第10話 合わせ鏡の二人

 分かり合える筈だった絵里花との仲直りは失敗に終わってしまった。あの日以降彼女とは対立する事となり、紗希は顔を合わせる度に小競り合いを繰り広げていく日々を送る羽目になった。


「ちょっと!! ワタクシの邪魔をしないで下さる!?」

「アンタの方が私の邪魔をしてるんでしょうが!!」


 今日も今日とて二人はいさかい合う。今回の発端は偶然校門前でばったり出くわしてしまった事が原因となる。

 目と目が合った瞬間、お互いに火花を飛ばして威圧する。会話を交える事も無く二人は教室へと向かうのだが、追い抜き追い抜かれを繰り返していく内に徒競争となり、全力疾走で廊下を駆け抜けていく。


「な、なかなか……おやりに……なりますわね……」

「そ、そっちこそ……温室育ちの……割にはやるじゃない……」


 朝っぱらから滝の様な汗と共に息も絶え絶えで教室へと辿り着く紗希と絵里花。最初こそはクラスメイトも二人の喧嘩が勃発する度にどよめいていたが、今ではすっかり定番イベントと化しており、反応は限りなく薄いものとなっていた。


「風間さんに京極院さん、また喧嘩?」

「だってコイツがエラソーに私の前を歩こうとするから!」

「すっトロく歩いているアナタが原因でしょうに!」

「まあまあ落ち着いて二人共」


 クラスメイトの殆どが興味を示さなくなった中、学級委員長の優李だけがクラスの調和を保つべく穏やかな態度と共に二人を宥める役を買って出る様になった。彼女には何の罪も無い事はお互いに理解しているので、その度に一時的に矛を収める形にはなる。本当に一時的に、である。


「そういえばこの前のテストが返ってきますわね、それで引導を渡して差し上げますわ」

「受けて立とうじゃない。その代わり、負けて泣きベソかくんじゃないわよ」


 優李の奮闘虚しく、またしても紗希と江梨香は無駄な争いを繰り広げていく。勝負で勝敗を決し、この因縁に終止符が打たれたらいいのだが、そうは問屋が卸さないらしい。

 返された答案用紙は丸で埋め尽くされ、点数は百と示されていた。勝ちを確信し、紗希は自信満々に絵里花に見せつける。しかし彼女もまた同じく百点の答案用紙を突き返してきたのであった。


「アンタも百点……そうこなくっちゃ面白くないわね」

「ええ、そう簡単に負けるアナタでは無い筈ですわ」


 現代文、化学、英語、地理。全てにおいて二人は満点を取っており、結局勝負は引き分けに終わった。紗希は天才として生まれてきたが、絵里花もまた神の寵愛を受けてきたらしい。


「しぶといですわね……! なら今日の体力テストで今度こそ雌雄を決しますわよ!」

「望むところよ! 今度こそアンタの澄ました顔に一泡吹かせてやるわ!」


 性懲りも無く始まった一騎打ち。勝手に戦え、と言わんばかりに周りのクラスメイトは勝手に熱くなってる二人についていけないようだ。


 四限目の体育の授業が始まり、クラスの女子達が適当に体力テストのスコアを埋めていく中、紗希と絵里花だけが血眼になって競い合っていた。互角の勝負を繰り広げていき、最終的に二十メートルシャトルランにまで食い込んだ。

 運動神経絶無の優李が一番にリタイヤし、それを皮切りに次々と女子達が平行線から抜けていく中、紗希と絵里花だけが残った。高校女子の平均記録を越え、その先にあるのは無慈悲にも加速していく電子音のみ。


「そ、そろそろ限界なんじゃなくって……? 豊満なお尻がフラフラになってますわよ……!」

「そ、そういうアンタこそ……自慢の大根足がプルプル痙攣してるじゃない……!」


 それでも二人は意地と執念を燃やして走り続けた。そもそもの話、たかだかシャトルラン如きで勝とうか負けようが何の意味も無い。そんな事は重々承知だ。

 それでもこいつにだけは負けたくない。負けてしまえば、今まで勝ち続けてきたという矜持が崩れ去ってしまうからだ。


「意地張らずに降参しろアホ~~!」

「そういうアナタが降参しなさいアホ~~!」


 頼むから負けてくれ。負かして楽にしてやるから。……何て、向こうもきっと同じ事を考えているだろう。つまりコイツは私だ。私と同じだ。だからこそ何処か腹立たしく感じるし、何処か充実感に満たされていく様な気がする、と薄れ始めていく意識の中で紗希は内心絵里花の存在を認めていた。


 ――全く。こんな奴が居る学校生活の何処が普通なんだか。


 授業を終えるチャイムが鳴り響く。それに伴い二人は床に這いつくばる形で緊急停止した。

 其処には社長令嬢の姿は無い。居るのは歳相応に負けず嫌いな少女が二人だけである。


「……どっちもアホでしょ」


 女子達は呆れた様子で呟くと、虫の息のまま動けなくなっている紗希達そっちのけで撤収し始めるのであった。



 「うぅ~、体中痛い……」


 今日の授業も全て終わった放課後。絵里花との激闘を繰り広げた爪痕なのか、紗希の全身に筋肉痛が襲い掛かっていた。歩く事すら億劫だったので、夕食の準備に取り掛かっている筈の望に迎えを要請した。


