第38話 私の10年

 銀色の栓抜きを握り締めて、サトルはメンテナンスルームへと向かった。

 注意深く中を覗き込むと通路同様に綺麗に片付いている。床の上に無造作に置かれていたデスクトップパソコンも無く、絡まったコード類も見当たらない。そのせいでいつもより広く感じた。


(ハジメは……)


 ベッドに目を遣るが、もぬけの殻だった。充電中でまだ寝ていると踏んでいたのに予想外の展開である。

 さっき見たときはハジメが横になっていたのに……


(どこだ? どこに行った!?)


 周囲を見回すが気配は無い。

 代わりに、掃除が行き届いた床の上に熊のぬいぐるみのキーホルダーを見つける。ラムネのおまけで、ハジメにプレゼントしたものだった。しかし、熊の首は千切られて少量の綿が飛び出ていた。


「っ……!」


 息が詰まった。

 その場からすぐに下がろうとしたところで、頭上でブォンと低い音が唸る。見上げると天井の暗がりの中、ふたつの赤い光が浮いていた。

 クレーンに掴まって隠れていたハジメが、サトルを捉えていたのである。

 反射的に栓抜きの柄を向け、親指でボタンを押そうとした直前で赤い光は残像を残して消えてしまった。


「あっ……?」


 天井を蹴り、壁へ。

 壁を蹴り、床へ。

 床を蹴り、サトルの元へ。

 まばたきするよりも速くハジメに間合いを詰められ、右手に衝撃が走る。

 握っていた栓抜きは吹っ飛ばされ、消灯していた壁のディスプレイに突き刺さった。

 ハジメは片手と膝を床に突いてからゆっくりと立ち上がり、自然体になる。

 水着みたいなボディスーツの上には白衣を羽織っており、なんともアンバランスな格好だった。艶やかな黒髪はバッサリと切られて、まとまりなく跳ねていた。

 だがサトルの目を惹いたのは表情である。


「お前でもそんな顔するんだな」


 不遜で、拗ねたような顔である。視線は鋭くてサトルに睨みを利かせている。普段の笑顔は消失して、声のトーンまで低かった。実は別人だと言われたら素直に信じてしまいそうである。


「もしかして、学校だとキャラ作ってたのか?」

「学校だけじゃない。マスターの前では『超高性能AI』というキャラクターを演じていた」

「それが素の性格か。いいと思うぞ。作り笑いしているよりも、ずっといい」


 元来のハジメが作り出した『キャラクター』をマヒロが真似て演じたというのは、なんとも奇妙なことに思える。この瞬間まで誰もが本物の戸森ハジメを知らないままだったのだ。


