自殺を誘発する無為

森本 晃次

第1話 奇想天外な団体

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。


 新興住宅や、企業誘致で最近注目を浴びているK市であったが、実際には、人の住める範囲はそれほどあるわけではなかった。平地は少なく、まわりを山に囲まれた、一種の盆地のような作りになっているので、マンションなどをたくさん経てて、後は、隣の県庁所在地であるF市からのベッドタウンとして、そして、F市に設けられた地元大手企業の本社、あるいは全国規模の企業の支店などの住民の社宅を、マンションという形で建設し、企業に売却や貸借を行って人口の維持に努めてきた。

 このK市は市になってから、そんなに歴史があるわけではない。せいぜいここ十数年くらいのものである。自治体にとっての長年の夢が達成されたのであるが、市政を維持するためには、人口問題が不可欠であり、しかも、住民が比較的裕福であることを望むことで、大手企業の社宅や、山の麓のあたりに、分譲住宅地を設営し、裕福な家庭を呼び込んできた。

 次第にその目は、麓よりも少し上の方に向けられた。そこは見事なまでの森林地帯で、開拓するのはもったいないという意見もあったが、半分以上は残すという条件で市が開拓予定地を買い上げ、そこを地元土建屋によって開拓させ。そこに今度は企業誘致を行うことにした。

 そこには、工場や物流センターと言った機能を有する場所の建設に充てることが目的で、一種の、

「工業団地」

 というものを作ろうという計画だった。

 人によってが、

「何を時代錯誤な」

 と言われるかも知れないが、

 企業としても、安ければそれでいい。何も海外に橋上を作るだけが能ではない。特に今のように、製品の品質が叫ばれている時代、いくら人件費が安いとはいえ、海外の後進国で製造した製品の劣悪さは目に余るものがある。苦情による製品回収くらいならまだいいが、飲食物などで、人的被害をもたらすことにでもなれば、訴訟問題はおろか、会社の存続問題になりかねない。

「安物買いの絵に失い」

 などという言葉では言い表せない。

 それこそ、

「ただより高いものはない」

 という言葉を思い知らされることになるのだ。

 そんなK市では森林部の開拓は、市政が始まってから比較的早く計画された。マンションなどを建てる計画と並行して行われたこの計画は、マンションにまだ半分ほどしか入居が完了していない時期から、すでに誘致が進んでいて、大型スーパーの物流センターであったり、巨大自動車メーカーの工場の一部をK市に移転するという経過気があった。

 どちらも、F市に物流センターや工場を持っていたが、昨今の景気回復で、その背説が手狭になってきていた。どこかにもう一つの土地を探していたところでもあった。

 その情報をキャッチするのが一番早かったのが、K市の誘致委員会であった。

 彼らは絶えずアンテナを張り巡らせ、実際に、F市で運営されている各大手企業の動向を探っていた。こんなにもうまくいくなどとは思っていなかったようだが、企業誘致に企業側も乗り気だったことで、商談は勧められた。

 しかし、それはあくまでも水面下での調整で、これは両者双方が望んだことだった。K市側とすれば、他の死に名乗りをあげられる前に仮契約くらいまで済ませたいという考えと、企業側は、下手に表立って動くと、せっかくの破格の値段を他の企業にも知られてしまうことになり、せっかく今なら一択の状態なのに、思惑が崩れてしまうことを恐れたのだ。

 計画してから、実際にプレス発表にこぎつけるまで、そんなに時間は掛からなかった。それまでマスコミにバレることもなく、何とか世間を欺いてきたおかげで、企業側もK市側も、世間にはセンセーショナルな話題を提供することができた。その後、別の意味でもK市にコンタクトを取ってくる企業は、隠密裏にことを運ぶということが当たり前のようになっていったのであった。

 そんなK市で企業誘致の中で、一つのよく分からない団体が、

「道場を築きたい」

 という名目でアポイントを取ってきた。

 この団体は、

「封建深層研究会」

 という団体で、宗教団体として最近登録された新興宗教団体であった。

「そんな聞いたこともない団体を受け入れて大丈夫なんですか?」

 という話もあり、何度か会議が持たれたが、住民とはトラブルを起こさないという条件、さらに、住民から文句が出れば、ただちに立ち退きの準備をするという条件を始めとして、いくつかの約款を定めて、やっと誘致を許可されたのである。

