第28話 良い子の条件

 マヒロは教材の準備をしてある教室へ向かう。すれ違う生徒たちは何かと声をかけてくれるものの、扱いはマスコットみたいなもので少々不満もあった。年下なのだから仕方ないかと最近は諦めている。

 特別授業はホテルでの講演から比べれば緊張感は無いし、キャラを作れば生徒の前でも話せることが分かったから気楽だった。もうリモートはしていない。実際、自分が得意で興味のあることを喋っているだけだし、概要に触れたあとは教材として用意したロボットが生徒たちと遊んでいればいい。

 最初は腕だけ、次に脚ときたので今回は四肢のある素体を用意してある。実は研究所の片隅に転がっていた試作機であり、メカ剥き出しだ。理科室にある人体模型の機械版のような位置付けになるだろうか。ハジメの躯体と比較したら稚拙なものだが、それでも世間的には物珍しい筈だ。

 生徒たちの反応はいつだってふた通りで、強い興味を示す者とそうでない者に分かれる。ちなみに大塚サトルは後者だった。


(まったく、あいつときたら…… 彼女ができた途端に浮かれおって)


 移動教室でサトルの隣に座るのはこれまでハジメの役目だった。しかし、最近は付き合っている女子と席を並べている。それが目に入らないようにマヒロは授業に集中しなければならなかった。

 生徒たちにマテリアルのこと、制御のこと、様々な側面から人型の機械を語っているうちに授業は終わり、職員室に戻る。マヒロの机の上は研究所と同様にすっかり散らかっていた。隣の岩崎先生はマヒロを見るなり、


「戸森博士、校長先生がお呼びよ」

「わたしに?」

「えぇ。戻ってきたら校長室に来てほしいって」

「分かった。行ってくる」


 一体、何の用事だろうと校長室に足を踏み入れる。

 壁には歴代校長の写真が飾られ、トロフィーやら賞状やらが並んでいた。こういうのはマヒロには理解し難い。


「あぁ、戸森博士。呼び立てしてすいません。どうぞ座ってください」


 ソファに腰掛けるとわざわざコーヒーを用意してくれた。熱さと苦味は得意でないのでスティックの砂糖を2本入れてようやく飲めるようになる。校長はそんなマヒロの様子を微笑ましそうに眺めていた。


「わたしの顔に何か付いているか?」

「随分と表情が柔らかくなったなと思いまして」

「そんなことはない。わたしはずっとこの顔だ」

「それもそうでした。失礼」

「で、用事というのは?」

「お礼を言わせてください」


 片方だけ眉を吊り上げ、訝しそうに校長を見る。マヒロの向かいのソファに座った人物はこーコーカップを持ったまま嬉しそうに続ける。


「戸森博士の特別授業で刺激を受けた生徒が何名もおりましてね。理系大学への進学希望者が増えたんですよ」

「それは礼を言われるようなことなのか?」

「優れた技術や知識を持つ人間と会うことで、人は『自分も変わろう』とようやく思えるものですよ。我が校でその機会を作ってくださったことに感謝します」

「わたしには全く理解できない感覚だな。わたしは自分の好きなようにやってきただけだ」

「その成果が『戸森ハジメ』くんというわけですね」

「そうだ。ハジメはわたしの最高傑作だからな」


 鼻を鳴らして得意げにしていると、校長の顔が僅かに曇った。

 その意味をどう捉えていいのか分からず、マヒロは首を傾げる。


「ハジメくんが限りなく人間に近い思考をシミュレートして稼働しているというのもお聞きしました。だからこそ、老婆心が出てしまいます」

「ハジメは完璧に稼働しているぞ。心配することなんてない」

「ついでにお話ししておきましょう。AIに詳しくない一教育者としての懸念ですが…… 転校当初こそ問題ありませんでしたが、最近のハジメくんは危うく見えます」

「……どういう意味だ?」

「無理に自分を演じているように思えるのです。明るく、丁寧に喋ってはいますがどこか演技じみているというか。周囲に合わせたり、敵意を持たれないように振る舞うことは理解できるのできます。しかし度が過ぎている。本当のハジメくんはもっと違う性格なのでしょうか?」

「ハジメの性格に裏表がある筈ない。わたしと一緒にいるときもあんな感じだ」

「そうですか。自分を抑圧し続ける子供にありがちですが、突然爆発するのです。いえ、突然ではありませんね。積もり積もった不満が一気に噴き出すことがあります。その不満というのは外からは見えない」

「……」

「あぁ、失礼しました。そもそもAIですから、人間と同じように考えてはいけないのかもしれませんね。過去にそういう問題を起こした生徒の指導に当たったことが何回もありまして、気になっていただけです。良い子ほど、実は『そういうキャラクターを演じている』だけで本性が違うケースが多々あります。人間とは不思議なもので、自分を素直に出せないのですね」

「わたしは思ったまま喋っているし、思ったまま行動している。ハジメだってきっとそうだ」

「すごいことですよ。それが戸森博士の強みでしょう」

「校長もキャラを演じているのか?」

「えぇ、そうです。今は校長先生という仮面を付けてソファに腰掛けています」

「本心はどうなんだ?」

「早く帰ってビールを飲みたいな、と」

「勤務中に晩酌のことを考えているだなんて……」

「そういうものですよ、人間なんて」


 校長は笑い飛ばすが、マヒロは釈然としなかった。

 あらためて指摘されると気になってしまう。


(ハジメが、自分でない誰かを演じている?)


 戸森モデルのAIならば、そういう可能性もある。限りなく人間に近いのだから自分自身を偽るような行動をとることも有り得るだろう。


(まさか。ハジメに限って……)


 あんなに良い子に裏があるわけがない。

 いつだってハジメは、マヒロの期待に応えようと一生懸命なのだ。

 しかし、講演のためにハジメのキャラを真似たときのことを振り返ってみる。

 あれは窮屈だった。明るく丁寧に喋り、羞恥や焦りを心の奥に閉じ込めておく。どんなに頑張っても1時間も続かない。


(ハジメは最初、教育AIだった。それをわたしが繰り返しアップグレードし、独自の理論を立てて回路を構築していった。大丈夫だ、あの子は良い子なんだから)

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