて目を疑った。


 いや、現実を疑った。これは夢なんじゃないか。そうに決まってる。


 俺は恐る恐る自分の頭に触れる。


 指先に硬い感触が伝わってきた。


「これって……」


 俺は包帯を剥がした。


 ああ、どうりで頭が重いわけだ。


 俺の頭の上には、側頭部から正面に向かって牡牛のような角が伸びている。


 頬には逆三角形の黒い痣。目も、白目の部分が黒く変色している。


 変化は顔だけじゃない。体中に頬と似たような痣ができており、腕に関しては肘から先が真っ黒だ。


「俺は……魔物になっちまったのか……クソ!」


 剣を抜いて自分の突きつける。


 喉が少しだけ切れて銀の刃に赤い血が伝っていく。


 俺の血は鍔から雫となって泉に落ち、煙のように溶けていく。


 水面に映った怯えた顔の自分と目があった。


「……ああ!」


 剣を投げ捨てる。


 死ねない。自分で命を絶つことなんかできない。


「ああああ! うわああああああ!」


 地面を握りしめる。


 涙が止まらない。胸が苦しくて仕方がない。


 せっかく生きていてもこんな姿じゃ家には帰れない。


 シスターにも、孤児院のみんなにも会えない。ウィザや友達に無事を伝えることだってできやしない。


 俺は、ひとりぼっちだ。


 鼻を啜ると、どこからかいい匂いが漂ってきた。


 顔を上げると、枯れ木の向こう側から白い煙が立ち昇っているのが見えた----。


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