 もう一つ条件として定められたのは、

「公開性」

 であった。

 一番宗教団体として危ないのは、隠密裏に何かを作っていて、それが反社会的勢力と無ず美つくか、その団体自体が、反社会的勢力のようなものに変化するということであった。実際に、以前、宗教団体によるテロが発生し、法律で、

「テロ防止法」

 などの法律が制定されたりもした。

 それはもうすてに今は昔、四半世紀前のことであった。

 あの時は、田舎町に建設された工場で、秘密裏に作られた毒ガスを使ってのテロであった。今でも犠牲者の苦悩は続いているような大事件であったが。あの時は、一人のスポークスマンのような男が現れて、教団の内容とパネルなどを使って、正当性を訴えていた。

 まだ彼らをテロ組織だとは思っていなかった国民は、そのスポークスマンの話術にすっかり騙され、その言葉を皆がマネをするなどの、ただの話題にしかしていなかった。

 それこそ彼らの計算だったのだ。いかにも、

「公開しています」

 と言いながら、表に出る人を定めることで、煙に巻くとでもいうやり方で、秘密裏に計画を進めていった。

 それを生々しく覚えている人は、宗教団体というだけで、警戒するのも当たり前だった。そこに公開性を求めるのは当たり前のことで、宗教団体としていかにその信頼性を示せるかというのが、誘致に対しての一番の難関な部分であった。

 もう一つの問題が、

「封建」

 という言葉が大きな問題となった。

 封建というと、どうしても、武家社会のようなイメージを抱いてしまう、武家社会では、まず、国主が武家の土地を保証するということから始まる。土地を保証された武家はその恩義を国主に示すために、貢朝を行ったり、不審作業の手伝いであったり、いわゆる戦の時には、その土地のコメの取れ高、いわゆる

「石高」

 で、出す兵の数が決まってくるというやり方である。

 つまりは、

「土地で結ばれた主従関係」

 という構図であった。

 そこには、議会政治は存在せず、今の時代に沿うものではない。そう考えると、社会自体がまったく違っているので、常識が通用するのか分からない。もし話を深くより下げてしたとすると、そのうちに何が正しいのか分からないという現象に陥るかも知れない。

 この団体は、宗教法人としての登録はしているが、彼ら自身は、自分たちを宗教代だとは思っていない。さらに、封建とは言っているが、これも、一般に言われている封建制度とは違うと思っている、

「封建制度のような主従関係ではなく、あくまでも助け合いの考え方で、足りないところを補い、それが自給自足のような暮らしを送るのが我々の団体なんです。しかも、私たちが作った農作物なども、まわりの人たちに提供したり、安くお分けすることも考えています。共存共栄という考えが、封建という言葉に結び付いているという感じだと思ってくれればいいと思います」

 と答えた。

 それを聞いて、どれだけの住民が信用するかは分からないが、しかし、市が誘致することは決定しているので、それには従うしかなく、いかに彼らを誤解することなく、理解するか、それが、一番の問題だった。

 だが、彼らは宗教団体というよりも、勉強をするのを目的ともしていた。彼らの研究は歴史であり、

「過去があって、現在がある」

 という考えが強く、さらに、

「歴史を勉強することは、他の学問の勉強にも繋がるものである」

 という考えもあった。

 歴史を勉強することで、いわゆる本当の宗教団体の考え方を勉強することもでき、自分たちとの違いを考えることもできる。

 さらに、歴史に、

「もし」

 というものはないと言われているが、そのもしが存在していた場合に、歴史がどうなったかということを考える、いわゆる

「パラレルワールド」

 を想像することで、SFの世界を考えることができる。

 そこには宗教的な発想もたぶんに含まれるのは、歴史が証明していることであるが、自分たちとの違いがどこなのかを勉強するのも必要なことだと思っていた。

 今までの宗教団体のほとんどは、

「死後の世界には極楽浄土があり、この世での行動が極楽浄土に行けるかどうかを左右する」

 という考えが主流ではないだろうか。

 死後の世界だけを見つめることで、虚空の世界という信憑性のないものを信じ込ませるという考えは、突飛すぎるであろうか。ただ、マインドコントロールするにはちょうどいいのだろう。

