File3‐1薄青の散る
―オクタ―
10月3日(木) 明け方
アジトの三階。オクタは目が覚めると自室のガラス戸をカラカラと開けてベランダに出た。
日課というほど義務感を感じているわけではない。ただ、朝になると無性にタバコを吸いたくなる。
必然的に、早朝ベランダに出ては遠くの街をぼんやりと眺めながらタバコを吸う機会が多かったというだけのこと。
十月に入ったがここ数年はまだまだ陽気が続いている。朝でも肌寒さを感じない。既に空は白み始めていて、どこまでも澄み切っていた。数分もすれば朝日が顔を出し、嫌味ったらしいほど爽やかな青が広がるだろう。
――カチッ。
オクタはタバコに火をつける。どこで買ったのかすらもう覚えていない安物のライターだ。雑にポケットにしまいこむ。
煙を吸って吐き出した。オクタはいつの間にかタバコを吸い始め、訳もなく今もそれを続けている。何がきっかけでタバコを吸うようになったのか今となっては本人でも思い出せなかったし、どうでもいいことだ。
ただただ、吸ってると気分が落ち着いた。
オクタは自分の吐き出した煙を見て思いに耽る。
(……タバコ、結局やめてねぇな)
再び煙を吸い込み、吐き出す。ようやっと顔を出した陽の光は特別強いわけではなかった。タバコの煙に朝日が反射して光る。
高い青の中に燻んだ黄金の煙が広がった。そこに少女の面影を見たような気がした。
「タバコはダメ!って言ってるでしょ!」
「…………はぁ」
煙をまた吐き出す。
「タバコやめてくださいよ。師匠。体に悪いですよ」
「…………はぁ」
どちらも空耳だ。
元々オクタはアパートで一人暮らしをしていた。七年前、ライースが六花を連れてきて以来二人で暮らしていた時はよくオクタの部屋を訪ねてきたものだが、最近は滅多に訪ねてくることはない。
タバコはやめたほうがいいと、しきりに言っていたのも三年前までだ。
「なんで、俺の周りにはタバコをやめさせようとする奴ばかり集まるのかね……」
その時オクタのスマホに着信が入った。
「…………はぁ、もう次の仕事か」
オクタはアジトの2階にあるリビングにチームメンバーの3人を集め、通話の内容を共有した。
「また急ですね。週末に召集するなんて」
六花は指を折って日にちを数える。今日が木曜日であることを踏まえると準備に使える期間は今日を入れてもあと2日しかない。
「仕方ないだろう。ライースからそう連絡があったんだから」
オクタはコーヒーを飲む手を止めて説明する。
「明日になれば詳しい指示がくることになってる。リコリスとラーレも来いってさ。リコリスはm.a.p.l.e.も持って来るように、だそうだ。……新しい仕事だな」
「でも、ライースたちにしたって急に仕事が決まったわけじゃないと思うんですよね。もっと早く教えてくれても良いと思うんですけど」
六花は不満げにココアを啜る。
リコリスがまぁまぁと言ってそれを宥める。
しかし、六花が不満を漏らすのは当然のことだ。長期の仕事ならばそれ相応の装備を準備する時間が必要であり、アジトに備えているものでは足りない可能性もある。
組織が偽名で借りているトランクルームが各地に点在しており、予備の装備をそれぞれ保管しているのだが、六花は六花の装備のみといった具合にメンバーごとに保管庫の場所が異なっている。メンバー全員の分を取りに行くのなら2日では足りない。
保管庫の分を含めても足りなかったり、何か特殊な装備が必要になることも考えられる。
そういった面を考慮して六花は時間に余裕が欲しいといって怒っているのだ。
「六花ちゃん。それくらいで許してあげよ?土曜は暇だったでしょ?結果オーライってことで」
「……そう言う問題じゃないと思いますけどね」
六花たち実行部隊のメンバーは木曜日の昼になってから土曜日に招集があることを知った。それも複数のチームでの大規模合同任務の打ち合わせでだ。
「まったく、師匠もライースも。直前になってからいうのはやめてくださいよ。もっと考えて欲しいです」
「すまんすまん、悪かった。な?気をつけるよ。ライースにも言っておく」
オクタから告げられた次の仕事の目的地は沿岸部の観光地だった。それも高級なホテルに集まることになっているらしい。
六花は仕事ですからねと、浮かれるラーレにキツく釘を刺していた。しかし、六花が普段行く機会のない観光地が今回の目的地だ。
いつも以上にキツい六花を見てオクタは少し観光地に期待する気持ちが見え隠れしているようにも思えた。
(仕事っつっても少しくらいハメを外せるところもあるだろう。そういう時くらい普通にはしゃいでくれても良いんだが……)
―ヘキサ―
仕事とはいえ観光地に向かうのだ。しかも、組織から高額なホテルの宿泊費もすでに支払われている。
六花は組織に所属する暗殺者だが、15歳の少女でもある。
当然、楽しい旅行ではないが、ワクワクする気持ちがあった。しかし、それを表に出すとラーレかリコリスに揶揄われるだろうと思い、必要以上にキツく言ってしまった。
六花は反省してリビングのソファに座る。
リコリスはテーブルについたままスマホでなにかを調べていたようだったが、不意に画面を六花に向けてきた。
「その日夏日だって!近くに海もあるし水着持ってこう!」
「は、はぁ?」
六花は突然何を言い出すんだと思いながら声を出した。
「いや、そもそも仕事ですし、私水着なんて持ってないんで、秋花さんだけでどうぞ」
リコリスは何を馬鹿なことを言っているんだと言わんばかりに先ほどの六花と同じような表情を浮かべた。
「私も普段外出ないんだから持ってる訳ないでしょ。買いに行くんだよ!今日が嫌なら明日でも良いからさ」
「そう言う問題じゃ……」
ラーレもその場にいたが、こちらの会話に混ざることはなく、そそくさと部屋へ戻っていってしまった。
「し、師匠はどう思いますか?」
「仕事詰めってこともないだろう。送られてきたメッセージによればミーティングは夜だ。買ってきたらどうだ?必要なら店まで送ってやるから」
リコリスはオクタの返事を聞き、勝ち誇ったような表情を浮かべた。
六花が水着を買いに行く事に否定的なのには訳がある。決してカナヅチで泳げないわけではない。教育プログラムに水泳もあり、六花はいつもの装備という重りをつけていても難なく長距離を泳ぎきることができる。
では何が問題かといえば「傷」だ。
六花は幼少期から実戦を想定した教育を受けておりナイフによってできた傷が脇腹や腕にあった。今はもう傷ができてから時間が経ち薄くなっているものもあるが、完全には消えないものもある。
水着は露出が多く、傷を隠せないため六花は気乗りしなかった。
「……私は良いですよ。秋花さんが遊ぶっていうのなら見てるので」
そういうとリコリスはまたスマホをいじり始めた。
ようやっと諦めてくれたかと一息ついた途端、六花の前に画面が押しつけられた。
「ふふふ、今はこんな水着もあるのだよ」
画面には競泳水着のような物の上にパーカーを着ている女の人が映し出されていた。セパレートではないため脇腹も見えなければ、パーカーで腕も覆われている。
「これならいいでしょ?」
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