『既に手配しています』


 既読が付いてから十秒にも満たないレスポンスで返信が来た。バス停までの長く過酷な道程を回避出来た事で安堵したが、記憶喪失である望が運転免許を持っていなかった事を思い出した。


「まさか無免許運転とかじゃないでしょうね?」


 そんな一抹の不安を抱えながら校舎を後にしようと廊下を歩いていく。歩く度に激痛が走るので、とてもじゃないがマトモに動く事が出来ない。全部アイツの所為だ、と高笑いを上げている絵里花の姿が映り、忌々しく思った。


「次はギャフンと言わせてやる。京極院絵里花――」

「京極院さん! 俺と付き合ってください!! これをどうぞ」


 例のアイツの名前を呼ぶ声が聞こえてきたので思わず驚愕する。声のする方へと向かってみると、見知らぬ男子が絵里花に告白している場面に出くわしそうになったので思わず身を隠した。


「……ワタクシ、アナタとは初対面ですしアナタの事何も知らないのにこんなモノを渡されても困りますけれど」


 絵里花の手には一通の手紙があり、ヒラヒラと扇ぎながら見せつける。彼女は心底うんざりそうにしているのに男子はそれを知ってか知らぬか興奮した様子で話を続ける。


「そんな事関係ありません!! 京極院さんへの想いを込めて綴りました!! どうか是非読んで下さ――」


 無慈悲にもその想いを込めた手紙とやらを絵里花は開封しないまま彼の目の前で半分に破る。呆気に取られている男子の目の前で更に破る。破る。破り尽くす。忽ち紙屑へと変えてしまった。


「なっ……何をするんだよ!?」

「申し訳ありませんけれどワタクシ、紙の様に薄っぺらい方とお付き合いする趣味は持ち合わせておりませんの」

「くっ……!! お高く止まりやがって金持ちのクソ女が!!」


 フラれた男子が逆上して絵里花の胸倉を掴む。その瞬間、近くで待機していた彼女の取り巻きが割って入り、その手を掴み上げるとそのまま突き飛ばして尻餅を突かせた。


「控えろ下郎。エリカ様を侮辱し、挙句の果てにはその御身に触れるとは」

「その穢らわしい手、二度と使えない様にへし折ってやろうか」


 殺意を込めた眼差しと共に親衛隊は木刀の切っ先を獲物の眼前に突き付けて脅す。それを制止させ、絵里花は一歩前に出て男を見下ろした。


「ハッキリ言わせていただきますわ。ワタクシ、表面だけしか見ていないアナタみたいな軽薄短小な人間が一番嫌いですの。……分かったら二度とワタクシ達の視界に入らないで下さる?」


 今まで見た事の無い冷ややかな表情を送り、絵里花達は後にする。男子はと言うと蛇に睨まれた蛙の様に動けなくなっていた。

 こちらに向かってきたので紗希は慌てて物陰に隠れた。何事も無い様に素通りしたかと思いきや、絵里花達は急に立ち止まった。


「……覗きなんて随分な趣味ですわね、風間さん」


 まさか気付かれるとは思わなかった。このまま知らないフリをしてやり過ごそうと思ったが、少しばかり棘のある物言いであったので紗希は観念して姿を晒した。


「……ごめん。偶然出くわして、覗き見するつもりじゃ――」

「……申し訳ありません。今虫の居所が悪いんですの。……こんな姿、アナタにだけは見て欲しくなかった」

「それってどういう――」

「あら失礼。ワタクシ、今日はピアノのお稽古があったのを思い出しましたわ。……それでは御機嫌よう」


 紗希の言葉を遮り、絵里花は少しばかり悲しそうな笑顔を浮かべて去っていってしまった。

 立ち尽くしていると、様々な生徒達とすれ違う。一人一人違っていたが、とある話題だけが共通していた。


「京極院さんまた振ったんだって? 庶民なんて興味ありませ~んってか?」

「今度は書いた手紙ビリビリに破いて捨てたって聞いたよ。酷いよね?」

「性格悪いよねぇ? 金持ってなきゃ良い所何一つ無いじゃん」

「あーあ、マジでムカつくよなぁ。交通事故にでも遭えばいいのに」


 昔の記憶が蘇る。紗希も中学生の時、見ず知らずの男子に告白された経験がある。そいつとは一回も話した事も無い得体の知れない人物だった。初対面でありながら断言出来るのは、そいつは風間家の金目当てで付き合おうと思っている事。だから断固拒否した。


 するとどうだろう。決まって悪者になるのは断った方になる。微塵も興味が湧かない相手を追い払っただけでまるで悪魔の所業だと非難し、極悪人のレッテルを貼りつける。こっちの気も知らないで言いたい放題言うだけの馬鹿共に嫌気が差して此処に転校してきたのに、これでは何も変わっていないではないか。


「……だから気に入らないのよ。アンタの存在そのものが」


 思い出したくない過去を思い出してしまった。紗希は思わず舌打ちをした。そしてその闇を振り切るべく、迎えが来ているであろう校門前まで駆けたのであった。

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