 現世をいかに生きるかというわけではなく、死後の世界を大切にするということで問題になったのが、

「世紀末議論」

 である。

 世の中には、世紀末論争というものがあり、国や地域、あるいは民族によって違うのだが、

「何年にこの世がなくなる」

 という説である。

 それに便乗し、

「この世がなくなった時、極楽に行くために、お布施をする必要がある」

 と言われて、全財産を投げ出す人も多い。

 信者でもない人が考えれば、

「そんなベタな言葉に騙される人がいるのか?」

 と思うのだろうが、本人たちは至って真面目、

「これで極楽浄土に行ける」

 と思い込むのだった。

 そして実際にその日がやってきて、地球が滅ばなかったことで、全財産を捧げた人は慌てて教団が出まかせを言っていたことに気付いて、やっと訴訟を起こすことになる。それが、ほとんど全部と言っていいほどの

「世紀末論争」

 と時に起こることであった。

 過去の歴史が、出まかせであることが証明されているのに、

「うちの宗教だけはそんなことはない」

 と思うのか、全財産を投げ出す人が後を絶えない。

 そして結果的に、いつも同じ道を歩むことになってしまうのだった。

 それこそ、デジャブであった。何度、同じ光景を見たことかと、世間の人に思わせることであろう。

 宗教団体の方も、間違いなく詐欺には違いないのであろうが、あくまでも強要したわけではなく、寄付をした人が自主的に寄付をしたということに変わりはないので、詐欺で立件することは難しいだろう。

 だが、その話題は世間には知られることになるので、今後の宗教団体の孫座奥は微妙かも知れない。中には、

「世紀末論争を中心に展開していた団体」

 というのもあっただろう。

 滅びないと分かった時点で、

「ウソつき教団」

 として世間は認識してしまうことだろう。

 ただ、そういう教団は、抜ける人間を許さないようにしてあるだろうから、完全に、

「飼い殺し状態」

 ということになり、それこそ、

「悪徳教団」

 をそのまま表現することになり、正しい教団組織を形成している集団からすれば、迷惑千万な話である。

 ただ、一つこの教団において、封建という考え方が、あくまでも教団内での、

「足りないところを補う」

 という発想が間違った考えになってしまったのか、最初から教祖の狙いだったのか分からないが、

「性的描写」

 に塗り替えられてしまっていたりした。

 それは男女の性器そのものを考えてみれば分かること、しかも、それを古事記の中でのイザナギとイザナミの言葉で、

「この身体は成りに成って、余ったところが一か所あります。だから私のこの余っているところで、あなたの足りないところを刺し塞いで国を産もうと思うのだが、どうですか?」

 という部分があるが、そこを引用することでいかにも神話の世界をこの世と結び付けた考えにしてしまい、性的なものを正当化しようという考えである。

 だから、

「教団の女性は皆、教祖のものだ」

 という考えが生まれてきたのだが、そのことは教団でも一部の人間の暗黙の了解になっていた。

 もっとも霊験な信者であれば、教祖に身体を差し出すのは当然のことと思っているので、誰もそこに不信感を抱く者はいない。

 この教団の中には、俗世間で性的な虐待や、セクハラに遭い、それを悩んで入信する人もいたはずだ。

 本当ならそんな人であれば、教祖のそんなやり方にヘドが出るほどの感情を抱くのが当然だと思えるが、逆に彼女たちは、

「教祖様によって、身を清められる」

 という考えのもと、進んで教祖に身体を差し出す始末だった。

 宗教団体の問題としてよくありがちな、

「家族の誰かが入信してしまって、帰してくれない」

 という問題も当然のごとくだった。

 家族の者が出かけていって、

「妻を返してくれ」

 と願い出ても、団体によっては。

「そんな人はここにはおらぬ」

 と言って完全にしらを切るというもの、さらには、

「彼女は自分の意志でここに来たのだから、本人の意思が尊重されるのが当たり前だ」

 という論理で家族に合わせようともしない。

 ただ、その言葉はまんざら間違っているわけではない。確かにその人は自分の意志で入信したのだ。しかも、家族に対しての不満から入信した人であれば、いまさら戻るなど論外であろう。入信した教団では、皆が家族、助け合うということを前提にしていることで、誰か一人に重荷を背負わせることはない。家族に不満を持って入信する人のほとんどは、自分へのプレッシャーからであったり、迫害なので外的要因。さらには、相手にしてくれない、

「村八分的な発想」

 だったりが、介在していることだろう。

 そんな人が皆平等な信者に家族だと言われれば、元の世界に帰るはずもない。言ってみれば入信した気持ちも分かろうとせずに、

「宗教団体に騙されている」

 という理論。つまりは、

「宗教団体は悪い団体だ」

 と決めつける方が乱暴なのだ。

 そもそも自分たちが追い詰めたのを棚に上げて。帰ってきてほしいという気持ちが一番なのか、家族が宗教団体にいるというのが世間にバレルと世間体が悪いと思うのか、どちらにしても、何とも家族の方の言い分は都合のいいものでしかない。

