File2‐11給仕は薄青

――5日目 昼――


―ヘキサ―


「氷室さん。そこは違います!ちゃんと渡したマニュアルの通りの手順でお願いします!」

「はい」


 六花はハッとして清掃の手順を再確認した。


「氷室さん。手が止まっていますよ。清掃マニュアル、ちゃんと読んでますか?」

「……はい」


 六花はまたハッとして手順を確認する。


「今日はどこか上の空といった感じですが、大丈夫ですか?体調が悪いのでなければしっかりお願いしますよ」

「はい。すみません」


 井口は「すみません」と言った六花をすかさず叱りつけた。


「申し訳ありません。です。しっかりと丁寧な口調を身に着けてください」

「も、申し訳ありません」


 六花は今日、仕事中にミスが多かった。それは何もマニュアルを読み込んでいないだとか、教えてもらったことを覚えていなかったと言う訳ではない。


 佐々木の言葉を思い出していたのだ。


「ここのメイドってみんなどこかの児童養護施設から拾ってもらってるから」


「Redressとかって言うあまり聞かない名前の児童養護施設だったよ」


 昨日、穂科陽一を始めとする反AI派の演説を聞いた時、六花の中にはやはりAIに対する憎しみがあった。AIを認めてはいけないと思った。自身の両親を奪ったAIを許せるわけがない。


 だが、組織の命令に従って人を斬る。六花のしていることだって許されることではない。


 六花の行いによって被害者が出て、遺族が出て、孤児が……出たかもしれない。


 六花にもそれはわかっていた。


 しかし、それでもやらなくては、自分たちのような孤児は増え続けるのだ。


 佐々木の言ったことを聞かなければよかったと思った。施設について尋ねなければよかったと思った。


 六花は以前、迷った末に「仕事」をすることを選んだ。だと言うのに佐々木や他のメイドを見ていると、陽だまりの中にいる自分を想像してしまった。


 ここにいるメイドたちは皆、六花やリコリスと同じように孤児院の出身。訓練について来れなかったか、訓練が始まる前に熊谷に拾われた孤児だ。しかし、そこに絶対的な差などないはずだと六花は思った。


(私も……ここで、佐々木さんたちみたいに)


 働いていたかもしれない。ここでメイドとして、暗い世界を知らずに。


 様々な思考が六花の頭の中で反芻されていた。


 結局、考えがまとまらず、手が動かなくなっていた。


「氷室さん……大丈夫?顔色悪いけど……」

「……っ!さ、佐々木さん。大丈夫です」

 六花は心配そうに尋ねる佐々木にそう答え、清掃に戻った。



――5日目 夕方――


―リコリス―


 リコリスがゲーム配信者の「momiji」であることを認めると和人の椛に対する態度は一変した。


 学校に行く前、リコリスは和人と廊下ですれ違った。

「あのさ椛……さん。また今日も勉強見てもらいたいんだけど」


 ぶっきらぼうな様子は相変わらずだったがリコリスに対してのみ、あからさまに柔らかかった。


 今朝の和人はわがままを言い、ぎりぎりまで学校に行くことを渋ってメイドたちを困らせた。教育係のメイドたちは休憩に入ると、口々に大変だ大変だとぼやいていた。


 リコリスは学校から帰ってきた和人に真っ先につかまった。


 素早く課題を終わらせた和人はゲームを引っ張り出した。リコリスはゲームをしながら隣に座る和人に他のメイドに対する態度について尋ねた。


「どうして和人君はメイドに対して冷たい態度をとるの?お姉さんから見ても態度の違いはあからさまだったし、私とゲームするようになってからはもっと酷いよ」


 和人は何か迷っていたようだったが、話し始めた。


「……あいつらは俺に期待してないし、父さんの言いつけ通りに俺の面倒見てるだけだろ。本当は……」

 和人は本当はと言って口を閉じた。続く言葉はない。しかしその先に和人の真意があるのは間違いない。ゲームの手を止めリコリスは次の言葉を待つ。


「あいつらは兄さんの方が大切で俺なんかどうでもいいんだ」

「兄さん?」


 聞くところによると和人には透眞とうまという名前の兄がいるらしかった。


 彼は歳の離れた兄弟で名門大学を既に卒業しているようだ。今は海外で仕事をしており、日本に戻ってくる事は少ないという。


 和人が小学校に上がる直前に一度だけ帰ってきたことがある。


 兄に対する父親やメイドの様子をみて、兄がどれだけ慕われ期待されているか、自分がいかに期待されていないか。和人は気づいたのだ。


 兄は幼少期から優秀すぎただけ。突出した才能の無い自分とは違う、別次元の存在だと思うようにしてみても周りの様子が変わるわけではない。


 そう思う内に周りの望む"熊谷の息子"としての自分が本当は必要ないのだと気づいてしまった。


 和人はあくまで形だけ、そう、優秀な兄がいるからだ。


 気づいてからは周りに対しても丁寧に接することを馬鹿馬鹿しく思うようになってしまったのだという。


 強い言葉を使ってみたり、わざと困らせるように部屋を散らかしてみたり、学校に行くことを拒んでみたり。すべては自分を見てほしかったから。


(親に期待されすぎるのは重圧で押し潰されちゃうけど……明らかに期待されてないって分かると、放っとかれてるって、どうでもいいんだって……感じるよね)