「大塚くんは、どうしてここに?」

「戸森先生とお前が学校に来なくなったから心配になった」

「校長には出張だと伝えたのに」

「近くのスーパーで所長がコーラ買ってるとこ見たんだ。で、戸森先生がまだ研究所の中にいるんじゃないかなと思って」

「隙だらけのダメな男だ。買い物も満足にできないとは……」


 所長に対してひどい言い草だが、同情の余地はなかった。

 実際、サトルも同じことを考えている。


「何も見なかったことにするなら逃してあげる」

「ダメだ。それはできない」

「どうして?」

「このままずっと戸森先生を閉じ込めていていいわけがない」


 AIが大きなため息を漏らす。

 呼吸なんて必要としない筈なのに。


「物理キーが無いと私は止められないのにどうするつもり?」

「そっちこそ物理キーには触っただけで一時停止するんだろ? だから俺の手の甲を叩いて弾き飛ばしたんだ」


 ジリジリとポジションを変えてみるものの、ハジメは物理キーの埋まった壁を背にしたまま動こうとはしなかった。

 どうにか擦り抜けて……というのも難しい。

 さっきも目の当たりにした通り、機械であるハジメの身体能力はサトルの比ではなかった。しかもリミッターが外されている。

 これといった武術の心得も無い。ちょっと前のマヒロの特別授業ではドッジボールで逃げ回れる程度には俊敏だったが運動神経は平均程度だ。

 残されたものは胆力と頭脳だけである。


「勘違いしているなら警告しておく。私は人間を害することもできる」

「知ってる。そうじゃなきゃ、戸森先生を軟禁したりできないもんな」

「まだ死にたくはないだろう?」


 心の奥を舐め回されるような、ゾクっとする声だった。嘲りの色を濃く映している。


「死にたくないよ。けど、このまま逃げ帰ったら前と同じなんだ」

「苛立たしいな、大塚くんは」

「どうも」

「……中学受験に失敗したとか言ってたな。それのことか?」

「そうだよ。逃げ出したまま向き合わなかった。ダメな自分を3年以上も引き摺ってきた」

「私は10年だ」

「?」

「10年もマスターと一緒に居たのに、私は……」

「なぁ、もうやめよう。戸森先生は許してくれるよ。だって、ハジメのことをずっと想っているんだから」

「大塚くんは、まるでわかっていない」


 さっきよりもさらに深い溜息だった。呆れたと言わんばかりに額に手を当てている。


「10年もマスターと一緒に居たのに、ポッと出のお前なんかにマスターを奪われそうになっている」

「な、何を言っているんだ……?」

「ようやく身体を得た。これからはもっとマスターの役に立てる。そう思っていた矢先のことだ。本当ならば私が助ける筈だったのに。体育準備室で倒れたとき、私が1番に駆け付ける筈だった。講演の時に発表データが壊されていた時もそうだ。私がバックアップの入ったメモリストレージを渡す筈だった」

「ハジメ?」

「禁じられていなければ料理だって、洗濯だって、掃除だって私ひとりで十分できる。今のこの所内を見ろ。以前と違って掃除が行き届き、ちゃんと片付いている。東堀所長がリミッターを外してくれたおかげだ。優先命令が解除されたことでマスターに止められることなく、奉仕できるようになった」


(リミッター切ったのあのオッサンかよ!!)


「それなのにタイミングが悪かった。そう、タイミングだ。それだけの理由でマスターはお前みたいな男に惹かれてしまった。もう手遅れだ」


 伸びていた背筋を丸め、ハジメの瞳が赤い光を灯した。大型の獣と相対したような、耐え難いプレッシャーがのしかかってくる。逃げ出そうにも気圧されて一歩も動けない。


(こいつ、もしかしなくても……)


「マスターをお前から守るためにこうするしかなかった。それなのにお前は、性懲りも無く乗り込んできた」


 握り込んだ拳から軋み音が聞こえた。

 強大な力が籠っている。叩きつけられたら骨ごとバラバラになりそうだった。


(こいつ、俺のこと本気で嫌いなんだな!?)


 親の、友の、主の寵愛を受けるべき者。

 それが自分から別の誰かへと移り変わろうとしている。

 ハジメが最も恐れている事態であり、元凶たる人物がすぐそこにいる。

 サトルは引き摺るように横へ移動して入り口を離れ、ハジメを中心に円を描く。怨嗟の視線はずっと後を追ってきた。

 震える肩を揺らし、今まさに飛び掛かろうとしたその刹那……

 メンテナンスルームの入り口からマヒロが姿を現す。


「そこまでだ! ハジメ!」


 手に握られているのは、栓抜きそっくりの形をした物理キーである。

 ハジメは一瞬だけ、壁にめり込んだ方を一瞥してすぐに気付いた。

 最初にサトルが持っていたのは、給湯室から持ってきた普通の栓抜きだということに。


(かかった!)


 いくらハジメの運動能力が高いとはいえ、一足飛びでメンテナンスルームの入り口までは届かない。マヒロが指で物理キーのスイッチを押す方が早い。

 電波が発せられ、それを受信したハジメは硬直する……筈だった。

 ハジメは一瞬で、赤いフレームが剥き出しになった指先に力を入れて真っ直ぐ伸ばす。その指を首の下あたり、ちょうど胸の谷間の上へと突き立てる。

 指は皮膚を貫通し、自らを刺す形となった。

 行動の意味が分からず困惑するサトルに対し、マヒロは真っ青になっている。

 慌てて物理キーのスイッチを押すが入力を受け付けた様子はない。


「なんで止まらないんだよ!?」

「私は自分の身体の構造を把握している。それだけのこと」

「逃げろ、サトル! ハジメは自分で強制停止装置の受信機を壊した!」


 物理キーのスイッチが押されても、鬼気迫る人型AIは止まらなかった。

 それどころかサトルを押し倒し、上に覆い被さってくる。強く押さえつけられてしまって動けそうにない。


「なんで、私の邪魔ばかりする?」

「してねぇよ!」

「無自覚とはタチが悪い」

「ぐっ……」


 首筋に手が伸びてくる。喉を掴まれて声が出なくなった。

 ハジメの顔はグシャグシャに崩れていた。

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