「血がつながった家族」

 などというのは、言い訳にすぎない。

 そう思っているのであれば、家族として暮らしている間に、奥さんを追い詰めるようなことを家族の皆がすることはないはずだからである。

 警察も捜索願は受理もしてくれない。なぜなら、どこにいるかが最初から分かっているからだ。

 そもそも捜索願(現在では行方不明者届と言われているが)というのは、どこにいるか分からない人を捜索して探し当てて、それを届を出した人に知らせるまでが警察の仕事で、家出人を家族の下に帰すのが仕事ではないのだ。

 しかもそこに事件性がなければ、たとえ行方不明者でも、すぐには捜索はしてくれない。警察組織というのはそういうものであった。

 それでも、一般の人は、捜索願を出せば、警察はすべてを捜査してくれると思い込み、安心しているかも知れないが、そんなことはない。要するに警察という期間は、

「事件が起こらないと、動いてはくれない」

 という、よくドラマで見るようなセリフの通りなのである。

 しかも、捜査するにしても、広域に及べば、反社会的勢力のいうところの、

「縄張り」

 よろしく、管轄という名の下に、お互いの主張を繰り返すという、まるで、

「子供の喧嘩」

 を見ているようである。

 事件性がどのようなものであるかというのも曖昧で、要するに、警察は思っているよりも動かないと思った方がいいだろう。

「それじゃあ、税金泥棒だ」

 と言いたいくらいだが、まさしくその通りである。

 これは司法の世界でも同じようなもので、

「疑わしきは罰せず」

 ということで、警察が民間に立ち入ることはなかなかできないのが現状だ。

 それでもどうしても捜索をしたり、宗教団体から抜けさせたいと思うのであれば、私立探偵でもお金を使って雇うしかない。ただ、相手も個人事業なので、断ることもある。特に事件内容と、報酬が見合わなければ簡単に断ってくるだろう。

 そういう状況をいかに考えるかが問題で、特に宗教団体が相手だとすると、一体どうすればいいというのだろう。

 ただ、入信した家族を連れ戻すことは前述のように難しい。そもそも連れ戻すことにどんな意義があるというのかというのは、家を出た経緯を知らない限り、解決にはならないだろう。

 その時にちゃんと理解していて、少しでも止めることができたとすれば、状況は変わってくるのかも知れないが、ほとんどの場合、家族が家を出たということすら最初のうちは気付かずに、帰ってこなくなって慌てて捜索すると、宗教団体の中にいたというのが分かるのだ。

 家を出た人は思うだろう。

「しょぜん、自分は家族の中ではそれだけの存在でしかない。それは俗世間においてもまったく同じことだろう」

 そう感じてしまうと、教団の思うつぼであり、本人も逃げ込んできたことを正解と思う。

 まるで駆け込み寺のようなところで、そこで自分が生まれ変わると思えば、誰が過去の忘れたいと思うほどの俗世間に戻ろうなどと考えるだろう。

「あの方は。誰に強制されたわけでもなく、自分の意志でここにきて。そして自分の意志で帰らないと決めているのですから、いくら来られても同じですよ」

 と、教団の人に言われたとしても、その言葉には誤りはない。

 そう言って説明している人も、元々は自分もそうだったのかも知れない。同じ思いの人が口にする言葉だから、当然説得力もある。

「しょせん、宗教団体のくせに」

 などという偏見で見ている以上は、相手を上から見ることはできない。

 上から見ているつもりでも、相手がその上にいるのだから、自分が何を言っても、そこにいない相手に対しての講義は、まるで暖簾に腕押しとでもいえるのではないだろうか。

「どうして、妻を返してくれないんだ」

 と言ってみたところで仕方がない。

 相手はその場所から向こうは、俗世間とは違う世界に身を置いているということを実感しているのだ。

 家族の人間、つまり普通の庶民がいう言葉など、彼ら自身、自分というものを考えたこともないくせに、よくも人の団体を批判できるものだと言わんばかりであるが、相手を怒らせるようなマネはしない。それをしてしまうと、今度は自分が教団の人間から不信感を抱かれる。彼らの敵は目の前の人物にあるわけではなく、自分の後ろから自分を見つめている同族であるということをよく理解していた。それが、彼らにとっての理念であり、教団の存在意義だと思っている。

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