第6話 普通になりたい!

「……で、何これは?」


 配膳された料理の数々を前にして紗希は眉を顰めた。不機嫌になっている理由は望が丹精を込めて作った料理にある。


「それでは簡単に今日の献立の御説明をさせていただきます。紗希の正面にありますのが最高級ブランドである松輪鯖の味噌煮です。左にありますのが松輪鯖の船場汁です。右にありますのが松輪鯖の南蛮漬けです。そして最上級魚沼産コシヒカリの白米には松輪鯖のほぐし身を混ぜ込んだ——」

「そんなのを聞いてるんじゃないわよ!! 何で今日の晩御飯が全部鯖で埋め尽くされてるのって聞いてるの!!」


 前も右も左も鯖、鯖、鯖。挙句の果てには白飯にも鯖が入っており、紗希はうんざりしていた。朝食でも塩焼きとして食べていたから当分口に入れたくない程に飽き飽きしていた。


「魚、特に鯖は足が早いのです。今朝旦那様から送られてきた大量の鯖を処理するのには流石に苦心しました」


 義之と昨日連絡を取っていた際に鯖の話題が挙がり、ちょっと食べてみたいかもと迂闊にも言ってしまったのが原因に違いない。多ければ多い程良いというものではないという事を知らないのだろう。紗希は思わず大きく溜息を吐いた。


「パパったらホント仕事以外はてんでダメダメなんだから……。キツく言っておかなきゃ」


 紗希はスマートフォンを取り出し、メッセンジャーアプリを起動して今回の件を問い質して今後食べ物を送る前に必ず連絡する様にと釘を刺しておこうとメッセージを送った。トーク一覧へ戻ると父と屋敷に居る使用人達しかリストに入っておらず、少しばかり虚しさを覚えた。


「……そう言えば望、アンタってスマホ持ってないんだっけ?」

「屋敷で働いていた際に支給品として渡されていたのですが、どうにも使い方が分からなくて……。結局こっちに来る時に返してしまいました」


 現代の情報化社会を生きている二十歳前後(推定)がスマートフォンの使い方が分からないと来たので思わず驚愕した。記憶喪失の影響なのかもしれないが本当に日本人なのかどうか怪しいのではないか、と紗希は望の正体を改めて疑問に感じた。


「スマホ持ってないとか、アンタ暇な時間どうしてるの?」

「暇な時間、ですか……。そうですね……。料理のレシピを考えたり、庭の手入れをしたり、ソーニャの散歩に行ったり、ですかね?」


 それは結局仕事の延長戦であって暇を潰しているとは言わない。趣味とか無いのだろうか。肝心な時に護衛が過労で倒れていたとなってはとんだお笑い種になる。明日は土曜日で学校も休みだし此処は主人として部下を労ってやろうではないか。


「望! 明日はアンタのスマホ買うついでに息抜きさせてあげる! 感謝なさい!」

「お心遣いは有難いのですが、俺は別にスマホなんて——」

「つべこべ言わずに買いに行く! いいわね!?」

「……畏まりました」


 明日は久々に退屈じゃない休日を過ごせそうだ。そう考えると楽しみで楽しみで仕方がなかった。明日に備えて早めに寝よう、と紗希は鯖のフルコースに手を付け始めたのであった。



「何でアンタその服着てるのよ!?」

「申し訳ありません。これしか持っていないものでして」


 翌朝。久々の外出という事もあって紗希はお気に入りのブラウスとスカートを卸してきたというのに、望はいつもの燕尾服、つまりは仕事の服を着て待っていたのであった。何にも分かってない、と少女は落胆していた。


「しょうがないわねぇ、アンタの私服も見繕ってあげる」

「これでも問題無いと思いますが」

「あのねぇ! 私達はフツウの暮らしを目指さなきゃならないの! 休日の外出にそんな仕事着で街中歩くってのは普通じゃないの! 分かる?」

「おや、確かそういうでしたね。申し訳ありません。失念しておりました」

「設定とか言うな!」


 彼女曰く、修行の一環として普通の暮らしをしている普通の女子高生として高校三年間を過ごす。そう言った生活を送って成長した所を父に見せてあげたい。そんな思いから都心部から離れ、義之が手配してくれた新築庭付き二階建て3LDKの一軒家で新生活を送っているのである。


「……まぁいいわ。じゃあせめてジャケットとウェストコートだけ脱いでよね」


 出鼻を挫かれてしまったが、紗希と望の休日が始まる。家から歩いて五分程歩いた所にある駅を利用して大型ショッピングモールがある都市へと向かう。

 予めスマホにインストールしてあった交通系ICアプリを使う事で紗希は直ぐに入場出来たが、望はわざわざ券売機で切符を買っていたので出遅れていた。


「遅い! 待たせるなんて有り得ないから!」

「申し訳ありません。実は俺、電車を利用するのが初めてでして」

「全く、が思いやられるわね」

「それはだけに、という事ですか?」

「次しょうもない事言ったら殴るから」


 電車に乗って十数分程。紗希と望は港に面している再開発地域でもあり計画都市でもある場所へと降りた。其処は一日では全てを回り切れない程に様々な施設が集まった観光地でもあり、買い物や息抜きにはうってつけである。


「じゃあまずはアンタの服を買いに行くわよ!」


 いつにもなく昂揚した様子で紗希は望の腕を引き、世界的に有名なブランド店に入り、彼に似合う様な服を物色する事に。ラックに吊るしてあったトップスを手に取り、望の体に合わせていく。


「うーん、私はこういうブランドのロゴをデカデカと見せてるのはそんなに好きじゃないから……これは……カワイイけど色が地味だし……」

「紗希は凄いですね。俺にはどれも一緒に見えます」

「全然違うから! 全く、アンタもパパと一緒で仕事以外全然ダメね」


 三十分程店内を見回り、めぼしい服を籠に入れては望を着せ替え人形の如く試着させていく。彼自身は何を着せてもしっくり来ていなさそうな顔をしているが、表に出しても奇異な目で見られる事は無さそうだったので一先ず無難に合わせた上下二組を買う事にした。


「お会計116,640円頂戴致します」

「……紗希。四着でこの額はいくら何でも高過ぎると思うのですが。騙されているのではないのですか?」

「え? 此処の店なら普通これ位すると思うけど?」


 そう言って紗希は何の疑問も持たないまま、何食わぬ顔で財布からクレジットカードを取り出して決済をする。ファッションに疎い望は少し面食らった様な表情を浮かべていた。


「……普通とは一体何なんでしょうね」

「だから、それを此れから知って行くんじゃない。さ、次行くわよ」


 そう言って望は遠くを眺めながら自身が着る服が入った紙袋を提げて、何処か満足そうな顔をして退店していく紗希の後を追ったのだった。

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