伯爵様のお仕事

 私がずっといた神殿は、辺りが畜産や酪農に力を入れていたところだったけれど、クレージュ領は基本的に野菜と麦の農業が一般的らしい。

 私はジル様の視察に付き添う形で馬車に乗せてもらい、辺りを見回していた。

 ジル様は私がずっと窓に齧り付いているのをにこやかな顔で眺めていた。本当に日頃農業の手伝いをしている人とは思えないほど、ドレスコート姿が似合う。ガッチリしているという感じには見えないから、着痩せする性分なのだろう。


「都からの方ですから、うちの領地を見てもつまらないと思われると思っていましたから、意外です」

「いえいえ。私自身、ずっと神殿にいましたから、神殿の外はなにを見ても興味深いんです。ここは元々は荒野を切り拓いたとお伺いしましたけど……?」


 イモは基本的に飢饉に強い野菜として知られているものの、他の野菜は見ている限り、貴族邸や豪商の間でしか出回らない葉物野菜なんかも見受けられる。

 葉物野菜は馬車の揺れに弱く、運搬技術を独占している豪商やそこから買い求めることのできる貴族でなかったら食べることができない。庶民が葉物野菜を食べたかったら、庭でハーブを育てて、それを葉物野菜の代わりに育てるか、ニンジンやラディッシュを買って、それに生えたままになっている葉っぱを食べるしかない。

 売り物になっているということは、運搬技術があるんだろうなあと思って見ていたら、ジル様は私と一緒に窓の外を眺めた。


「そうですね。祖父の代ではこの辺りは水はけもよくなく、手を変え品を変え、土を研究したり、逆に荒れ地でも育つ野菜の苗を分けてもらって植えたりと手を尽くしました」

「でも今は見事な畑ですね……麦も育っていますし」


 大麦はビールや麦湯の材料に使われていて、荒れ地でもよく育つ。一方小麦はパンや麺類など主食になるにもかかわらず、ふくよかな土地でなかったら育てることが難しく、肥料がなかったらなかなか育たないだろうに、この土地では大麦畑も小麦畑も存在しているのだ。

 それにジル様は笑う。


「時間はかかりましたが、祖父の代ではなんとか人が集まれるようには開墾が終了したようですよ。肥料の問題も、最初は緑肥で少しずつ土壌改善して、なんとかしました」

「なるほど……」


 緑肥は畑として使う土地に最初に別の植物を育て、植物の土壌改善をしてから作物を育てるという手法である。

 ちなみに大麦も緑肥の一種に数えられていて、ある程度開墾した上で大麦を育てることで、この土地の土壌を改善したんだろうなと想像がついた。

 ……ただ、緑肥は一朝一夕で土壌がよくなるものでもないから、ジル様が笑っちゃうほどに、途方もない作業だ。だって畑をつくる前に別の植物を育てないと駄目だから、嵐が来たり大雨が降ったりしたら、一瞬でその土壌改善が水の泡に帰すことだってあるのだから。

 しかしその手の話を聞くと、ますますわからなくなる。


「でも……かつてクレージュ伯爵領が荒れ地だったってことは、呪いとはなんの因果関係もありませんよね?」

「ないはずなんですよ。だから困っているんです」


 そう言っている間に、目的の場所に着いた。

 目的の場所を見て、いい匂いが漂っていることに、私は鼻を動かした。


「なんだかいい匂いがしますね?」

「ここはうちの領土の中でも一番ビール造りが盛んな村なんですよ」

「ビール……!!」


 大昔はドロドロのお粥状態で、生水を飲むよりも安全だからと、老若男女問わずに飲んでいたとされる。特に冬場になったら栄養のあるものがなかなか食べられなくなってしまうから、栄養補給に食べられていたらしい。

 そっかそっか。大麦を育てている以上、ビールをつくっている村があってもおかしくないんだよなあ。

 私が住んでいた神殿では、大麦は土が湿っているからあまり育たず、代わりにブドウが育っていたからそれでワインをつくっていたけれど、神殿によってはワインではなくビールをつくって売っていたところもあるはずだ。