 リコリスにも思うところがあった。


 リコリスは親の度重なる虐待によって過酷な幼少期を過ごした。


 家ではいつも運転手の仕事を失った父親が母親と喧嘩をしていて、リコリスにその矛先が向くことも多かった。物心ついてから喧嘩をしていないところを見たのは数えるほどだ。常に空気がピリつき、両親は何かと文句をつけて互いを罵り合った。


 そんなある日とうとう耐えられなくなった母親がリコリスを連れて家を出た。


 母親が特段リコリスを大切にしていたという事はない。売るつもりだったか、養育費を目的としていたか、子どもだったリコリスをダシに誰かしらの情に訴えようとしていたのか。理由は判然としないが事実母親に連れ出されたのだ。


 二人が家を出てから、父がリコリスたちを探しているというような話は聞いたことがなかった。


 家を出ても二人で生活するのは困難だった。


 やがて公園の端や橋下などにいるホームレス達の中を転々とし、混ざるようになった。


 母親は歳の割に若く見られたため、ホームレス達に受け入れられるのに時間はかからなかった。だが、リコリスは別だ。


 どこにも、何の役にも立たないリコリスを置いておけるほどの余力はなかった。


 数日もしないうちに、また母親に連れ出されたリコリスは寒空の下、児童養護施設〈Faithful〉の前で捨てられた。


 そんな親を見ていたリコリスだったが、施設に捨てられた時には家族として裏切られた気持ちも、二度捨てられたことの怒りもなかった。


 その頃には既に心を閉ざしていたのかもしれない。



(でも、和人君の場合嫌われてるわけでも期待されてないわけでもないと思うけどな……)


 教育係のメイドは皆、なんだかんだと言いつつ、怪我など和人の身の回りを心配したり、弟のように可愛がったり、伸び伸びと成長する様を見守ろうとしたり。和人に対する姿勢は様々だが、和人のやりたいことを可能な限り尊重している。


 家に縛られず、和人の心のまま、自由に生きさせようとしている。ただそれをどう言えば和人に伝わるのかリコリスには分からなかった。



――5日目 夜――


―ヘキサ―


 六花は一日の業務を終え、宿舎へと戻ってきた。ここ2日、何をするにも佐々木の言葉を思い出していて仕事が手につかなかった。


「ここのメイドってみんなどこかの児童養護施設から拾ってもらってるから」


「Redressとかって言うあまり聞かない名前の児童養護施設だったよ」


(佐々木さんは、私と同じところにいたんだ……)


 六花は衝撃を受けたのと同時に、羨ましくもあった。


 ここのメイドはAIに対して嫌悪感がある。政見放送があった時も嫌な顔をしているメイドは多かった。それは六花たちと同じような境遇だったからだ。


 でも、今回の脅迫状の件や、細機の拉致、カミシログループの事件の裏を知らない。そんな汚い世界とは一切の接点がない。

(もしかしたら、私も……)



「どうしたの?六花ちゃん」

 リコリスは部屋に入るなりぼーっとしていた六花に声をかけた。


 六花は迷いながらも言葉をこぼした。

「私の、先輩から聞いたことなんですが」


 昨日、佐々木から聞いたこと。この邸宅のメイドは六花たち、組織の工作員のいた施設から里親に出されている孤児だと言うことを話した。


「あーそれで和人君は私が施設から来たって思ったのね〜」

 リコリスはどこか納得している様子だった。


「……組織に不満がある訳ではないんです。ただ、こっちに来ない未来も……あったのかなって」


 六花は握りしめた拳を見つめる。手にはナイフの感触がある。


 人を斬った。


 刺した。


 殺した。


 組織の掲げるAIの暴走を許してはならないという思想に六花は共感した。自分たちのような孤児を出さない。多くの人をAIから守る。そのためには多少の犠牲も仕方がないこと。そう思っていた。


 しかし、戦いながらも六花は迷っていた。

(本当は殺したくなんて……戦いたくなんて……)


「でもさ」


 リコリスの声に顔をあげる。


 リコリスは壁にもたれながら言った。


「結局、誰かがやらないといけない。誰だってこんなの、好き好んでやる仕事でもない。たまたま、私たちにはそれしか無かったからやってる。それだけじゃん?」


 そう言ってリコリスは部屋を出て行った。


 しばらくして、巡回の時間が来た六花も部屋を出た。

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