 漂ういい匂いは、ビールを発酵させている匂いだろう。

 そうこうしている間に、馬車は緩やかに村へと入っていく。ここでビール工場の視察ができたら、少し楽しいと思う。


****


 辿り着いたのは村の中心にある村長さんの屋敷。

 ジル様の屋敷よりもさらに簡素で、物は必要最低限しかないようだった。


「領主様、ようこそいらっしゃいました……そちらは?」

「はい、妻です」


 ジル様にそう言われて、私は慌てて挨拶をする。


「私が無理を言って視察に同行させていただきました。どうぞお気になさらず」

「ああ……領主様とうとうご結婚なされましたか、おめでとうございます。先日の陳情聞いてくださいましたか」

「はい。急に品質が悪くなり、売りに出せなくなったと」

「はい……そうなんです」


 そう村長さんはしょんぼりとされていた。

 由々しき事態だ。ビールの品質が落ちたから売れないなんて、信頼問題に関わる。

 ジル様は腕を組んだ。


「よろしかったら、その問題のビールを飲ませていただいても?」

「ええ、それはもう。こちらでしばらくお待ちください」


 そう言いながら、村長さんは屋敷から出て行くと、すぐに戻ってきた。木でできたジョッキの中には、ビールが一杯ずつ。


「まずはこちらが普段売っている部分です。今年の分が売りに出せないために、残っている去年の分を売っていますが……これももうそろそろ品切れになりそうで、来年までに売り上げがないんじゃないかと皆狼狽えています」

「失礼します……おいしいですね」


 そうジル様はひと口飲んで言った。私もジョッキを回してもらったので、ひと口いただく。

 たしかにおいしい。しかもものすごく丁寧な作り方でつくられている。

 ビールは基本的に麦を数種類用意し、お湯と一緒に沸かしたあと、温度を下げてもったりするまでかき混ぜる。

 程よくもったりしたら濾過し、ハーブで香りづけ。先程馬車に乗っていたときに漂ってきた匂いの一端はこのハーブだ。

 香りづけが終わったら、再び濾し、ひと晩かけてゆっくりと冷ます。そこでさらに濾してから樽に詰めていくのだ。

 麦の調合比率やハーブの香りは、つくっている場所や村によってまちまちで、代々その村々で保管されている。

 この辺りは神殿によってつくられているビールでも同じことが言えるため、よその神殿のつくったビールが回ってきたら、飲んでから考えるというのは、神殿住まいの中でもよく言われていたことだ。

 でも……。もう一杯のジョッキをひと口飲んだ途端、ジルさんが顔をしかめた。


「これは……」

「はい、お気付きですか?」


 そう村長さんがしょんぼりされた。私も気になって、もう片方のジョッキにも口を付けて、目を見開いた。

 ……これ、全然ビールの味じゃない。麦湯にハーブで香りを付けたような味がする。

 ビールはお酒だ。なのにお酒になってないって、それはものすごくまずいことでは?

 ジル様はジョッキを村長さんに返すと、村長さんは項垂れていた。


「来年はまたビールがつくれましょう。去年のビールもまだ残っています。ただ……去年の在庫がなくなったら、我々の売り物がなくなります。領主様、なんとかならないでしょうか?」

「困りましたね……税は一度まけることまではできます。ただ、来年のビールも成功する保証はありませんよね?」

「はい……」

「あのう」


 私はおずおずと手を挙げると、ジル様と村長さんが振り返った。


「シルヴィさん?」

「ビールつくっている現場を見てみたいんですけど、よろしいでしょうか? 私は残念ながらビールづくりはしたことがないのですけど、他のお酒づくりはしたことがありますので、なにかわかるかもしれません」


 一応ワインづくりはしたことがあるし、ジル様や村長さんが原因がわかればそれでいいし。

 ジル様は私の言葉に「よろしいですか?」と村長さんに尋ねてくれた。


「それでなにか判明しましたら」


 こうして、私たちはビールづくりの現場に立ち会うことになった次第だ。

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